6-2「いまから二人で自殺しに行く」

 衣類や旅行に必要な小物、それから紬のスーツケースを求めて店を転々としたあと、紬が髪を切りたいというので一旦別行動することになった。


『思い切って髪を短くする』、一度は付いていくことを提案したが、どうやら彼女は思いっきり髪を切って僕を驚かせたいらしい。結局、一時間後に近くのカフェで待ち合わせるとのことで話が落ち着いた。


 紬が髪を切っている間、僕は一足先にカフェへ向かい、可能な範囲で旅行の準備を進めることにした。旅行に必要な期間は明日から六日間、今夜バスで京都を目指し、沖縄へ向けて南下していく。そして最後、大晦日に首を吊って自殺する。それが僕たちの計画だった。


 周囲を見回しながら歩いていると、ショッピングパークというのは本当に多くの店が並んでいることに気づく。英語教室やマッサージ店があったのは意外だった。目的のカフェが視界に入ったころ、ふと、ある店が目に留まった。


 あと数日で紬の誕生日だったはずだ。目の前にある品が誕生日プレゼントに相応しいとは思えないが、彼女を喜ばせるという点ではこれ以上のものはない。身の丈に合わないと思いつつも、紬のためを思い、なけなしの勇気を振り絞って店に足を踏み入れた。


 これを渡したら彼女はどんな顔をするだろうか。もしかしたら想いを伝えたときのように泣いてしまうかもしれない。彼女の反応を想像していると、店の前を通る人たちの会話がこの上なく楽しいもののように聞こえてきた。


 慣れない店での買い物というのは想像以上に緊張する。二十代と思しき女性店員の「贈り物ですか?」という言葉にまた平常心を失いながらも、なんとか買い物を終わらせることができた。


 その後は約束のカフェに入り、計画を練りながら紬がやってくるのを待つことにした。


 この旅で行きたい場所は今朝のうちに決めてあった。あとは予定と観光地の兼ね合いから適当な旅館を探すだけでいい。


 旅行のことを考えていると、行き着く先が命を絶つことだったとしても心が躍っているような気分になる。死ぬまでの間、紬が絶えず同じことを感じていてくれれば、それが彼女の救いに繋がるような気がしていた。


 そして、いままで紬を苦しめてきたものすべてに、それ以上の苦しみを経験してほしい。それはもちろん紬の親であり、惨状に気づけなかったクラスメイトたちであり、彼女を救えなかった大人たちであり、そして僕自身でもあった。


 最後の旅館を予約し終えたとき、突然、机に置いていたスマートフォンが大きな音を立てて振動し始めた。慌てて携帯を手に取り、応答ボタンを押す。秒数表示を見てから、律儀に出てやる必要はなかったことに気づいた。


「え、龍介?」


 電話の相手は龍介だった。不在着信が入っていたのだから、考えてみればかけ直してくるのは当然だ。


『詩摘。瀬川が昨日の夜から帰ってきていないらしい。どこにいるか知らないか』


 ざざっ。雑音が混ざるのを聞いて、先ほどまで波を打っていた心臓がゆっくりと収縮していく。「知ってるよ」、ほぼ反射のようなかたちで返事をしていた。電話の向こうから、不自然な沈黙が伝わってくる。


『……詩摘。無理矢理連れだしたんじゃないだろうな』


 声、電子音の混ざった言葉たちがなんとか鼓膜を通過し、数秒後、ようやく言語中枢へ溶け込んでいった。胸やけのような不快感が上昇してきて、それが口を衝いたとき、「僕が紬を助けるから」、同時に疼くような言葉が空気を震わせていた。


 それからようやく僕は、先ほどの質問に即答できたのは彼に対する当てつけだったことに気づいた。白々しく娘を探している母親にも、事情を知っているのに対処できなかった龍介にも、腹が立っていた。


『……一緒にいるんだな? 今どこにいる?』


 息が熱を帯びて、唇がやけどを負ったように痛んでいる。肺の空気を吐きだして、それから大きく吸い込んだあと、できるだけこの重たい感情が伝わるよう喉に力を入れた。


「いまから二人で自殺しに行く」


 ぴたり、電話の向こうから音がなくなった。いままで苦しんだ結果、自殺するしか選択肢がないことを誰かに知ってほしかった。「どうせ死ぬから」という制限を設けなければ幸せを探すことすらできない人間がいることに気づいてほしかった。


『……おい、何言ってんだ? 早ま――』


 返ってきた言葉には、ありきたりな偽善しか含まれていなかった。本当にどうしようもないことがそこにはあった。普通の人に、死にたい人の気持ちはわからない。いつか紬が言っていたとおりだった。


「早まってなんかない。よく考えた上での行動だよ。結局誰も紬のことをわかろうとしないんだ。自殺すること以外、救いなんてないのに」


 彼の声を遮って言ったあと、そのまま通話終了ボタンに親指を乗せた。そして電話帳から彼の連絡先を検索し、その番号を着信拒否に設定した。


 唐突に周囲の喧騒が息を吹き返し、いま電話をしていたことが別世界でのできごとだったのではないかと思えてきた。気分を紛らわせるため、コーヒーカップを手に取り、思いっきり喉へと流し込む。それから再びボールペンを握った。


 残りの交通手段を予約し終えるころにはちょうどコーヒーカップが空になっていた。追加で注文しようと思い、席を立つ。そのとき、「おまたせ」、うしろからやけに透き通った声がした。


「どう? 似合ってる?」


 そこには別人のような紬が立っていた。胸まであった髪は顎と肩の中間で切り揃えられ、毛先は何かに引っ張られるみたいに内側へ巻かれている。彼女が身体を動かすたび、ふわり、髪が柔らかそうに揺れた。


「かわいいと、思う」


 そう口にしたあと、自分が放った言葉を反芻してしまったせいで、身体中から顔へ熱が集まったような感覚になった。同時に、紬の丸くなっていた目がゆっくりと右下へ落っこちていく。「なら、よかった」、真っ赤な顔で紬が言った。胸の辺りがむず痒かった。


 飲み物を注文して席へ戻ったあと、紬には予約の確認をしてもらった。龍介から電話があったことは言わなかった。彼女はひととおり確認を終えると、「ありがとう」、花のような笑顔で言った。


「夜行バスまで時間あるけど何しようか」

「私、旅行のしおり作りたい」


 彼女はトートバッグを探ると、ここへ来る前に買ってきたのか、なかから新品のノートを取りだした。『自殺旅行のしおりを作る』、これまでリストの項目をこなすたびに抱いていた喪失感は、自殺することを決めた今でもなくなることはなかった。


 サイトで観光地の情報を調べて、自分なりにノートにまとめる。それは想像以上に楽しくて、気づけば夕食の時間を迎えようとしていた。結局しおりは半分ほどしか完成しなかったが、旅行中にすこしずつ書き加えていこうということで話が落ち着いた。


 明日から自殺するための旅が始まる。そのことは悲しくもあるが、紬にとってそれが最善であるなら、彼女に付き合うことこそが僕の命の正しい使い方だった。そうすることが僕の生まれてきた意味であるとさえ思えた。


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