雪についた足跡をたどってみたら…

碧月 葉

雪についた足跡をたどってみたら…

 一晩で世界は変わっていた。


 家から出ると、きらきら光が飛び込んできて、目が眩んだ。


 きのうの夜は、ヒュウーヒューと風が唸っていた。

 屋根がガタガタ音をたて、ときどき家は揺れた。

 僕は震えながら、妹と身を寄せ合って眠った。

 朝方になると風が止んで、外は急に静かになった。


 母さんが家に帰って来なくなって、何日も経つ。

「天気の悪い日は、外に出てはいけないよ。危険がたくさんあるからね」

 そう言いつけられていたから、ここ2日は外に出ず、家に篭っていたから、何も食べていない。

 僕と妹のおなかはグーグー音を立てている。


 朝になり、僕らは表を覗いてびっくりした。

 そこは、僕の体のように真っ白になっていた。

 お日様に照らされた地面は、星を集めたみたいに輝いていた。

「お兄ちゃん、とっても綺麗だね」

 妹は、白いふわふわの上に肉球を乗せると、その冷たさに驚いて、まだら模様の背中をプルッとを震わせた。

「お兄ちゃん、これが母さんの言っていた『雪』かしら?」

 前足で、白い地面を突っつきながら妹が言った。

「そうだろうね。でも母さんが教えてくれたように雪って厄介たよ。これじゃ何も見えないや。食べ物がみんな隠れてしまった。これじゃ虫一匹見つける事も難しい」

 降り積もった雪は、全てを覆い隠してしまった。僕は周囲を恨めしく見渡す。

 

 妹を家に残し、僕は食料を探しに出掛けた。

 縄張り内を歩いていると、筋肉ムキムキの大きい茶色の犬を連れたおじさんが、ギロリと僕を睨んだ。

 あの人、いつも僕らのこと見張っているんだ。


 母さんが言ってた。一番怖いのは人間だって。

 母さんの兄弟達は、人間に捕まって川に流されたんだって。

 友人達も捕まったら二度と見かけないらしい。

 飼い猫の奴が言うには、人間は野良である僕らを捕まえて殺すんだそうだ。

 きっとあのおじさんも、僕らをどう捕まえようか考えているに違いない。

 

 色々見て回ったけれど、いつものえさ場は雪に埋もれて何も手に入れることはできなかった。

 全てが凍り付き、飲み水を確保することすら難しい。


 とぼとぼ歩いていくと、木の上から声がした。

「チュンチュンチュン……」

 

 雀だ。

 枝にとまったり、地面に降りたりをして遊んでいる。

 魅力的な獲物。

 母さんは、練習用によく捕まえてくれたけれど、僕が一人で獲ったことなんてない。

 

 真っ白な僕の体は景色に溶け込み、相手は全く気づいていない。

 これはチャンスだ。

 僕は、おしりをフリフリと揺らして臨戦態勢をとる。

 

 パタパタ……

 

 一羽の雀が地面に降りた。

 一瞬だった。

 僕は狙いを定めて飛びかかった。


 雀が気づくよりも早く、僕の牙は相手の喉元をとらえた。

 

 大物だ。やった。

 これでお腹一杯になれるよ。


 僕は雀を咥えて、家に向かって夢中で走った。

 途中からまた雪が降ってきた。


 家に帰って声をかけたのに、妹は出て来ない。

 中に入って探したけれど、彼女はどこにも居なかった。

 周囲の匂いを探る。

 次々と降り積もる雪は、あらゆる気配を覆い隠してしまう。


 呼んでも呼んでも、返事は無かった。


 ふと、低い威嚇が聞こえた。

 巨体を揺らし、この辺りの野良の頂点に立つボスがこちらへやってきた。

 ニヤリと笑って僕の雀を見ている。


 敵うはずもない。

 ボスは悠々と雀を持ち去った。



 エサも取れない。

 お腹が空いた。

 寒い。

 そして、妹は居ない。


 もう、どうして良いか分からない。

 

 僕は、妹を探して雪が吹きつける道なき道を進んだ。

 僕の体も雪に埋もれそうになった時、足跡に出会った。

 足跡は、何もない白く広がる地面に道を造っていた。

 僕は、無心にその足跡をたどった。


 しばらく行くと、前に進みたいのに、体が言うこと聞かなくなってきた。

 もう一歩がでなくなって、僕はうずくまった。

 

 僕の体にも雪が降る。

 雪は、白い世界に僕を閉じ込めようとしている。



 ペロペロ、ペロペロ


 誰かが僕を舐めた。

 あったかい。

 母さんが、迎えに来たのかなぁ。


 薄っすら目を開けると、茶色の厳つい顔があった。

 おっかない、あの茶色の犬だ。

 逃げようとしても、僕の身体は動かない。


「どうしたぁ、花子?」

 声がして、人間が覗き込んできた。


 あのおじさんだ。


 これで僕はもう本当にお終いだ。

 でも、いいんだきっと。

 もう家族もいない。

 

 その時、僕はもうこれで死んだと思った。


 けれど、思いがけず優しい手つきで、おじさんは僕を雪の中から抱き上げたんだ。


 


 おじさんは、その後直ぐに僕を病院に連れて行ってくれた。

 僕は、暖かい家の中でその冬を越した。

 雪の中、僕に気づいてくれた花子さんは、見かけはゴツいけれど、とても気のいいお姉さんで、僕は彼女に大分慰められた。


 僕はその次の冬も、またその次の冬も暖かい家で過ごした。

 おじさんは、僕を家族に迎えてくれたんだ。

 

 今も僕は、燃える暖炉の前で花子さんの腕に頭を預けながら寛いでいる。

 あの時、あの足跡に出会わなければ、僕はどうなっていただろう。

 わしゃわしゃっと、ぼくらの頭を撫でるおじさんに、僕は親愛を込めてひと鳴きした。



 

 そうそう。

 逞しい美猫になった妹と、思いがけない再会を果たすのは、また別のお話……。

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雪についた足跡をたどってみたら… 碧月 葉 @momobeko

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