下層階


 《降客専用。こちらから上階には上がれません》


 エレベーターの前には、そう大きく書かれた看板が掲げられていた。

 丁度、エレベーターのドアが開き、中から大勢の乗客が賑々にぎにぎしく下りて来た。

 ご利用ありがとうございました、と中から添乗員の女が声を掛けている。

 やー、やっぱり地上は落ち着くなー、などと客の一人が連れ添いとしゃべりながら歩き去る。

 彼らは違う。彼らは純粋な、物見遊山ものみゆさんの観光客だ。


 私が注意を向けたのは、そんな彼らの陰に隠れるようにしながら、そそくさと立ち去る男の姿だった。

 まだ若い、青年と言っていい見た目の男だ。

 表情で分かる。

 彼は果たせなかった者だ。

 このビルから飛び降りようとして上に向かったが、最後の最後で決心が付かずに、降り専用のエレベーターにその身を置いた者。

 軟弱な。とは思わない。彼には彼の言い分があるだろう。

 それが前向きな意味にしろ、後ろ向きな意味にしろ、今ここで死ぬべきでないと……、生きるべき理由を見つけてそうしたのであろうから、それは祝福してやろうじゃないか。

 だけど、私までがそうである必要はない。

 私は決して、あの場所から降りて来ることない、と決意を固めつつ顔を上げた。


 《上階へはこちらから》


 そう大きく書かれた看板が来場者を上の階へと誘っていた。

 それに誘われるままエスカレーターに乗り、エントランスいっぱいに飾り付けられた無駄に派手な装飾や、人混みを見下ろしながら次の階へ。


 五階までの下層階は、完全な娯楽と買い物のためのスペースだった。

 全体的に懐かしいという感情を刺激されるのは、それらが流行はやったショッピングセンターのテナント群を連想させるからであろう。

 あるいはこれも、自殺者を引き留めるための戦略だろうか。


 エスカレーターで楽に上れるのは五階までだった。

 人を運ぶコンベアは一旦そこで途切れ、道順を示す矢印は、同じ階の奥の方を指していた。

 仕方なくそれに従って進むと、見たくもない看板や商品が半ば強制的に目に入ってくる。

 目に付くのは一階のエントランスにもあった土産物みやげものたぐいだ。


 《冥途の土産チョコ》

 《オシリス人形》

 《免罪符キーホルダー》

 等々。


 非常に馬鹿馬鹿しい。下世話で俗悪な商売だ。

 私はなるべくそれらを見ないようにして足早に横切る。

 長いフロアを抜けた先には、さらに上の六階へと続くがあった。


 動かない階段!


 非常時以外でこれを使う日が来るとは思ってもみなかった。

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