3-4「恋愛相談」
食えるよそれ、と言いながら龍介は僕の取り皿に山盛りの肉を放った。僕は適当にお礼を言いながらそのうちの一枚を箸でつまむ。龍介は横を通った店員を呼び止めると、ビールとオレンジジュース、それからカルビを二人前注文した。
「最近どうなの?」
「あのさ。龍介はなんでいつも僕の近況を知りたがるの」
「嫁に様子を見てやれって言われたんだよ。あと、他に話題がない」
「え、帰ってきたの?」
龍介は残り数口ぶんのビールを一気に煽ると、「まさか」、わざとらしく肩をすくめて言った。
「でもやりとりはしてる。あと、お前ん家の片付け手伝ってやれって」
「へえ。複雑だね。ちなみに片付けはいらないから」
「他人事だと思いやがって。俺があとで大変なんだよ。今度の連休、家行くから。で、近況」
「別に。普通だよ。何も変わんない」
脂が乗ったものは大抵美味しい。大人になったら胃が脂を受け付けなくなるとか甘い物が食べられないとか言うけど、美味しいものが美味しいことに変わりはないと思う。龍介だって先ほどからカルビしか注文していない。
「たしかに最近もいつもどおり端っこで本読んでるもんな。そろそろ友達作れよ」
「追々ね」
「追々って何だよ」
夏休みが終わって学校生活が再開すると、いつの間にか生活リズムが規則正しいものに戻っているから不思議だ。初日は眠くて仕方がなかったが、少しずつ起床時間が普段どおりになっていき、一週間が経つころには健全な男子高校生そのものになってしまった。残念ながら相変わらず食事は冷凍食品のままだ。
紬との距離がいくら縮まったとしても、学校生活における僕たちの関係はほとんど変わらなかった。彼女は朝からクラスメイトと騒いでいるようだし、僕は休み時間の大部分を読書に費やしている。その基本的な部分が揺らぐことはなかった。
とは言え、関係の変化とは少し違うが、耳がやたら彼女の話し声を拾うようになった。時間があれば紬は誰かと言葉を交しているから、嫌でも会話の内容が入り込んでくる。
そのうちすべてを笑顔でこなしている彼女を見ていると、異様な光景だなと思う。本気で自殺を考えている人間でも上手く社会に溶け込むことができるらしい。もしかしたら僕が気づいていないだけで、よく知るコミュニティにも自殺志願者が紛れ込んでいるかもしれない。
自殺するまでにしたい100の項目は順調に消化されている。もちろん僕も半ば強制的に付き合わされた。その内容は『猫カフェに行く』という簡単なものや『宝くじを当てる』という一見無謀そうなものなど、本当に多種多様だった。
ちなみに宝くじの項目に関してはなかなか当選せず、頭を下げられた僕が渋々協力したところ、ようやく五百円の引換券を手に入れた。どうやら彼女はそれで満足してくれたようだった。
『大学に行ってみたい』、『カラオケしたい』、『釣りをしてみる』。そういうリストのなかで最も苦痛だったのは、『男の子の格好をしてでかける』というものだった。「パートナーには女装をさせる」という明らかに書き足したであろう文章のせいで、反論も虚しく僕は紬の服を着て外を歩くことになってしまったのだ。
紬の服を身に纏っているという非日常感は最初だけで、知り合いに見られたらという羞恥を抱えていた僕にその日の記憶はほとんど残っていない。唯一の利点は、紬のショートカットという新しい一面を見れたことくらいだ。
「肉、溜まってんぞ。もうギブアップか?」
我に返って顔を上げた先、龍介が嘲笑するような表情を浮かべている。「食べ盛り、なめるなよ」と言ったところ、「その意気だ」と返ってきた。彼は自分が奢ることを忘れているのではないかと心配になる。
そういえば紬と焼肉にも行ったな、と思った。あの項目をこなしている間、僕は、どうすれば彼女の自殺を止めることができるのか考えていた。自分にできることは、可能な限りしてやりたかった。
僕だけの力で紬を止めることはきっと不可能だ。紬が自殺をやめたとして、その先幸せになる未来がまったく見えない。母親のいる家庭で、紬は幸せになれない。
貴重な時間を無駄にして龍介の「メシ行こうぜ」に乗った狙いは、そこにあった。
「あのさ、相談があるんだけど」
「お、なんだ、珍しいな」
「紬のことなんだけどさ」
「恋愛相談なら他を当たってくれ。それとも、ようやく住む世界が違うことに気づいたか?」
へらへらと冷やかしの言葉を並べる龍介に若干の苛立ちを覚えつつも、肉と白米を飲み込むことで苦言ごと胃に押し込む。さっきまでより、白米の比率は高くなっていた。
「いや、真面目な話」
僕がそう言った瞬間、龍介の顔から笑みが消えた。ジョッキに伸びた手が、取っ手を掴むことなく机の上へと置かれる。その意味をよく理解できないまま、僕は話を続けた。
「紬の家庭に、なにかよくない事情があるっぽいんだよね」
言葉を濁した上に自殺したがっていることを話さなかったのは、彼女が必死になって隠してきた日常を守るためだった。間違った選択かもしれないが、彼女が普通を装って生きてきたことの積み重ねをできるだけ壊したくなかった。
龍介の返事は、僕が想像していたものと、全く違っていた。
「……ああ」
「え、なに、その反応」
「いや……」
龍介はバツが悪そうに頭を掻く。行き場のなさそうな手がジョッキを掴んで、離し、おしぼりに着地するを繰り返している。「え、ねえ」、振動、腹の底からせり上がってくる熱の塊が、「いや、まさか」、頭のなかに並んでいた文字列を端っこから破壊していった。
「龍介、まさかとは思うけど、知ってたんじゃないよね?」
「……前の担任から引き継いだよ。『そういう事情』の疑いがあるって」
「は?」
気づけば立ち上がっていた。金網のずっと下のほうから放たれた熱、明らかにそれとは別の熱が身体を蝕んでいく。
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