第一部①「君を待つ夜」

「脈拍よし。顔色よし。呼吸もよし。あとは起きてもらうだけだね」


 冷たい空気の漂う薄暗い地下室に、凛とした声が響いている。声の主は、紙束で散らかった地下室の中心で、消えかけの蝋燭の光を頼りに分厚い本を捲っている。名をリリス、姓はグライアイ。背はそれほど大きくはなく、長い金の髪を炎のように赤いリボンで結び、背中に流している。顔立ちは少女のようであるが、数百年前に魔導師の村を作った張本人である。


 リリスは暫しペンを片手に本を睨んでいたが、納得した様子で小さく息を吐くとそれを閉じ、背表紙に指を軽く滑らせた。すると、本はまるで意思を持ったようにふわりと宙を舞い、壁一面に並ぶ本棚の内の一つにその身を滑り込ませ、何事もなかったように動かなくなった。次いで、夜を映したような濃紺の瞳を動かして、傍らに置かれた透明な液体の満たされた大きな箱を見遣る。いや、正確には、箱の中に沈む赤い髪の青年を。彼は、リリスが十年の時をかけて作り上げた、二種以上の種族を合成した混血と呼ばれる者であった。


 リリスは命を造ることが出来た。莫大な魔力を持つ彼女の寿命は、魔力に比例して随分と長く、村に暮らすどの魔法使いも彼女の半分も生きてはいないと言われる程である。そんな彼女が得た知識では、命を造ることは簡単とは言えなくとも可能であった。これまでにも五人、ヒトを主とした混血を造っていたし、彼らは個としての意思を有していた。


 ──彼女はどうやって命を造っているのか? その方法は大量の魔力や高度な魔力の操作技術を必要としているが、流れ自体は単純である。まずは二つの肉体を生成し、混ぜ合わせることで器を造る。次に、仮初の記憶を一時的に与えて精神を生み出すと同時に、生命としての活動を肉体に開始させる。そして与えた記憶を消し、代わりに生きる上で必要な最低限の知識を与えると、体内から吸い出し液化させていた魔力を肉体へ吸収させ、目覚めさせるのだ。


 ここまでの作業は終えた。後は彼が目覚めるのを待つだけなのだが、張っていた液体を全て吸収しても青年の瞼はピクリとも動かない。顔色は先程確認した通り生きた人間のそれと同じであるし、呼吸音も聞こえている。


「まさか、この量では活動のための魔力が足りなかったのか? そうだとしたら、急がなければこのまま目を覚まさないかもしれない……!」


 魔力は通常、目には見えずとも空気のように漂い、水や大地にも含まれている。天界、魔界という二つの場所に其々魔力を生み出し続ける源流があり、二界の狭間にある人間界にはその魔力の一部が流れ込んでいる。孤立した空間に作られたこの村は、人間界よりずっと二界に近いため、流れる魔力が多いのだ。そのため、魔法の使用や傷の回復で不足した魔力は、眠ったり村で作られた食物を摂取することで補うことができる。

 しかし、睡眠で魔力を得るには時間がかかり、食事の場合は回復量が少ない。生きるための魔力が中途半端に足りないまま眠っている目の前の青年は、この二つの方法では死んでしまう方が早いだろう。リリスは何かを思いついたように辺りを見渡すと、部屋の隅に転がっていた桶を拾い、穴が空いていないのを確認すると、それを持って館を飛び出した。




 村を中心としてリリスの館から東北側の外れには、水道の開発・設置により殆ど使われなくなった井戸がある。水道は水を送るために、水に含まれた魔力の殆どを自動で消費してしまう仕組みだ。だが、井戸から直に汲み上げる水は高濃度の魔力を含んだまま扱うことが出来る。青年の欠乏している魔力を補うのに、最適な素材だ。


 村の大通りに出ると、道に沿って並ぶ家々に灯りは少なく、日が変わる間際であることを知らせている。二、三人の村人とすれ違い、驚かれながらも小声で挨拶する彼らに挨拶を返しつつ走り抜ける。思えば館を出たのは一月ぶりだ。

