6階~10階へ


 これからの道のりを覚悟しながら階段を上り始めたときだ。

 どこからともなく小型のドローンが近付いてきて、私の周囲を旋回し始めた。


「初めてのご来館ですか? この先は一〇階まで販売店舗はございませんので、どうぞお気を付けください」


 宣伝用のボットか。珍しくもない。

 私はすぐに興味を失い、階段を上ることに専念し始めた。

 それでもボットはしきりに私の周りで帰りのエレベーターやトイレの場所、売れ筋商品の宣伝などを繰り返す。


 うるさいなぁ……。


 珍しいことがあるとすれば、そのボットが直接の電送ではなく、ずっと有声で案内を垂れ流していることだった。


 まさか、電送アウトプットも備えていない安物なの?


 下層部のテナントの古臭さも含めて考えると、このビルが政府筋の意向をんだ第三セクターであるという噂も、あながち嘘とは言い切れない気がしてきた。

 九階まで上ったところで遂に我慢できなくなり、私は立ち止まってボットに言ってやった。


「ちょっと。うるさいから静かにしてくれる?」


 ボットはその場に静止して、ピコピコという電子音と明滅を繰り返した。

 わざとらしい、ロボらしさのアピールによる親近感の向上と、怒りの抑制を狙ったプロトコルだ。

 やはり、いちいち古めかしい。


「おや。お疲れですか? ご休憩なら、頑張ってもう一階上まで行くことをお勧めしますよ?」

「違うわよ。買わないって言ってるの。無駄だからあっち行って」


 再び電子音と明滅。


「これは失礼しました。なにぶん、お客様のがクローズでしたので」


 モードを切り替え忘れているなら貴女の責任ですよ、と言わんばかりの失礼な物言いだ。

 冗談じゃない。不特定多数に自分の考えを垂れ流しにするなんて。

 どんな理由があろうとも、表層チャンネルなど開いてやるものですか。


 少し前に政府から発表された統計では、人口の実に9割が、外出時に表層チャンネルを常時オープンにしているらしい。

 確かに、表層チャンネルに自動的にアップされる有意味な思考データは、他者とのコミュニケーションを円滑にし、多くの無駄を省くことができるのかも知れない。

 だけど、そんなのプライバシーの欠片もない。

 絶えず大声で独り言を言い触らしているようなものだ。

 私には表層チャンネルを開く人々の気持ちが全く理解できなかった。


「クローズにされている時点で購買層ではないと察するべきね。貴方、ロジックが大分古いみたいよ? 大丈夫?」


 嫌味を込めて言ってやる。

 ボットに対して言うにしても、私のそれは大分礼を欠いた発言だった。

 最近はボット風情ふぜいも声高に人権を主張し始め、全く生きにくいと来たらない。


「ご心配には及びません。わたくしはこう見えて最新鋭のAIでございますから。ご要望に応じてお客様を目的の階まで完璧にサポートさせていただきます」


「目的って……、貴方分かってて言ってるの?」


 私は不機嫌にほおをふくらまし、モノアイの目に向かってにらみつけてやった。


「もちろん。存じております。このビルの頂上からの自由落下をご希望ですよね?」


 私は咄嗟とっさに宙で両手を合わせ、てのひらの中にボットをつかまえた。


「あんた馬鹿じゃないの!? そんな大声で」


 もちろん声の大小の問題ではないのだが、そうせずにはいられなかった。

 またもピコピコとわざとらしい音を鳴らすボット。

 私が中を覗き込もうとして両手の隙間を広げると、ボットはそこからサッと、その小さな体をくぐり抜けさせて外へと飛び出してきた。


「ご安心ください。ここが飛び降り自殺の名所であることは、公然の秘密でございます」


 いや、それはそうでしょうけど……、だとしても……。


「止めないの? もしかして、ここが治外法権だって噂も本当なの?」


 自殺は自分に対する殺人にあたる。当然違法だ。

 こんな場所に配備されるボットがそのことを知らないはずがない。

 こいつがそうだと判断した時点で、瞬時に通報され、ここに拘束用のロボットが駆け付けたとしてもおかしくないのだ。


「わたくしはそのように設計されてはおりません。ここが法の及ばない場所かどうかは……、まあ、それは各自のご想像にお任せすることにしております」


 信じられない。

 自殺は現代社会における最大級の禁忌だ。それを見過ごすなんて。

 このボット、自分で最新鋭のAIと言っていたが、そんな融通が利くのなら案外その話も本当かも。

 あるいは違法改造モノか。


 違法改造という恐ろしい考えに私の身体は震えた。

 違法とは恐ろしくむべきもの、という刷り込まれた社会ロジックにもとづく反応なのだが、頭で分かってはいても、どうにもその恐怖は払拭ふっしょくできない。


「お疲れでないなら先へ進みましょう。


 自殺という最大の罪悪を見過ごしながら言う台詞ではないでしょうに、と思いながら、私はそのボットの提案に従い、再び階段を上り始めた。


 何故、静止が悪かと言えば、経済を動かさないからだ。

 人が動いて初めて金が回り、経済が機能する。

 遥か古来から今日の、このに至るまでの現代社会が標榜ひょうぼうする私たちの行動規範だった。

 他殺や自殺が禁忌とされる理由もそこにある。

 経済的動機さえあれば、何もえて、倫理や道徳心などという埃を被った理屈を持ち出すまでもない。

 それこそが、社会を立ち行かせるため、先人たちが作り上げた今の世界だった。


 そして、私はその世界が嫌いだった。

 この世界は私のための場所ではないと感じる。

 だからオサラバするのだ。

 単純なことだ。

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