1-3「自殺幇助罪成立?」
結論から言うと、自称自殺志願者の「明日、ひま?」から始まった七月十日は最悪だった。
まず僕は訳もわからないままホームセンターへ連行され、彼女の「選んで」という言葉のままロープを選ぶことになった。その行動が『首を吊って死ぬ』という項目に沿ったものだということはすぐに気がついた。それと同時に事実と冗談で均衡していた天秤が、ほんの少し、事実のほうへ傾いた。
僕の姿を後ろから写真に収めていたらしい彼女は、「これで自殺幇助罪成立だね」と、この世の悪いことなど何も知らないみたいな顔で笑った。そんなことで罪が成立するとは思えないが、残念ながら僕はその方面に関する知識に自信がなかったのだ。
「このこと、遺書に書かれたくなかったら私が死ぬまでリストに付き合って」
「嫌だよ。一緒に行動し始めてから自殺されたら、僕のせいだと思われるじゃん」
「じゃあ遺書に書くね」
話が進まない。いやそもそも進む余地がないのだ。ここで頷くか、首を横に振って彼女の自殺に協力した犯罪者として学校中に名を馳せるか。彼女の策に嵌まったせいでそのどちらかを選ぶしかなかった。
「自殺志願者と一緒に行動できるなんて、そうない機会だよ」
何を言っても彼女が解放してくれるような気配はない。だから特に予定もなかったし、彼女の自殺ごっこ(仮)に付き合ってみることにした。
「……少しの間だけだからな」
「やった」
彼女は満足そうに笑ったあと、「じゃあ、さっそく」、買ったばかりのロープを取りだしながら言った。苛立ちとか不安とか、それからわずかな期待とか。そういう感情の塊が呼吸に乗って身体の外へ滲みだしている。
「このあとどうしようか」
「どうしようか、とは」
今度はノートを取りだし、「何しようかなあ」と独りで呟くみたいに言った。テンポの悪いやりとりに思わず溜息が漏れる。
「やりたいことをやればいいじゃん。水族館に行くとか」
たしかあのノートに『水族館に行く』という項目があったはずだ。僕の提案を聞いた紬は不満そうに口を尖らせると、「やっぱりノートの内容、覚えてる」、いつの間にか手にしていたボールペンの、尖っていないほうを僕に向けてそう言った。擦って消せるラバー部分を向けたところでなんの脅しにもならないことを、彼女に伝えてやるべきだろうか。
「悪気はなかった」
「じゃあ君が行きたいって言うから、水族館にしよう」
「言ってないけど」
「楽しみだなあ」
人にロープを選ばせて嵌めるという悪魔じみた行動をするくせに、水族館程度のものに目を輝かせるから人間という生き物は信用ならない。彼女はグラスに半分ほどのアイスティーを煽ったあと、「よし行こう」、勢いよく立ち上がった。
店の外は陽射しが強く、少しでも日向に長居すれば日光が身体を貫通してしまいそうだった。カフェの空調で冷えたこの身体もすぐに無効化されることだろう。
「ねえ、瀬川」
「紬ね」
「瀬川はなんで自殺しようとしてるの?」
「紬」
「つむぎ、さんはなんで」
「紬」
「……紬、は」
「なーに、詩摘くん」
自分は敬称付けなのかよ。そう思ったが、不毛で面倒なやりとりをする姿が目に浮かんので口には出さなかった。しかしどうやら表情には現われてしまっていたようで、「怖い顔、しない」と肩を叩かれた。苛立ちのレベルが一段階上がった。
「……紬、はなんで自殺しようとしてるの?」
「死にたいからだよ」
視界の端から、彼女の得意げな笑みが割り込んできている。なるほど、自殺志願者というのは普通の人間のような会話ができないのかもしれない。
「……答えになってないけど」
「私、『瀬川』って苗字が好きじゃないんだ」
「あれ、僕の日本語が下手なのかな。それとも瀬川は話すのが苦手?」
「紬、ね」
「はい、うん、ごめん」
正直なところ自分に生きている価値があるとは思えないが、だからといって死にたいと思ったことはない。死後の概念が存在するのはあくまでフィクションの世界だけだ。人は死んだら無になる。自らそれを望むなんて、やっぱり理解できなかった。
「で、せが……」
「SEGA? 寄ってく?」
彼女がまた得意げな顔で通り沿いのゲームセンターを指さしたから、「いや、いい」と首を振っておいた。もしこの世に迷惑という概念がなければ、僕は今すぐ大声とともに走りだしていただろう。
「一応言うだけ言っておくけど、自殺はダメだと思う」
「はあい。じゃあこっちも一応訊いとくけど、なんでダメなの?」
「普通に考えて」
彼女はちいさく笑ったあと、立ち止まり、僕の顔をじっと覗き込んできた。顔に熱が集まってきているのはそこが太陽に一番近い部位だからだろう。それで間違いはないはずだ。
「『普通』の理論で私の自殺を止めることはできないと思うよ」
彼女が言葉を終えて歩きだすと、つられたみたいに僕の足が次の一歩を踏みだした。
鋭い陽射しにジリジリと肌を焼かれ、身体が蒸発しそうになっている。複合施設に入るのがもう少し遅かったら今ごろ僕は焼肉になっていたはずだ。
しかし室内でも夏の太陽は追撃の手を緩める気がないらしく、エスカレーターへ足を踏み入れたあとも、外からやってくる熱気は僕の後ろに並んでいるようだった。
「……別に、『なんで止めなかったの』って誰かに詰め寄られたときの保険として言っただけだから」
「誰かって、誰?」
「君の親、とか」
施設内はかなり強めに冷房が効いていたようで、上方からやってきた風が額の汗で覆われている部分を冷たく撫でていった。そこらの店とか教室とか、そういう人が多い場所の空調はなぜこれほど温度が低いのだろう。冷え性の僕にとっては優しくない采配だ。
なかなか返事がしないと思って隣へ視線を送ると、彼女は胸の内側で堪えるように笑っていた。気づかなかったフリをして、そのまま歩き続ける。
「うちの親、そんなこと言わないよ」
彼女はいつの間にかハンディファンを片手に、「暑いねー」などと呆けた顔で呟いていた。どっちの意味だろう、と思った。呑気にまた「暑い」と笑う声の隙間から、ファンの空気を擦る音が微かに聞こえてくる。
突然、横から冷たい風が飛んできた。彼女がファンをこちらへ向けたようだった。寒いからやめてほしいことを伝えると、「寒がり」とか「貧弱」とか、悪口らしき言葉が返ってきた。
彼女は何に対してもポジティブなのかもしれない。自殺することとか、普通は暗く考えそうな部分も彼女は明るく考えている。僕の想像する瀬川紬というクラスメイトは、まさにそういう人間だった。
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