僕と殿下と未来の話

 ハリオット殿下から「大事な話がある」って呼び出されたのは、数ヶ月後のことだった。

 殿下の1番の側近を自負していたのに、殿下に個人的にお会いするのは久々だったから、申し訳なくも嬉しかった。

 王宮には上がっていても、宰相補佐としての仕事がとにかく山積みで、殿下と2人でお茶を飲む時間もまったく取れていなかった。

 一緒に食事をする機会は何度もあったけど、陛下や第二王子殿下、時には重臣方も同席した上でのことだったから、親しい会話もできなかった。

 その頃僕は、ハリオット殿下の側近としてよりも、宰相補佐として知られ始めてた。

 殿下の側に立つためにも、キミを伴侶に迎えるためにも、仕事で認められることは不可欠だった。だから、ずっと頑張っていたんだよ。


 殿下の私室の前に立つ護衛騎士が、僕の顔を見てすぐドアをノックし、取り次いでくれた。

「ランバード公子がお見えです」

「入って貰ってくれ」

 聞き慣れていたはずの殿下の声が、ひどく強張っていることに、僕は少し驚いた。

 でもそれ以上に驚いたのは、部屋の中にキミがいたことだ。殿下の座る豪華な革張りのソファの、隣に。キミはまるで恋人のように、殿下に寄り添って座ってた。


 そこで聞かされた話は、ショックが大き過ぎてあまり記憶も定かじゃない。

 ただ、殿下にもキミにも真摯に謝られたのは覚えてる。愛してしまったんだ、って。もう僕とは結婚できない、って。許して欲しいとは言わない、って。

 殿下は王位継承権を放棄して、隣国の王女との婚約を解消し、子爵家の子息であるキミを娶ることにしたと言った。

 男同士の結婚では子供を望めない。だから、王位は継がないと。

 側妃様のお子である殿下は、自らが側妃を娶ることをしたくなかったみたいだね。

 キミを日陰者にするつもりはないと、唯一の王子妃として迎えるのだと……。だから、キミのことを諦めてくれと、殿下は僕に頭を下げた。


 僕は、一生お仕えするつもりだった主君と、初恋の相手だった幼馴染と、最愛の婚約者と、幼い頃からの夢を、その日一度に失った。



 ハリオット殿下が王位継承権を放棄した後、正式に王太子として立ったのは、第二王子、エドワード・ショウ・クラリオス殿下だった。

 第二王子といいつつ、エドワード殿下とハリオット殿下は、誕生日が半年しか違わない。

 ハリオット殿下と同じく、彼は僕の幼馴染で、従兄弟で、7歳から13年間ずっと一緒に学んだ仲だ。


 ただ、闊達で剣術が好きで豪快な性格の殿下と僕は、今ひとつ波長が合わなかった。外遊びに誘われても、断ることが多かったと思う。

 どうしてもハリオット殿下と比べてしまって、イヤな思いをさせてしまっていたかも知れない。

 仲が悪い訳じゃないけど、側近候補と呼ばれる程の距離じゃない。

 だから彼に、「オレの元に来い」と言われたときはビックリした。


「オレは、兄上の代わりに隣国の王女を正妃に迎えねばならない。兄上の代わりに王位を継ぎ、好きでもない女と子をなして、この血を繋いでいかねばならない。兄上の代わりに一生を国に縛られて、民のために尽くさねばならない」


 キッパリ言い放った後、エドワード殿下は僕の顔を真っ直ぐに見た。

 ああ、この人はもう王になる覚悟を決めている、と気付いた。

 背筋を伸ばして前を向き、ハリオット殿下の捨てた道を歩こうとしている彼の

姿は、僕にはとても眩しく見えた。

 後悔してばかりの僕とは違う。

「人生の選択肢を奪われるんだ。ならば見返りに、欲しいものを手に入れても許されると思わないか?」

「欲しいもの、ですか?」

「兄上が持っていて、オレが持っていなかったもの。お前だ」


 そんな言葉と共にグイッと手を引かれ、僕は殿下に抱き締められた。

 小柄なキミを抱き締めるのとは、当然全く違う感触。馴染みのない匂いと、背中に回される強い腕に、僕はピシリと固まった。

「兄上がずっと羨ましかった」

 次にエドワード殿下が告げたのは、そんな意外な言葉だった。

「オレは大抵兄上と同じものを持ってたが、唯一お前だけは持ってなかった。お前を側に置くという幸運に恵まれていたくせに、それを手放したアイツが信じられない。いらないならオレが貰う。オレにはお前が必要だ」


 よく響く張りのある声。力強く快活な口調。寄りかかっても揺らがない、鍛え上げられた体幹。エドワード殿下は僕の頭を抱えるように引き寄せて、ちょっと乱雑に髪を撫でた。

「兄がすまない」

 ぼそりと告げられた謝罪に、不覚にもぐっと喉が詰まる。必死に我慢したけど涙がこぼれて、1度そうなったら止まらなくなった。

 キミもハリオット殿下も知らないことだと思うけど、僕に「泣いていい」って言ってくれたのは、エドワード殿下だけだった。


「返して……」

 キミたちに言えなかった言葉を、僕はエドワード殿下の腕の中でこぼすしかなかった。


 キミを返して。

 ハリオット殿下を返して。

 初恋を返して。

 婚約者を返して。

 夢を。返して欲しい。失った心を。希望を。信頼を。愛を。居場所を。存在意義を。働く理由を。未来を。僕に返して。


「すまない、レオ」

 エドワード殿下はオレを腕に抱いたまま、しばらく静かに泣かせてくれた。

 そうして涙も枯れた頃、再び僕に言ったんだ。

「これからはオレの側で生きてくれないか」

 って。


 そこには多分愛はない。けど僕にはそんなの必要ない。

 断る理由もない。宰相補佐として、次の王の側近として、僕がやるべき仕事は変わらない。

 婚約がなくなっても、仕事は相変わらず山積みのままだ。地方への視察も閣議も多くて、王太子の側近としてのあれこれも加わったから、多忙で家にも帰れてない。今、ほとんど王宮に棲んでる状態だ。

 立ち止まる暇も、過去を振り返る暇も、全くないのは幸いなのだろうか。


 キミをハリオット殿下に逢わせたことを、僕は今でも悔やんでる。

 けど、どうしたって過去は変わらないのだから、もういいんだ。

 幸せになって欲しい。キミにも、殿下にも。もう僕に遠慮なんかしなくていい。まあ、目の前でイチャイチャしたりはさすがに控えて欲しいけど、遠慮なく幸せになっていい。

 いつか、僕らがおじいさんになった時、「あの頃は若かったね」なんて笑い話にできることを願ってる。今はまだ無理だけど、いつか。

 それまで、さようなら。


 間もなく王子妃になるキミへ。未来の鬼宰相、レオナルド・ランバードより。


   (終)

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僕と殿下とキミの恋 はる夏 @harusummer

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