第二話 俺に明るい未来は無い
第一学年の終業を祝う、学年最後の打ち上げ夜会。マナー講習を兼ねているとはいえ、華やかな大広間で楽しく踊り明かすはずだったその場は、セオドア殿下の怒鳴り声で一瞬にして静まり返った。
「どういうことだ、サイラス!!」
「どうもこうもありませんよ。もう一度申し上げましょうか?殿下」
俺は慇懃無礼を絵に描いた笑顔で、胸ポケットに挿した白薔薇を抜く。そして芝居がかった仕草で胸に手を当て、会釈した。
「今宵オリヴィア・マクフィールド嬢はここに来ません。代わりに、私がお話をお伺いします」
「ど、どうしてサイラスがオリヴィアの代わりを?」
「いいじゃありませんか殿下。貴方はオリヴィア嬢との婚約を破棄し、そちらのご令嬢に乗り換えるのでしょう?」
ざわっ!俺が投じた爆弾発言が、会場じゅうに私語の波紋を広げる。
「……ならば、今後誰がオリヴィア嬢の心を射止めても、貴方に口出しする権利は無いはずだ」
俺はふっくらと咲いた白薔薇を顔に寄せ、愛おしげに見つめて口づけた。
キャアアと黄色い悲鳴があがり、セオドア殿下とその腕にべったり縋るルナ嬢の頬が引き攣る。
ああ、お綺麗な顔は攻撃力が高くてイイね。
白薔薇はマクフィールド公爵家の紋章花だ。つまり、恋愛で脳ミソがいっぱいの連中は俺がオリヴィア嬢に気があるのだと思い込んで、こちらの挑発に乗ってくるだろうという算段だ。
案の定、ルナ嬢がきゃんきゃん吠えだした。
「サイラス様はオリヴィア様がどんな方か知っているの?!」
相変わらず馴れ馴れしい女だな。
「オリヴィア様は、セオドア殿下と私の『真実の愛』に嫉妬して、私にいろんな嫌がらせを——」
「へえ」
俺は凍てついた声でルナ嬢の戯言を遮った。
「オリヴィア嬢が君に嫌がらせを?本当に?いつ、どこで、何を?証拠はあるのか?」
「あるわ!」
ルナ嬢はドレスの裾をたぐり、右足を出す。おいおい、はしたないぞ。みんな目のやり場に困っているじゃないか。
「昨夜、寮の階段から突き落とされてアザができたの!」
「昨夜?」
「ええ、昨日の夜よ」
簡単に引っかかる奴だなー。まったく手応えが無い。俺は冷静に反撃を開始する。
「オリヴィア嬢は昨日の午後、王都の侯爵邸へ帰ったよ。夜にはもう学園にいない。どうやって君を突き落とすのかな?」
「えっ?」
ルナ嬢は両目と口をまんまるに開けたまま、固まった。おーい、弁解くらいしろー?
展開が遅いとイライラするので、俺はさらに追撃をキメた。
「アイラ!オリバー!」
『はっ』
俺に呼ばれ、いかにもベテランのメイドと実直そうな騎士が進み出る。
「彼らはオリヴィア嬢の身辺を片時も離れることなく警護する者たちだ。将来の王太子妃だ、それくらい当然だろう?だから、彼らはオリヴィア嬢がしたこと、されたこと全てを目撃している。ちょっと話を聞いてみようか」
「オリヴィア様はルナ様を極力避けておいででした。ルナ様に直接触れたり、持ち物に何かなさったりしたことはございません。寮のお部屋に近づいたことすらありません」
「一度だけ、オリヴィア様がルナ様と空き教室で直接お話なさったことがあります。オリヴィア様はルナ様に『危害を加えるつもりも邪魔をする気もないから、セオドア殿下に嘘を吹き込まないで』と依頼なさいましたのに、ルナ様は『あなたは私の引き立て役だから、おとなしく処刑されてちょうだい』と笑いました」
おお、悪役令嬢も真っ青の悪女ぶりだな。
「う、嘘よ!ぜんぶ嘘ッ!!」
ルナ嬢は金切り声で叫んだが、
「その者たちは余の前で嘘はつかぬよ」
朗々たる美声が響き、存在感の塊のような御仁が生徒の海を割って現れた。モーゼか。
「国王陛下!!」
すかさず俺は大声で注意喚起し、真っ先にひざまずいて首を垂れた。
……俺をこき使う横暴上司にへつらうのは癪だが、こうやってお手本を示さないと同級生たちがうっかり不敬をやらかしてしまうだろ?ごく普通の子弟子女は王様の顔なんて知らないんだからさ。
幸い俺の意図を汲んだ連中が慌てて俺に倣い、鈍い生徒たちもぞろぞろと後に続く。
国王陛下は生徒たちの慌てぶりには目もくれず、まっすぐ俺に向かって来た。そしてニヤリと笑う。
「善き心がけだ、サイラス。褒めて遣わす」
おいコラ陛下!貴方の長男がそこにいますけど!完全無視っすか!
