アドバイスの危険
久野真一
アドバイスの危険
皆さん、アドバイスしてますか?たぶんしてますよね。よっぽど他人に無関心な人でない限り、成長していくにつれ、色々なアドバイスをしたいという
アドバイスをしたいという欲望であってそれ自体は必ずしも良いことではないという意味を含めたことに注意してください。過去の私もあるいはこれまでアドバイスをしてきた人も、必ずしもそれが「身勝手な欲望の発露」であるとは認識できておらず、「相手のためになる行動」だと少なからず考えているように思います。
しかし、相手から明示的に助けを求められた場合はともかくとして、そうでない時のアドバイスというのは本質的にはとても
仕事で関係しない相手のアドバイスだって、当人は(過去の私がそう思ったわけですが)「そのままだと相手は明らかに良くない方向に行く」から「アドバイスによってなんとか助けてやりたいのだ」という形でその欲望を善行として正当化しようとするものの、言ってしまえば「良くない方向に向かっている友人・知人を見ているのが辛くて苦しみから解放されたい」が根源だと思うのですよね。まさに自分がそういう性格なのですが。
食欲に善悪がないようにアドバイス欲それ自体には善悪はありません。求められていない場合ですら相手を良い方向に導くことは多々あります。しかし、相手に致命的な傷を負わせてしまう危険なアドバイスが存在することも確かです。
創作の文脈ですと
というわけで、これまでの苦い経験を思い起こして、こういうアドバイスは毒なので注意した方がいいよというお話を書いてみようと思います。毒とは言いましたが毒が転じて薬になることもあるので、承知の上でなら毒になるアドバイスを飲ませることも私自身はアリだと思います。
私の三十数年の人生経験を振り返っても、毒が後々で薬になった事例は多々ありますし。ただ、それは私の心が割とタフだったということも大きくて、繊細なメンタルを持つ人にとって致命傷になりかねないアドバイスが存在することも心しておいた方が良いです。
・原則:相手の人生や人格を否定するアドバイスはいかなる形でもすべきでない
アドバイスの中で特に猛毒なのがこのタイプです。たとえば、友人関係に恵まれていない、仕事でいつも失敗している、人間関係でいつも衝突を起こしている、そんな人に対してついアドバイスをしてしまったことはありませんか?
「そんなんじゃこの先の人生で困るよ」と。あるいは、
「そんなんじゃ社会人やっていけないよ」と。
私は何度かこの手の猛毒になるアドバイスをしてしまったことがあります。しかし、これってとても罪深い事ではないかと思うのですよ。だって、その人にとって今の人格や性格はすぐに変えられるわけがない。頑張って変えるにせよ、それなりの時間がかかるのは必然です。あるいは、アドバイスされている当人だってすでに改善の努力を始めているかもしれない。そういった事情を斟酌せずに上から目線でものを言っているわけですから。
もちろん、「この先困るよ」というのは「客観的な予測としてはおおむね正しい」かるかもしれません。しかし、その人の人生で後々困ったことがあるたびに、強い毒を持ったアドバイスが相手の脳内で繰り返し繰り返し再生された結果、当人の状況が改善されても自分を肯定できなくなる人を生んでしまう危険性を孕んでいます。
昨今よく見る自己肯定感が著しく低い人も、境遇を聞いていると親に自己を否定されり友人に自己を否定されたという経験を繰り返したケースが非常に多いようです。あるいは、猛毒になるアドバイスを受けた人は、自己肯定感が育ちにくくなるとも言えるかもしれません。
相手の人生を大きく歪める覚悟がなければそんなアドバイスはしない方がマシです。相手が後で困っているのを聞いて「アドバイスに従わなかったからだ。言わんこっちゃない」と思っている人もいるかもしれまん。そういう人も割と観測するのですが、アドバイスという名の呪いで相手の人生を狂わせているのかもしれませんよ。
相手そのものを否定するアドバイスをしたくなった時は「何も言わない方がまだ相手の人生にとって良いかもしれない」という視点を持つことも重要です。
・危険なアドバイス(1):求められていないアドバイス
観察する限り多くのアドバイスは当人が求めていないものです。当人が「こういうことで困っているので助言ください」と言っていない場合のアドバイスは相手のためになるどころか関係にひびを入れるだけに終わることが多いです。相手が苦言を受け入れるだけの度量がある場合は薬になる可能性もありますが、余裕がない相手に向かって苦言を呈するのはかなりリスキーです。
