60階、展望エリアを超えて


 六〇階に到着すると、突如とつじょフロアにたむろする人の数が増えた。

 どうやら、一般客の終着点はここらしい。

 四方に開けたガラス張りの壁から、下界を見下ろすための展望エリアとなっているようだった。

 場のかもす空気により、下層で見たような下世話な世界に気持ちが引き戻される。

 中にはこのような温かな雰囲気で躊躇ためらう者も出るのだろう。

 私は違う、その手には乗らない、と一気に突っ切り次の階へと向かう。


 そうして次は、極端に少なくなった人の数に戸惑うのだった。

 観光地然としたこの下までの階とは明らかに違う、物寂ものさびしい、無機質な空間が広がっていた。

 自分がこれからやろうとしていることが嫌でも意識されるような、喧騒と静寂による落差だった。

 こっちが本命か……。こういう揺さ振りで心をくじきに来るのが魂胆だったのか。


「下りのエレベーターはどの階からでもご利用になれますよ?」


 ここまでずっと、私一人のために律儀に付いて来ているボットが言った。


「余計なお世話よ」


 私は一度止めかけた足に力を込めて、さらに上を目指す。

 七〇階、八〇階、九〇階、一〇〇階。休まずに上る。


  *


「分かりました。貴女の本気は十分理解しましたので、どうか、今からでも表層チャンネルを開いていただけませんか?」


 一二〇階を超えた辺りから、ボットが再びうるさく騒ぎ始めた。

 やはり、私が最初に想像したとおり、このボットはアテンドだったようだ。

 自殺志願者を引き留め、エレベーターを使って下界に引き戻すための。


「時間的コストの節約でございます。表層チャンネルのログを回収させていただければ、特別に、ここから最上階までエレベーターでお送りいたしましょう」

「嘘よ。乗ったが最後、一階まで連れ戻すつもりでしょ? ネットで見たわ」


 ピーガガガという機械音。


「どうやら誤った、好ましくない噂が流布るふされているようでございます。決してそのようなことは」


「じゃあ、教えて。最上階って何階なの?」

「それはお答えいたしかねる質問です」


 それ見たことか。

 そちらからは情報を開示せず、こちらからは無尽蔵に情報を吸い上げようとする相手の言葉を信用できる訳がない。

 そう思って、ボットからプイと視線を逸らした瞬間、私は膝からガクリと崩れ落ち、

 転げ落ちないよう、階段の傾斜に沿って身体が前のめりとなって静止する。


「一般用生活素体ではそろそろ限度かと考えておりました。だから、エレベーターのご利用をお勧めしたのです」


 静止した私の回りをプカプカと浮かびながらボットが言う。


「気付いてたの?」

「……それは、まぁ当然。生身の人間女性では一〇階分上るのもひと苦労ですよ? そういったことは、予めお調べにならなかったので?」


 ブーンといううなりを上げて、私の身体の制御系がリブートを始める。

 機能不全におちいったモジュールを検出し、システムから除外。

 別のモジュールで補助して活動できるよう、身体操作ロジックを再構築。

 私が意識してやっていることではないが、そういう処理が働いているはずだった。


「調べてたら、運動用か登山用に換装して来てたわ。まったく、機械のくせにこの程度で壊れるなんて思わなかった」

「おそらく足首部分のトルクが衰耗したのでしょう」


 私の脚を観察するように、ボットがその位置を低くしながら言った。

 その点、貴方の体は便利そうね、と私は表層チャンネルの中で密かに思う。


「そんなことまで分析できるんだ。確かに貴方、最新鋭なのかもね」

「これはただの統計でございます」


 じゃあ、何で人の脚をそんなマジマジ見ているのかという怒りがき、私は再起動した両手を使って、ボットの単眼カメラの視界をさえぎった。


「おっと、失礼。ですが、わたくしに性別関数ファンクションはございませんよ?」

「女性でも無性でも嫌なものは嫌でしょ。前言撤回よ。貴方、やっぱりポンコツだわ。旧世代の遺物よ」


 私は多少不自由になった右足を引き摺るようにして、再び階段を上り始める。

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