ハア?俺が攻略対象者?!

饒筆

第一話 昼寝未遂から俺の心が折れるまで



 当国貴族が子弟子女をこぞって通わせる王立高等学院は、王都の西のはずれ、湖に突き出た断崖絶壁に建つ古城を改築して開校した。全寮制で内装は豪華かつ快適、警備は万全、講師陣は超一流と三拍子揃っているが、まあ……俺に言わせりゃ、体よく檻の中に放り込まれた感じが半端なく、とにかく退屈でいけない。

 今日もたいしてやることがなく、最上階の隅に在る音楽室のさらに奥、埃臭い楽器倉庫の出窓で湖でも眺めながら昼寝をしてやろうと考えていた——が、俺がこの素晴らしい指定席を見つけて以来初めて、先客がいた。

 煌びやかなプラチナブロンドをこれでもかと縦に巻き、目に染みるほど赤いドレスを纏ったご令嬢がしくしく泣いている。

 うわっ!めんどくさッ!!

「……聞こえましたわよ」(キッ)

 しまった。思わず心の声が口から出たらしい。

 涙の粒で飾られた淡い瞳に睨まれて、俺は口の端を曲げた。

——女性には優しく、親切に。男性は女性に奉仕する存在である。

 これがこの国の国是だ。なんだってそんなことを国是にしたんだと膝詰めで問い質したいが、何が何でも変えられないらしい。なんで?

 疑念は尽きないが、たった16歳の俺には何の力もないので、仕方なく国是に従うことにする。

「あー……どうした?」

 頭をぽりぽり掻きながら声をかけたら、ご令嬢はさらにヘソを曲げた。

「そんな投げやりな態度で慰めるつもりですの?」(むすっ)

「俺の態度が気に入らないなら、ここから出て行ってくれ。いや、むしろ出て行ってくださいお願いします」(慇懃に一礼)

「ひどいっ!貴方しか頼れないから、こうしてお待ちしておりましたのにッ!」(うわあああんっ!)

 まいった……癇癪起こして大泣きしちゃったよ。どーすんの、これ……。

 俺は困り果てて、泣きじゃくるご令嬢の隣に腰かけた。



 ご令嬢の名はオリヴィア・マクフィールド。うん、知ってた。有名人じゃん。押しも押されぬ筆頭公爵家のひとり娘で、第一王子の婚約者。気位の高そうな美人。俺の中の、お近づきになりたくないリスト・トップ5に入る。

 俺、常にギャラリーや背景に溶け込んで、なるべく目を付けられないようにしていたんだけどなー。どうして俺だけの特等席を知っていたのかなあ?

「貴方……ご自身が大勢のご令嬢の目を引いていらっしゃること、ご存じではありませんの?」

 ぐすん。オリヴィア嬢はレースだらけのハンカチで涙を拭きながら、俺に呆れている。

 うおっ。また知らぬ間に心の声が外に漏れたのか?

 俺は内心の動揺を隠すため、腕を組んでそっぽを向いた。

「顔だけで好かれてもなあ」

「ボールドウィン様はお顔が綺麗なだけじゃありませんわ。宰相のご子息で、学業も魔術も成績はいつも満点かそれ以上。幼少のみぎりから神童と呼ばれておられたのでしょう?どうしてそんなに不貞腐れておいでなの?」

「退屈だから」

 俺は即答した。

 なにしろ俺はここで学ぶ内容くらい既に修めている。なのに、やんごとなき事情でむりやり入学させられたのだ。大人って横暴!という訳で今、この時間は俺にとって人生の無駄でしかない。フテ寝していい?

 ところが。

 俺の表面的な回答を聞き、オリヴィア嬢はハンカチを握りしめた。

「退屈なら——どうか、わたくしを助けてくださいまし!!」

 うへえー超絶めんどうくさいヤツ、キタァー!!

「わたくしは本当に追い詰められておりますの!もう、めんどうくさいなんておっしゃらないで!」

 オリヴィア嬢が柳眉を逆立てる。

 ……アカンわ俺。心の声がダダ洩れやん。

——女性には優しく、親切に。男性は女性に奉仕する存在である。

 心の底から面倒くさい国是が俺に圧しかかる。

 俺は肺腑に残る空気をすべて溜め息に変え、オリヴィア嬢の話を聞くことにした。



「……ほぉん。で、この国この学院はその『おとめげぇむ』の舞台と瓜二つなんだ?」

「そうなのです!」

 オリヴィア嬢の話は荒唐無稽の極みだった。

 なんでも、彼女はテンセイシャで、こことは違う世界で生きていた前世の記憶があり、彼女の感覚ではその別世界で目にした物語の中を生きている状態らしい。

「とても信じられないでしょうけれど……」

「うん。御伽噺の世界と現実を区別できない、残念なお子さまの妄想に聞こえるね」

 バッサリ指摘してあげたら、オリヴィア嬢は令嬢にあるまじき横目で俺を見た。

「……貴方って、優しさも思いやりも持ち合わせていらっしゃらないのね」

「えー?俺はとーっても優しくて思いやりにあふれた男だよー?」(棒読み)

 俺とオリヴィア嬢は白い目で睨み合った後、どちらともなく嘆息して話を続けた。

「その物語は、身分の低いヒロインが五人の貴公子と次々に恋をして幸せになるサクセスストーリーなのですわ」

「へえ」

 あーまったく興味が湧かないな、それ。鼻クソほじっていい?