「有難き幸せに存じます」
紋切り型で答えながら、俺は内心深いため息を吐く。
不世出の名君と讃えられる剛毅な父王と、そんな父親にすっかり委縮している気弱な王子。そんな親子の間に立たされた俺って、一番不憫じゃね?
陛下の美声がますます厳かさを増した。
「それでは報告を聞こう。サイラスよ、セオドアは王太子に相応しいか?」
無音の雷が落ちた。
セオドア殿下だけではない。大広間にいた一同が、驚愕と畏怖を同時に抱いて俺と陛下を見つめる。
ああそうだよ!俺はセオドア殿下を査定するために送り込まれた、王の犬だよ!
俺は心を殺して開き直る。そして端的に結論を述べた。
「畏れながら申し上げます。セオドア殿下は次期王に相応しくありません」
「なっ!何を——」
「黙れ、セオドア」
陛下は険しい一瞥で息子を黙らせ、俺に続きを促した。俺は淡々と続ける。
「殿下の学業成績は通算して平均点の前後、無断欠席はありませんが、気ままな早退・遅刻が多すぎます。生徒会選挙では快勝したものの、殿下が生徒会長になってから改定された規定や運用はゼロ、予算組みと執行はほぼ前年の踏襲、主催したイベントは恒例の芸術発表会のみ——殿下の主体的な施政はまったく見当たりません。
学年末考査の際に簡単なアンケートをとりました。『当学院の運営及びあなたの学生生活に生徒会が貢献していると思うか』という問いに対し、九割以上の生徒が『わからない』あるいは『生徒会の活動内容を知らない』と答えました。学院内でコレですから、宮廷で人心を掌握するのは難しいと存じます」
淀みなくしゃべり続ける俺に、セオドア殿下は目を白黒させ、国王陛下は内心がまったく読めない顔でうなずき、他の全員は絶句する……そりゃそうだよなあ。学院での行動を事細かに調査・査定された挙句、それを衆目環視の中で発表されるんだから、王子様ってラクじゃねえよ。俺の立場も苦しすぎるけどな。
たっぷり十分は語ったあたりで、俺はようやく切り上げた。
「ひとまずこの場でのご報告は以上です、陛下。さらに詳細はお届けする報告書にてご確認ください」
痛々しい沈黙が大広間を支配した。
「えっ……え?なにそれ……?」
空気を読まないルナ嬢のつぶやきがやけに大きく響く。
愛しいカノジョにカッコ悪いところを暴露されたせいか、とうとうセオドア殿下が逆上して立ち上がった。俺に指を突きつける。
「サイラス!この裏切り者!!おまえは私の幼馴染で、親友で……私はおまえを信じていたのに!!」
「私だって殿下を信じていましたよ」
俺は遠慮なく嘆息した。
「何度も何度も忠告したじゃないですか。貴方は王太子に相応しい行動を要求されているんですって……なのに私の話に耳を貸さず、逆に私を遠ざけたのは貴方ですよ?
正直、入学して三か月で貴方はダメだと思いました。その頃にはもう口も利いてもらえませんでしたからね。それでも何かきっかけがあるかもしれない、貴方が変わるかもしれないと期待して一年間待ちました。その結果が『真実の愛』ですか。ハッ……裏切ったのは貴方だ」
俺は燃え上がる口惜しさを込め、殿下を睨みあげる。
「王宮を出て、重圧から解放された気になりました?頭の軽いご令嬢にチヤホヤされて楽しかった?貴方はいつ、どこにいても王族です。この国のありよう、歴史、全ての民の生活を背負わなければならないんです!それができないなら、王族なんかやめちまえ!!」
あーあ、やっちまった。キレちゃった。ま、いいや、一回怒鳴りたかったから。
セオドア殿下が口を無駄に開閉している間に、国王陛下の沙汰が下った。
「なるほどサイラスに一理ある。セオドアは廃嫡する」
「そんなぁ!」
間の抜けた声をあげたのはルナ嬢だった。ちょ、おまえ、命が惜しくないのか?!
