3-5「子供じゃない」

「知ってて、なんで放置してんだよっ」

「俺だっていろいろやってる」

「やってても変わってなきゃ意味ないだろ!」

「大人の問題なんだよ。詩摘、子どもの出る幕じゃない」

「子供じゃないっ!」


 つい大きな声が溢れて、周囲の客たちの視線が集まったとき、紬のノートを見つけた日のことを思いだした。あの日とは異なり、今回はなかなか他人の視線が散らばらなかった。どちらにせよ、恥は、身体を巡る熱を抑制するには至らなかった。


「紬がどれだけ苦しんでるかわかってんの?」


 座れ馬鹿、とだけ龍介は言った。僕を制止しながら、焦げて網にくっついた肉を自分の皿に入れ、焼き上がったばかりの肉を僕の皿に放り込む。それだけで、彼を責める気持ちがすこし和らいでしまった。


「裁判、後見人、親権、それからその後の生活もか。お前にできんの? 瀬川と仲がいい鈴木とか青山が気づいてないんだろ? で、前の担任も、校内カウンセラーに言われるまで知らなかった。隠してんだよ、瀬川の親は。慎重にやらないといけないの。いいから黙って肉食え」


 彼にぶつけることで鬱憤を解消できるような、ちょうどいい言葉は見つからなかった。たしかに僕は何もできないのかもしれない。紬が「大人は信じられない」と言った気持ちがすこしわかって、反対に、大人でも何もできないくらい大きな問題だということを再認識させられた。


「……龍介の家に住ませればいいじゃん。奥さん出ていったんだし」

「無理。教員として生徒を連れ込んだほうが問題になるし、親が同意しなければ誘拐になる」

「児童相談所」

「……あのさあ、俺ってそんなに何も考えてないように見える? 児童相談所は通告から四十八時間以内に訪問しないといけないの。充分な証拠がないまま訪問してみろ? 何も掴めないまま児相の人は帰って、そのあと瀬川はどうなる?」


 胃がぎゅっと絞られるみたいな感覚になって、僕は、何も言い返せずにいた。いくら空気を吸っても、肺のなかは真空になっている気がする。紬が自殺しようとしている理由。生き延びることを一切考えていない様子の背景には、こういったいくつもの絶望があるのかもしれなかった。


「そう」、間を置いて紡いだ返事は、少しどころか、かなりの棘を帯びてしまった。


「俺もいろいろやってんだよ」

「……龍介。僕にできることは、ないのかな」

「万が一、自殺したいなんて考えだしたら大変だ。俺らがどうにかするまでの間、居場所になってくれれば充分だよ。いいから早く肉食えよ。冷めるぞ」


 花火大会の日、紬は僕の家に泊まった。年頃の男女らしいことは何も起きていない。ただ、彼女に明け渡したベッドから聞こえてきた、堪えるような嗚咽がいつまで経っても頭から離れなかった。


 すでに自殺の準備を始めている、とは言えなかった。でも、紬を不幸から救いだす手立ては、以前よりも明確になったように思う。


『私、後悔してるんだ。リストを放棄して自殺しようとしたこと。だから私、ちゃんと全部こなそうと思う』


『遊園地に行く』という項目をこなしている最中、僕が観覧車の最高点であまりの高さにガタガタ震えているとき、紬はたしかにそう言っていた。


 肉の脂でむせ返りながら、これだ、と思った。


 僕がリストの進行を妨害し続けたら、紬はそのうち自殺する気がなくなるのではないか。とにかく、死んでしまったら全てが終わりだが、生きていれば考えを変えるかもしれない。いつか彼女が「生きててよかった」と笑えるよう、僕は彼女のしたいことをどうにかして妨害すればいい。


 待望の連休がやってきたのは、クラスの喧騒に当てられ続けて二週間が経ったころだった。特にクラスメイトと言葉を交していたわけではないが、やはり人が多い場所では神経を削られていくような感覚になる。


 紬をどうにかするために、とにかくこの連休は心を休めるべきだ。紬から一旦離れ、連休中に彼女の自殺を止める計画を練っておこう。そう考えていたのに、三連休の初日、僕はなぜか紬と一緒に見知らぬ駅のホームに立っていた。


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