bae

 あれから一ヶ月。やっと、穏やかと呼べるか……元夫が撃たれた現場に居た事実は重く暗い影を落とすけれど。そもそも僕自身生きた心地がしなかった。元夫の倉持は今も生死をさまよっているのか、意識はないそうだ。

 僕は今回の事件でより固く決意した。

 帆乃花と家族になるんだ。


 記憶は綺麗なほどに全く蘇らないが、そんなことは気にしてない。僕は気にしない。


 僕らはやっと、念願の奄美大島へ向かう。

 鹿児島で乗り継ぎ、空港に着く。レンタカーで、奄美大島最南端を目指す。


「なんだ?!この車40キロ以上出ないし」

「奄美はね、スピード出す必要ないから」

「へえー車も奄美仕様かあ」


 車の中で帆乃花はおばあちゃんから聞いたと言う奄美あるある話を次から次へしてくれる。鶏飯という鶏肉の茶漬け的な料理やおじさんという魚の話。すごく面白い話という訳ではないが、得意げに語る君は一段と可愛い。

 おばあちゃんか……僕はおばあちゃん子だったらしい。あーちゃんというおばあちゃん、僕は覚えていない。もう会えない人を忘れてしまったのは、やっぱり少し虚しい。


 古仁屋港近くの民宿に荷物を入れ、ホノホシ海岸を目指す。駐車場に車を停め手を繋いで歩いていると、向かいから小さなおばあちゃんが手を振る。

 思わず僕らも手を振り返りした。


「あんたっひろくん?会えたっち?恋人に」

「……え 僕を知ってますか?」

「やだねっ年寄をからかって。あんたを泊めたっち。台風来て宿が水浸しんなってさ。話聞いたらさかきさんのお孫さんに恋して、ひとり旅しとるて。男前は忘れんにゃ」

「…………」

「ひろ 奄美に来てたの?!」

「……そうみたい。いつですか?それ……僕が来たの」

「あれはいつだっけな あははは 忘れた。あんたも忘れたか?あははは」


 おばあちゃんは笑いながら手を振りながら歩き去る。

「あ さようなら あの ありがとうございました……その節は……」


「あはは 僕 来てたなんて……凄いな……凄い執念だね」

「執念?」

「帆乃花に会いたくて、ひとり帆乃花に所縁があるとはいえ、こんな場所まで」

「ふふ……嬉しい。あのおばあちゃん、どこのおばあちゃんかな」

 帆乃花は顔をほころばせ、あたりを眺めた。


「すぐ近くかな ホノホシ。まわり山っぽいけど?!」

「もうすぐだよっ。」


 ホノホシ海岸は石がたくさん転がり、小さな洞窟みたいなトンネルがあったり。僕はまんまるな石を拾い上げる。


「ひろ その石、持って帰ったら捕まるみたいだよ」


 ここの石は持ち出し禁止なんだ。捕まるか分からないけどそのくらい知ってるよ。


「じゃ この石はどうかな?捕まらないと思うよ」


 僕は小さな箱をポケットから取り出す。落ちないように片手をずっとポケットに突っ込んでいたのはこの為だ。


「記憶をなくしたほうの僕からのリング 」


「ひろ……」

 帆乃花の薬指に二本目の指輪をはめた。凄くちっぽけだけど小さなダイヤが埋まっている。これで大きすぎる一本目を落とさずに済む。


「帆乃花 記憶をなくした僕が、帆乃花を大事にしてくれる人になる。君はひろとの約束を達成した。」


「それ……手紙」

「うん。手紙の控えがあった」

「帆乃花……marry me」

「ひろ!英語は忘れなかったの?」

「あはは そこ突っ込むよね……うん忘れなかった言葉は忘れないんだね。照れ隠しでしたすいません。」


 帆乃花は何度口を閉じてもまた白い前歯を覗かせている。


「帆乃花、僕と結婚しよう」

「はい ひろ 結婚してください」


 帆乃花は、僕のプロポーズにプロポーズ返しをした。


「病室で、ひろと私、片思いし合うって言ったでしょ?」


「ああ 言ったね」


 僕らにはたくさんの新しい思い出がある。片思いする気持ちを忘れずに生きていきたい。


 その後、お決まりの鶏飯を食べ、何故か薄暗い電気の唯一あるスーパーにより、民宿へ入る。


「ここね、父の従兄弟がやってる民宿なんだよ」

「え?!」

「なに?」

「いや……」

 道行く人は榊さんの親戚で、民宿まで……。だとしたらカップルらしい事をしたら駄目なのかと僕は絶句していた。


「なに?ひろ」


 帆乃花は僕の次の言葉をただ単純な疑問の眼差しを向けて待つ。


 答えない僕の後ろにある机のペットボトルに手を伸ばした帆乃花がバランスを崩し僕の目の前で手をついた。

 その頭を引き寄せ、そっと口づけをする。


 その時だった。

 ―――――大事な人への儀式だから


 そんなセリフがデジャブのように頭を巡った。いつかこんなふうにキスをしたのだろうか……。


「どうしたの?ひろ」


 目をぱちぱちさせる可愛いひとに改めて胸の内を語る。

「あ、この……チューの先を親戚の民宿でしてしまって良いものか……って気にしてた。それに、運動しても大丈夫かなって」


 術後、用心して僕らはそう言う事をまだしていない。帆乃花からすれば、何度かは僕に抱かれた記憶がある。僕からすれば、初めてのようなものだ。だから妙に緊張するし不安だった。


「じゃ、ゆっくり……」

 と言いかけて恥ずかしそうに僕から離れるように座る帆乃花。

 ゆっくり?しようって?流石に恥ずかしすぎる発言だ。そんな彼女が頬を赤らめたのを確認し、僕は抱きしめながら押し倒した。


「ゆっくりしよう」

 改めて僕からそう言った。


 赤く火照った君が僕の下からこちらを見つめる。

 愛おしくて、狂おしいほどに、もっと君が欲しいよ。



「やっと来れたね 奄美大島。僕二回目らしいけど」

「二人で来るのは初めてだね。中学の頃来たときは素潜りで熱帯魚がバアーっと泳ぐのを見たんだけど、ひろは無理かな?潜水船にする?」

「明日の天気次第だね」

「うんっ。ひろ……ありがとう」

「ん?」

「ここに連れてきてくれて、これも……」

 二本のリングを触りながら帆乃花が呟く。


「僕の記憶はずっと戻らないかもしれないし、この先何があるかわからない。ずっと健康で居られるかも分からないけど、帆乃花と生きて行きたいから。」

「うん……ずっと一緒にいてね」


 帆乃花の長い髪を押さえて強く抱きしめた。華奢な君は僕の胸の中で小さく「大好き」と囁いた。「僕も……大好きだよ 帆乃花」僕らは何度も愛の言葉を囁き合った。


 君が好きな場所で君に愛を誓えた僕は幸せだ。

 ひろ、昔のひろ、これでいいよな?

 僕は帆乃花を大事にするよ。


「ひろ、baeってなに?」

 帆乃花がリングに彫られた字を見ていた。

「before anyone else、大事な人って意味かな」



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だから僕は君に片思いをする 江戸 清水 @edoseisui

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