2ー4「大人は信じられないよ」

 親戚とする外食ほど面倒なことはない。血のつながりがあるせいで、関係を築く過程を省略して歩み寄ることを強要されているように感じる。


「最近どう?」


 鉄板の上のハンバーグをナイフで切り分けながら、龍介が放り投げるみたいに言った。僕は「別に」と答えて、すこし素っ気なかったかなと思い直し、「普通だよ」、顔を上げて言う。


「結局詩摘は大学、進学すんの?」

「しなきゃ就職できないでしょ、最近は」

「最近も何も、高校生に何がわかるんだよ」


 ははは、と龍介は大きな口を開けて笑う。「口にものを含んで話すなよ、汚い」僕は紙ナプキンで口の周りを拭う。すると龍介は「反抗期か?」と言ってまた笑った。


 例えば子供を「子ども」と書いたり、障害者を「障碍者」と書いたりするような営みにどれほど意味があるのだろうか。文字の持つ意味に引っ張られて、概念そのものが持つ意味まで歪めてしまうなんて馬鹿みたいだと思う。


「どっちでもいいけど、お前の後見人は俺なんだから、契約とか面倒な手続きもあるし、早く決めろってことだよ」


 運ばれてきてから五分もしないうちに、龍介のハンバーグは半分がなくなっていた。彼にとって僕は子供という括りにいるらしい。だったら、大人とはどんなことを言うのだろう。僕はひとりで暮らせているし、自分のことは自分で決められる。


 未成年だからという理由で法的行為に未成年後見人が必要になる。両親が死んでからは祖母が、祖母が死んだあとは龍介がそれに該当するが、それはただ学校入学などに関する契約の際に存在が必要なだけだ。法的拘束力がなければ、僕はもう充分に大人だと言える。


「龍介はどうなの。最近」


 しばらく続いた沈黙がなんとなく嫌で、それから間があると紬が見せた悲しげな表情が浮かんでしまいそうで、特に気になっている訳でもない疑問を投げかけた。瞬間、龍介が漫画のようにむせ返る。ハンバーグが焦げていたのかもしれない。


「嫁が実家に帰った」

「は?」

「いやあ、最近忙しくて帰るのが遅くなったり、知り合いんとこに行ったりしてたら愛想尽かされてさ」


 あっけからんとした顔で龍介が言うから、僕はことの重大さをリアルに感じることができなかった。いや、紬という誰よりも不幸な人間が側にいることも原因の一つかもしれない。


「はあ? こんなとこでハンバーグ食べてていいの?」

「ダメだね。それどころか俺はもう働きたくない」

「ってか教師ってそんなに忙しいの? 授業して事務やって終わりじゃないの? 公務員でしょ? ブラックなイメージ、ないけど」


 彼の教室での様子を見ていると、教師がそれほど忙しい職業のようには見えない。そう考えてから、自分がよく知っている教師が彼しかいないせいだと思い直した。


「そんなわけないだろ。教師に休みはねえよ。授業から生徒のお悩み相談までなんでもやるんだよ。今すぐにでも辞めたいくらいだ」

「龍介に相談するような物好きもいるんだ」

「馬鹿にすんな。そういえばお前も何か悩んでるんじゃないの? いつもに増して暗いぞ、最近の詩摘は。前髪も見てて鬱陶しいし」

「余計だよ、ひとこと」


 龍介の食器は空になっていた。平日だからか、夕食の時間にもかかわらずこのファミリーレストランには人が少ない。向かいに座っていた家族がぞろぞろと立ち上がり、レジのほうへと向かっていった。当たり前の家族の形を見せつけられた気がして、すこし、気分が悪くなる。


「別に、たいした……」


 大したことじゃない、そう言おうとしてやめた。紬がいないこの場だったとしても、それを口にすることは彼女に対する冒涜のように感じられた。「親がいないだけ」の僕とは異なり、紬は孤独以上の痛みを背負って生きてきた。尊敬とも敬意とも違う、この感情の名前はよくわからない。


「なんだよ、言ってみろ。大人を頼ることも大切だからな」


 いつもなら龍介のこの言葉に苛立ちを覚えたはずなのに、このときばかりは「そのとおりかも」と思った。紬のことを僕がどうにかできるわけでもない。自殺を止める気のない僕と一緒にいたとしても、紬にその先の未来は現われない。ここで相談してみるのも、ひとつの手なのかもしれない。


「つむ……」


 どういうわけか、紬が、と言おうとして喉が固まった。


「つむ?」

「いや、違う、なんでもない。忘れて」


 大人は信じられないよ。紬がそう言っていたことを思いだした。もしかしたら過去に、大人に相談したことがあったのではないか。そして、悪い結果に終わった。そうだとしたら今僕がしようとしていることは、彼女をより苦しめることになるかもしれない。


 正直、彼女が自殺をするのは勝手だ。どうせこれ以上僕の人生に影響を及ぼすとも思えない。でも、僕自身の手で苦しめてしまうのは流石に訳が違う。


「つむ……、紬? 瀬川のことか?」


 僕の必死の誤魔化しも虚しく、龍介は僕が放とうとした言葉を自ら導きだしてしまったらしい。「何かあったのか?」眉間に皺を寄せ、龍介が言った。彼はごく稀に、鋭い第六感を発揮してくるときがある。


「いや、最近話すから……どんなヤツなのかなって」


 僕が言葉を終えたあと、厨房からの流水音がより鮮明に聞こえた。僕たちの他に客は二組だけになっていて、どちらも子連れの家族だった。一瞬、本当に一瞬だけの間が空いてから、龍介が噴きだすように笑った。今回の第六感は鈍いほうだったらしい。


「いやあ、気持ちはわかるよ。クラスの中心なのに、誰にでも優しいもんな。俺も昔はそういう子が好きだったよ。でもな、詩摘。すこし優しくされたからって好きになったら痛い目を見るぞ。まあ仕方ないさ。根暗の詩摘とは住む世界が違うんだから」

「あのさ、別に好きじゃないし、教師がそんなこと言うのはどうなの?」

「あー、はいはい。でも本気にしすぎんなよ」

「本当にそんなんじゃないからな」


 あー、はいはい。龍介はまたそう言いながら、制止するみたいに手のひらをこちらに向けた。信じてない顔だな、と思った。


 僕が紬を好きになることなんてない。彼女が死んだと聞かされたところで悲しくはないだろうし、自殺するなら勝手にすればいいとさえ思っている。彼女が救われてほしいと感じるのはあの表情を思いだしてしまったからで、冷静になれば思考は元通りだ。


 僕と紬の関係は、自殺したい女子とたまたまノートを見つけてしまったせいで「したいこと」に協力する男子というだけでしかなかった。

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