「その五人の攻略対象者は——」

「待て。コーリャクタイショウシャとは何?」

「ヒロインはそれぞれの貴公子に狙いを定め、その方が自分と恋に落ちるようにあれこれ働きかけるのですわ。言うなれば……獲物です」

「獲物!!」

 凄いな。貴公子を獲物扱いか。

「ええ。それで、その攻略対象者の一人目は第一王子のセオドア殿下でして」

「なるほど。君という婚約者はいるが、学院の中では位が一番高い人物だからな。良い獲物だ」

「二人目は近衛騎士のレオ・エルギン様」

「へえ。王子に色目を使うついでに、その脇に立つ護衛騎士まで狙っちゃうんだ。やるね」

「茶化さないでくださいませ。三人目は恋多き伯爵子息ジャスパー・ポートランド様」

「あいつ、可愛いコなら自分から寄っていきそうだな」

「四人目は魔導士アーロン・グレイ様」

「おお、先生にまで突撃するか。見境ないな」

「そして五人目は他ならぬ貴方なのです。サイラス・ボールドウィン様!」

 ぶほっ!!こらえきれず、俺は吹き出した。

「俺が?攻略対象者?つまり獲物?!」

 アッハッハ!腹いてえ!こんな腹の中真っ黒の大ハズレを狩りに来る猛女がいるのか?!

「笑い事ではありませんわ!——と言いたいところですが、貴方は見事に笑い事になさったのですわね」

「?どういうことだ?」

 オリヴィア嬢は渋面になった。

「ヒロインは既に五人の貴公子全員にアプローチしましたの。それで、他の四人はもうヒロインに夢中なのですわ。以前と様子が変わらないのは貴方だけ」

「おいおい待て」

 妄想から現実へ、いきなり話が急展開したぞ。俺は身を乗り出す。

「ヒロインって誰だ?」

 オリヴィア嬢は顔をしかめたまま、再び涙ぐむ。

「男爵令嬢のルナ・ローズベリーさんですわ」

「ああ!あのコ」

 俺は納得した——そして膝を叩いてまた笑った。

「あんなお粗末な奴に、四人も引っかかったのかよ!」

 笑いこける俺に、オリヴィア嬢は目を丸くした。そして恐る恐る尋ねてきた。

「彼女はお粗末でしたの?」

「ああ」

 俺はしばらく前の出来事を思い出しながら語る。

「中庭のベンチに座っていたら、いきなり話しかけてきたんだ。器用に潤ませた上目遣いで、こう、胸を挟んで両手を組んでさ、

『どうなさったの、サイラス様?とても落ち込んでいらっしゃるご様子……心配だわ。私でよければ、お話を聞かせて?』

なんてさ。もうこの時点で、俺へのアプローチ法を三つは間違えているね」

「三つも?何を間違えていますの?」

 オリヴィア嬢は切れ長の瞳を瞬かせる。俺は指を一本ずつ伸ばしながら答えた。

「一つめは、知り合いでも何でもない彼女がいきなり俺のファーストネームを呼んだこと。馴れ馴れしいにも程があるだろ?不愉快だ。

 二つめは、俺が落ち込んでいるなんて手前勝手な推測を一方的に押しつけてきたこと。どこをどう見てそう判断したんだ?あのとき俺は一人ブレインストーミングしていた。良いアイデアが出そうだったのに……観察力ゼロだな。お粗末すぎて不愉快だ。

 三つめは、『男はみんな上目遣いとデカイ胸が好き』みたいな思い込み全開で媚びてきたこと。要するに彼女は、俺もその程度の頭の悪いオスだとみなしているんだ。不愉快極まりないね。以上だ」

 オリヴィア嬢はしばらく黙り込んだ。

「(ボールドウィン様って、思った以上に面倒くさい性格なのね)……とにかく不愉快しかなかったのですね」

「ああ。あと警戒感な。なんでわざわざ俺に寄って来るのか、って疑った」

 しかし無駄骨みたいだなあ……俺は大袈裟に肩をすくめた。

「なーんだ。俺はてっきり、彼女は下ッ手くそなハニートラップを仕掛けてくる新米の間諜だと思ったよ。誰が寄越したのか調べるために泳がせていたが——その話が本当なら心配は無用だな」

 あーあ、くだらない。たかが16歳の子息にまでハニートラップを仕掛けてくるなんて、やっぱり貴族社会は気が抜けなくてヤベエな!なんて、ちょっとワクワクしていたのになあ。