求められていないけど、相手を助けるために何かを言ってあげたいなら「提案」という形をとるのは一つの手段です。何度も繰り返し提案したらやっぱり鬱陶しいものですが、一度提案してみることは悪いものではありません。
・危険なアドバイス(2):相手の状況がよくわかっていない状態でのアドバイス
相手が助言を望んでいたとしても、状況がよくわかっていない時のアドバイスは危険です。特に人間関係に絡むアドバイスで起きがちな失敗で、相手の端的な説明だけで状況が全部わかったと思って短絡的に「~すべき」と言ってしまうケースですね。ネット上だとYahoo!知恵袋や発言小町などでよく見ます。
相手と深い関係にあって、思いのたけを存分に吐き出した上でならともかく、多くのアドバイスはしばしば相手の状況が見えていません。
たとえば、仕事でイライラしがちで周りと衝突している人に対して「もうちょっとイライラを抑えなよ」というアドバイスをしたとしましょう。これは正論ではあっても、きっと本質を突いていません。根源にあるのはその人がストレスを貯めすぎていることであって、ストレスの解消法を見つけるとか、あるいは一時的な措置として、怒りを抑える処方箋がおそらく必要なものです。
あるいは、イラつきがちな事自体は自覚できていてもどう直せばいいのかがわからないのかもしれません。そういった諸々が相談内容に含まれているかどうかは不明ですし、自己表現が上手でない方の場合は、往々にしてアドバイスに必要な情報が欠落したまま話してしまうことがあります。
それなのに「イライラするのは良くないよ」と言われたら、自責的な人は「わかってるんだけど、またやっちゃった」と落ち込むでしょうし、他責的な人は「それくらいわかってるっつーの」と怒りを強める可能性が高いです。
明言されてない相手の状況に思いを巡らせてみることも時に重要です。
・危険なアドバイス(3):問題を自覚している相手に追撃するアドバイス
これもやらかしがちじゃないでしょうか。本人は問題を自覚していると言っているのに聞いている方は「いや、わかっていない」と言ってしまうパターン。「その自覚の方向がおかしい」と言いたくなることもありますが、当人が「わかっている」と主張しているのに「いや、わかっていない」というコミュニケーションはほとんどのケースで「理不尽なことを言われた」という恨みとなって残るでしょう。それに「自覚の方向がおかしい」と思い込んでるだけで、案外その人は表現がただ上手くないのかもしれません。
聞く側に余裕があるなら「問題を自覚している」のに何故治せないのか、あるいはなぜ本来自覚すべき問題とずれてしまっているのかを傾聴してみるのも良いかもしれません。
他にもいろいろなパターンはありますが、この3つはリスクが高いアドバイスと言えるのではないかと思います。
私も含めて人はついアドバイスしたくなる生き物ですが、本来必要なのはまず傾聴、つまり相手の状況にただ耳を傾けることであって、その後にアドバイスが来るべきことなのでしょう。「自分の話を十分聞いてくれた」と判断した相手からのアドバイスは比較的聞き入れやすい心理状態になっていることが多いものです。
傾聴することも意識できたらいいかもしれませんね。
危険なアドバイスというのはインターネット普及以前から割とあったと思います。ただ、相談掲示板やチャット、SNSが普及した結果として「アドバイス欲」を発散させられるようになった現在、「アドバイス欲」を抑制する訓練をしてもいいかもしれません。
さて、アドバイスの害についてこの文章で色々書きましたが、あくまで特定個人へのアドバイスにおいて起きる問題です。不特定多数へのアドバイスは「一般的にはこうしたらより良くなるよ」という形式の言明で、読む側は必要に応じて無視可能なのでそこまで神経質に気にしないで良いのかなと思います。
経験から来るアドバイスの正しさには限度があるのでそのことについてもやはり自覚的であった方が良いでしょうけど。
というわけで皆さんがこれまでアドバイスをして来た経験を振り返って何かヒントになるようなものがあれば取り入れていただければ幸いです。
私は技術屋として、あるいは研究に携わる者として、世に自分の意見を幅広く問う場合は批判にも耳を傾けないといけないと考えているので(フィクションは別として)、一定の作法を守った上での批判も歓迎します。
アドバイスの危険 久野真一 @kuno1234
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