「いいんだルナ。悪いのは私だから」
セオドア殿下が甘い声でルナ嬢を諭す。おい、おまえら何を見せつけているんだ。反省も後悔も無いのか!
本当にダメだ、こいつら……怒るだけ無駄だ。
俺は今度こそ物を言う気力も失せて脱力した。そのまま大理石の床を眺める。俺の頭上で、陛下の厳しいご下命はまだ続いた。
「そしてセオドア、おまえに重要な使命を与える。昨年新たに併呑したコーザリー領だが、未だ情勢が落ち着かず、まともに税も収めぬ。おまえは新総督として現地に赴任し、見事鎮圧してまいれ」
「わ、私が、総督ですか?」
「ああ。期待しているぞ」
廃嫡はされたが、まだ期待されている。その一言にセオドア殿下はぱっと顔を輝かせた。
一方の俺は目を背ける。
コーザリー領って確か、住民が全員我が国にそっぽを向いてゲリラ戦仕掛けてくるわ、元領主軍が未練がましく侵入を繰り返すわで、血で血を洗う凄惨な戦場になっていると聞いたぞ?そこに息子を送り込むなんて——ああそうか、セオドア殿下が最悪の事態に遭えば、それを口実に全軍出動するのか。鬼だな。いや悪魔か。少なくとも親心なんてどこにもないな。
王族に生まれなくて良かった。
その幸運を噛みしめながら陛下を見送る。広い背中と恐ろしすぎる存在感が大扉の向こうへ消えて……ふと、俺は顔をあげ、ルナ嬢に嫌味ったらしく微笑んでやった。
「おめでとう、ルナ嬢。コーザリー領で存分に『真実の愛』を育んでくれ」
「は?私も行くの?!」
ルナ嬢は素っ頓狂な悲鳴をあげ、殿下から離れようとした。が、セオドア殿下が彼女を抱き締める方が早かった。
「もちろんだルナ!これで私たちはずっと一緒だ。君がいてくれたら百人力さ!!」
はあ……その頭も尻も軽そうなご令嬢が、いったい何の戦力になるんだ?
茶番はもう腹いっぱいだ。頭痛い。帰っていい?
俺はよろよろ立ち上がると、ふらつく足を酷使してお通夜と化した夜会を後にした。
◇◆◇◆◇
陛下のご下命どおり、セオドア殿下とルナ嬢は事も無く中途退学となり、仲良くコーザリー領へ出立した。ずっと痴話喧嘩していたという目撃情報の真偽は知らん。ついでに護衛騎士と魔導士の先生も、二人を守るとか何とか言って同行したらしい。ま、戦場での恋の鞘当てガンバッテ。
一方、泣き濡れていたオリヴィア嬢は長い春休みを満喫して元気になったそうだ。公爵から直々にお手紙をいただいたが、嫌な予感がしたので返事は出してない。あれはヤバイ。
そしてまた次の春、新学期がやってきた。
俺は相変わらず、仏頂面で学院の門を潜る。
次は次男のジェレミア殿下が一つ下の学年に入学するんだって。だからまた査定しろって。冗談じゃない。あの国王呪っていい?
「陛下を呪っちゃいけませんわ」
突然声をかけられ、俺は目を丸くして振り返る。オリヴィア嬢が雪の妖精のようなドレスを纏い、ふんわり微笑んでいた。
「心の声がダダ漏れですわよ?」
白魚のごとき手を差し伸べられて、俺は仕方なくエスコートを引き受ける。
そこかしこで黄色い悲鳴があがった。俺たちは注目の的だ。
先日の夜会の件が大いに噂になり、侯爵がせっせと外堀を埋めにかかっているのだ。うおおぉめんどくせえ!
「なあ頼む」
俺はオリヴィア嬢にささやいた。
「君だって、面倒くさい性格のめんどくさがり屋なんか嫌だろう?俺を次の婚約者にしないでくれ」
「あら。でも——」
大階段の三段目で彼女は足を滑らせた。俺は咄嗟に抱き留める。そんな細いヒールを履いて来るからだろう!あほか!
「誰よりも頼りになるのは貴方よ」
オリヴィア嬢は俺の腕の中で華やかに笑った。なあ、デコピンしてもいい?
<了>
ハア?俺が攻略対象者?! 饒筆 @johuitsu
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