 恋をして幸せになる?知るか。どうぞ俺と関係ないところでご自由に。

 だが。まだ疑問は残る。

「で。今の話と君に何の関係があるんだ?」

 俺に問われ、オリヴィア嬢は待っていましたとばかりに顔を寄せた。

「ルナさんがヒロインなら、わたくしはその敵『悪役令嬢』なのですわ!」

「は?アクヤクレイジョー?」

 またまた涙ぐむオリヴィア嬢を宥めながら(まったく手間がかかって仕方がないな……)、聞き出した話はこうだ。

 『おとめげぇむ』には物語を盛り上げるために、ヒロインの恋路の邪魔をする敵、いわゆる悪役の令嬢がいる。ルナ嬢をヒロインとする物語では、最大の敵はオリヴィア嬢らしい。物語の中のオリヴィア嬢は徒党を組んで嫌味を言ったり、あらゆるお茶会からハブったり、パーティーの直前にドレスを破いたりしてヒロインを虐げ——って、その程度の嫌がらせはやるだけ無駄じゃないか?悪役だったら、殺すか再起不能にして完全排除を目指せよ——最終的にそれらの悪行が王子にバレ、衆人環視の中で婚約を破棄されたうえ、国外追放やら処刑やら悲惨な末路を辿るらしい。

 おいおい……そんなことが現実に起きる訳ないだろう……落ち着けオリヴィア嬢……。

 だが、堰を切ったように語り続けるオリヴィア嬢の話は終わらない。

 彼女が自分の「役割」を思い出したのは入学式の直前だったそうだ。大階段を上っている最中にドレスの裾を踏んで転げ落ち——雲の上のご令嬢がなんたる失態を晒したんだソレ——前世とやらの記憶が戻ったらしい。

 それから彼女は物語を変えるべく努力した。ルナ嬢に嫌がらせなんて勿論しないし、婚約者であるセオドア殿下とは関係改善を図り、真の友情で結ばれた友達を作り、先生や学院関係者にも好印象を与えるべくふるまった。

 ところが。今、彼女は絶望に打ちひしがれている。

「ここはやっぱり物語の世界なのよ……全てが、なぜかストーリーどおりになってしまいますの……」

 自分は嫌がらせなどしないのに、なぜかルナ嬢が災難に遭う現場に居合わせてしまう。自分がルナ嬢を毛嫌いしていると噂がたつ。その噂を信じた同級生たちが揃ってルナ嬢を無視する。一方、セオドア殿下はルナ嬢の猛アタックにあっさり陥落し、もはや彼女の言いなりだ。

 そして本日、ついに殿下はオリヴィア嬢に言い放った。

「オリヴィアよ、もうルナをいじめるのはやめろ!おまえの為したことは全部知っているぞ。私はおまえに、明日の夜会で婚約破棄を言い渡す!!」

と。

「わたくしはまだ死にたくありません!どうすればいいの?!」

 さめざめ泣くオリヴィア嬢を前に、俺もガックリうなだれた。

 馬鹿だ……バカしかいない……だが最大の馬鹿はセオドア殿下だ。怒りが湧く。

 だから忠告しただろうが!羽を伸ばしている場合じゃないと何度も……ああ。もう、いいか。どうせ俺の声は届かないんだし。

 終わりにしよう。俺は腹を括った。

「話はわかった」

 俺は真顔でオリヴィア嬢に向き合い、彼女の細い肩を手でそっと包んだ。

「あとは俺に任せろ。君は何も心配しなくていい」

「え……ボ、ボールドウィン様……?」

 オリヴィア嬢は突如態度を変えた俺に戸惑い、真顔の俺にじっと見つめられて頬を染めた。

 俺の美貌は、女を適当に言いくるめるためと、喧嘩相手の不細工を挑発するためにある。

 声を少しばかり低め、甘やかに、しかしハッキリと指示すれば、彼女たちは俺の言葉を忘れない。

「これから、このまま部屋に戻ってメイドに荷物を纏めてもらえ。公爵には即刻連絡するから、君の家の馬車がすっ飛んで来るはずだ。そしてしばらく実家で静養しろ。無論、明日の夜会には出席しなくていい」

「ええっ?では殿下の件は?」

「俺に任せろと言っただろう?悪いことは絶対に起きない。最短三日で笑って登校できるさ。わかった?」

 俺は最大限魅力的に微笑んだ。いわゆるキラースマイルってやつだ。武器として必要だと親父に仕込まれた。

 オリヴィア嬢はうっとりと微笑みかえし、「はい」と素直にうなずく。

 よし。腹を決めてしまえば、あとは茶番だ。淡々とこなすだけ。

 俺は視線を背後に向け、陰に潜む従僕を呼ぶ。

「スチュアート。国王陛下にご報告の時が来たとお伝えしてくれ」

「承知いたしました」

 こうして賽は投げられた。


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