 新しい村人が来れば、魔法で思念体を作り出して導くくらいはしているのだが、身体は館にあるままなため外出とは全く言えない。混血を作る間はなるべく魔力を注ぎ続けなければならず、どうしても籠りがちになるのだ。

 作業が落ち着いた頃に館を出れば村人と話をし、館に居た間に起きたことを確認するものだが、急いでいる今はそんな暇もない。


 久々に動かした身体は思った以上に不自由で、井戸に着く頃には僅かにあった家々の灯りは全て消えていた。息を切らしながら縄を引き、水を桶一杯に流し込む。先程よりも負担のかかる帰路を想像し、リリスは少し休憩しようと側にあった切り株に腰掛けた。しかし、直ぐに立ち上がった。


(魔界の魔力がやけに流れ込んできている……?)


 リリスがその気配を感じたとおり、空中に歪な形の裂け目が突然現れた。裂け目は広がって穴になり、その向こうには黒い地面と赤い空が見える。亡者とその管理者の世界──魔界だ。


「全く……天界と魔界の狭間とは言え、ここはお前達の領域ではないよ」


 穴から這い出した数匹の狼の数を確認しながら、リリスは呆れたように呟いた。魔界には人に似た姿を持つ管理者の魔族と、魔族より生前の罪に見合った罰を受けている亡者、そして亡者が魔界の魔力を取り込んでしまい、異形の身体を得た魔物の三種類が主として存在している。

 目前の狼達は魔物であるが、一口に魔物と言っても上中下と階級もあり、獣の見た目であるものの多くは知能の低い下級の魔物だ。本能で動き、かつて失った身体の代わりを求める。

 頻繁に入り込む下級魔物は、普段は館から魔法だけを飛ばして対処しているが、今のリリスは本体である。仕留め損なうことはない。魔物はある程度傷付けられると魔力の不足により身体が消滅し、魂は魔界へと還るのだ。


 ゆっくり近づいてくる五体の狼各々に、指先が向くように右手を構える。するとリリスの掌から半透明の青い蝶が五匹、ひらひらと羽ばたきながら現れた。蝶は加速して狼に向かっていくと、その身に触れた途端氷の柱となり狼の腹を貫く。これは「魔弾」と呼ばれる魔法で、火や氷といった性質の魔力を弾丸として打ち出し、対象に触れさせることで発動させるものだ。弾丸は普通一直線にしか進まないが、生物の姿にすることで対象の追尾等をさせることができる。


 腹に柱の刺さった狼達の肢体は霧となり、残った淡く光を放つ球体、魂が魔界へ通ずる穴へと戻っていく。呆気ないなと溜め息を吐き、穴が消えるのを確認して振り返る。


「……ッ!」


 そこに、三つ首の巨大な狼が二頭、口を開けてこちらを睨んでいた。

 その背後に、先程消えたものより数倍大きい穴が空いている。魔法の発動時は、他者の魔力の感知が遮断されてしまう。その一瞬に、この二頭は現れたのだ。


(この魔力の量……中級魔物が何故!?)


 中級以上の魔物は身体自体やその維持に魔力が多量に必要であるため、直接魔力を生み出す存在がないこの狭間の世界に進んでは来ない筈である。考えることに気を取られ反応の遅れたリリスに、片方の狼が容赦なく襲い掛かる。


「しまっ……!」


 咄嗟に目を閉じて頭を庇うが、数秒経過してもその腕に牙が刺さるような感覚は感じられない。どうなっているんだ、と目を開けてみれば激しく燃える炎に包まれ苦しむ魔物の姿があった。そして、自分を庇うように立つ炎と同色の髪の青年、その竜のような翼を生やした背中も。


「おはようございます、主」


 振り返った青年の炎に照らされた顔は、この状況には全く似つかわしくない優しげな雰囲気を帯びていた。リリスに短く挨拶をし、その無事を確認すると、彼はふんわりと微笑んだ。




End

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「Verbindung」 @naratsuki_10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