第4章『繋いだ手が生む熱の重さ。』

4-1「哀れな男子高校生」

 連休の一日目、食糧の買い出しのため、早朝からスーパーへ向かっていた。時刻は午前七時、学校がある日ならまだ寝ている時間だ。もちろん早起きをしたわけではなく、夜更かしを経てこの時間まで活動していた結果、買い物に向かうのが遅くなってしまっただけである。


 昨日は学校から帰ってきてすぐに昼寝をしていたら、いつの間にか夜の十時を迎えていた。充分な睡眠時間を取ってしまったせいでなかなか寝付けず、ゲームをして時間を潰していたら気づけば朝がやってきてしまっていた。楽しい時間というのはあっという間である。


 龍介が部屋の片付けにやってくるのは夕方ごろだ。今夜は彼に高い寿司でも奢らせるとして、他の二食は自分で用意する必要があった。カゴを取ってカートに乗せ、お総菜コーナーのBGMを聞き流しながら冷凍食品のコーナーへ向かう。


 漫画などで一人暮らしの男性がカップラーメンを食べているシーンを見かけるが、お湯を沸かして注ぎ、三分待つという工程は積もり積もって大きな時間の浪費に繋がる。対して冷凍食品は電子レンジひとつで済むため、カップラーメンの数倍は効率がいい。冷凍食品を食べてばかりじゃ生活の質が、みたいなことを言うのは大体料理を作ってくれる親がいた側の人間だ。


 とにかく、この連休は家を出ず、龍介と会う以外はゲームや読書をすると決めている。連休なんてどこへ行っても人がぎちぎちに詰め込まれているのだから、わざわざそういう場所へ足を運ぶのは馬鹿のすることだ。


「詩摘くん、二二〇円の税込み価格っていくら?」


 心臓が跳ねた。冷凍食品へ手を伸ばしたまま、ぴたりと身体が硬直している。脳の端っこに、声の主が浮かんだ。


「……えっと、二四二円?」


 おもむろに振り返った先には「計算早いねー」と笑う紬の姿があった。こんな場所で何をしているのだろう。背後に見えるリュックサックは一体。まさか連休をうちで過ごすつもりなのでは。様々な疑問が膨張するみたいに広がり、脳細胞が圧死してしまいそうだった。


「なに、してるの?」

「でかけようよ。どうせゲームか読書か冷凍食品を温めるくらいしかやることないんだから。ね、暇でしょ?」

「……ひま、だけど」


 龍介には心のなかで「ごめん」と謝っておいた。同級生の女の子よりも叔父を優先する高校生男子が一体どこにいるのだろう。こればかりは仕方がないことだった。


 紬は手に持っていたお菓子の箱たちを買い物カゴへ放り込むと、僕からカートを奪い、「ほら、会計済ませるよ」とそのままレジのほうへ歩いていってしまった。感情の乗らない頭でなんとなく彼女の背中を追っている。


「早くしないと電車に乗り遅れちゃうよ」

「……何が?」


 彼女に促されるまま会計を行い、筋肉による自動操縦のようなかたちで一枚三円のビニール袋に食品を詰め込んでいく。店を出たあと、なぜか紬の先導で帰宅することになった。しれっと僕の金でお菓子を購入していることを咎める気にもなれない。


「買ってきたものはしまっておくから、いまから私が言うものを準備して」


 家に着くなり紬は冷蔵庫を探りながらそう言った。「え」、「あ」、「うん」、数文字を経てようやく返事のかたちをした声が飛びだす。


「まずは明日のぶんの着替え。あ、乗り物が苦手なら酔い止めとかあったほうがいいかも。あとは……」


 淡々と言葉を並べていく紬を、「……ちょ、っと待って」、慌てて制止する。彼女は心当たりがないみたいに首をかしげているが、僕がすぐにこの状況を飲み込めるとでも思っているのだろうか。


「旅行でもする気?」

「そうだよ」

「そうだよって」


 彼女の自殺を止めるため、龍介を頼るだけでなく、ノートの内容になるべく付き合わないようにする。そう決めて何度か断り続けていたのに、まさかこういうかたちで誘われるなんて思いもよらなかった。


「だって詩摘くんに最近断られてばっかなんだもん。ダメ?」

「いや、いいけど……」

「なんだその微妙な反応は」


 眉間に皺を寄せている紬から視線を逸らし、手元のリュックサックへ着地させる。彼女との旅行はたしかに楽しそうではあるが、それによってまた一歩自殺に近づいてしまうのはなんだかやりきれない。それに一応だが、龍介との予定もある。


 そうは言っても、最近僕は彼女の誘いを断りすぎていたのかもしれない。消極的な姿勢を見せすぎては自殺を止めようとしていることに勘づかれる可能性がある。


「ほら、いきなりすぎて思考が追いついていないというか……」

「安心して。宿とか特急の予約も、スケジュール組みもばっちりだから」

「噛み合ってないよ、話が」


 いくら反論してもどうせ同行することになるだろうから、僕は仕方なくリュックサックに荷物を詰め込むことにした。龍介には一応、『ごめん、友達と旅行することになった』と謝罪のメッセージを送っておいた。『お前、友達いたんだな』と返ってきた。


 最寄り駅の改札を通過したのは、彼女と帰宅してからちょうど一時間が経ったころだった。


 ホームの端で待機し、間もなくやってきた電車に乗り込む。一旦落ち着こうと窓の外を眺めていたとき、「なくしちゃダメだよ」と紬から特急券を渡された。長距離移動というのは「旅行している」という感覚があるからどうにか乗り越えられるが、心の準備がないまま何時間も電車に揺られていては退屈すぎて死んでしまうと思う。特急でよかった。


 早朝ということもあってか、同じ号車に乗っていたのは大学生らしき数人とくたびれたサラリーマンだけだった。他に乗っている人間と言えば、やけに明るい自殺志願者、それから同級生に無理矢理引っ張りだされた哀れな男子高校生の二人だけだ。


「連絡くれればよかったのに」

「携帯ねえ、取り上げられちゃったんですよう」

「えっ、なんで?」

「機嫌悪いとき、私を視界に映したことが不快だったんじゃないかなあ」


 昨日、好きな配信者がこんな動画を投稿しててさ。そういう日常の些細なことを話すみたいに言うから、どんな顔で相槌を打てばいいかわからなくなる。これは何度経験しても慣れることはなかった。


「そっか」、僕がなるべく抑揚のない声で答えたところ、「そうなんです」と同じく無理矢理元気を抑えたような声が返ってきた。

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