第2話
「生きてる人間の方が正直怖いかな、明日、急遽休みになったって言ったよね。あれ、川田の家の敷地にファンの子が入り込んでちょっとトラブルになっちゃってね。あぁ、まるで遥さんが幽霊って決めつけちゃった。ごめん」
「そんな事は大丈夫です。怪我とかはなかったんですか?」
「川田?ファンの子?」
熱狂的なファンが可愛さあまって憎さ100倍と有名人を傷つける、そんな事件も耳にした事があった遥は咄嗟に川田の事を心配した。桜井から返ってきた言葉に不意をつかれたまま、どちらもと答える。
「うん、どちらも怪我はなかったよ。どうやって特定したのかマンションの敷地に入り込んでうろうろしていた所を仕事に行こうと部屋を出てきた川田と鉢合わせ。ずっと好きで応援しているのに振り向いてくれないからって」
一旦言葉を切って続ける、
「一緒に死んでくれって言われたって。ほら、あいつガタイいいからさ、刃物でも出されたら危ないって組伏せたらしいんだよね。女性相手だから勿論加減もしたから相手の方にも怪我はなかった」
「それなら、少し安心しました」
「まだ、19才だって。自分に触れてくれたって喜んでたって」
「そんな勝手なこと」
「勝手だよね、でも僕達を支えてくれてるファンである事に変わりないし」
憧れている芸人ともしも近づく事が出来たら、いつかどこかで人生が交差して出会う事が出来たら、そんな妄想を誰でも1度くらいはするだろう、それは遥も同じだ。出会えるわけなどないと、そのはずだった。
「あいつは僕よりずっと優しいからね、そのファンの子を追い詰めてしまったんじゃないかって酷く落ち込んで、まぁちょっと仕事出来る感じじゃないから臨時休業」
どうしてそうなったかはわからないながらも結果的に桜井の部屋にあがりこんでしまっている事に強烈な申し訳なさを遥は感じた。
「そんな事があって、家に帰って正体不明な私みたいなのがいて気持ち悪いですよね」
「うーん、めちゃくちゃする様な人には見えないし。最初に顔を見た時、不安で困った顔をしてたから、僕なんかでも話くらいは聞けるかなって思ったからさ。申し訳ないけど、ちょっと興味もある」
屈託なく笑う。
「単独も近いけど、ネタは基本的に相方が全部書くしね。本当にこうなると僕、暇になっちゃうんだよ。とはいえ、仕事を休ませて貰っているのに遊び歩くわけにもいかないしね」
そうだ、単独ライブ。
他の仕事がパンパンで、なかなか開催出来なかった吹雪の単独ライブ。これまで使用していた劇場よりもかなり大きな、キャパシティは倍になる劇場。
それでも、チケットは争奪戦となりSNSには、『チケット譲って下さい』の呟きが溢れかえっている。
遥は、スポンサーとなっている彼等のラジオ番組内で告知された最先行の抽選に挑んでチケットを手に入れていた。
「私、単独行きます!」
桜井は嬉しそうに目を細めてた。
「そうかー、チケット取れたんだね」
「初めて、画面越しじゃなく見られるって、凄く楽しみで」
遥の言葉は最後消えかかった。
「でも、なんか死んじゃってるみたいだから見られないかな」
声に涙が混じってしまう、気を使わせてしまう。咄嗟に遥は目を伏せた。
ソファーから立ち上がり、桜井がゆっくり遥に近づく、そしてそっとその両手を大きな手で包み込む。
「ふわふわって劇場に来ちゃえばいい、最前列よりも前でだって、袖でだって、僕らの後ろでだって、どこでも好きな所で見ればいい」
一旦言葉を切って桜井は続ける。
「遥さんはその位、良い思いをしていい人だから」
自分の手に重なる桜井の手を見つめていた遥が視線を上げる。
「どうして?」
隠しようもなく、遥の瞳は涙で濡れていた。
「ちょっと待ってね」
遥からそっと手を離して、パンツのポケットからスマートフォンを取り出し何かを検索し始める桜井。
「うん。これだ」
確かめる様に画面を見て、それを遥に向ける。
ガードレールにぶつかり、フロントが潰れた赤いワゴンタイプの軽自動車、近くに停められたパトカーや消防車、遠巻きに様子を見ている沢山の人が写っている交通事故の現場写真。桜井が画面をスクロールすると次の写真が見えてきた。顔にモザイクのかかった小さな男の子の顔。そして……
「私だ」
遥の顔がそこにあった。
男の子の写真の下には軽傷と書かれ、遥の写真の同じ場所には、心肺停止の文字。
桜井が更に画面をスクロールすると今度は事故を伝える記事。
『夕暮れ時の歩道を居眠り運転の車が暴走』その見出しより一回り小さな文字で、子どもを含み重軽傷者多数、1人心肺停止の重体。
居眠り運転の車が、ガードレールに突っ込んだ、この時に多数の怪我人が出た。とはいえ、スピードはさほど出ておらずに接触した者、驚いて転倒した者、打撲や擦過傷が大多数を占める、1番重症と思われるのは飛び込んできた車に接触して転倒し左足の骨折を負った80代の男性。
ガードレールに突っ込んだ事で焦った運転手は逃げようとしたのだろうか、アクセルを思い切り踏み込んだ。
その車の前に驚いて転倒をした5才の女の子がいる事に気がつきもせずに。
目撃者の証言が書かれている。
……女の子が転んで動けなくなって。
女の子のお母さんと思われる女性も凄まじい悲鳴をあげながら女の子に手を伸ばしたけどとても間に合いそうになくて。そこに少し離れた場所にいた女性が飛び込んでいったんですよ。
その女性は女の子を抱きしめて、撥ね飛ばされたその時も、ずっと。
やっと車が停止して、女の子は駆け寄ったお母さんに抱きついて激しく泣きじゃくってました。
助けた女性は血を流しながら、そのまま動かず、あんな事、咄嗟に出来るもんじゃないですよ。
女性の勇気と献身が幼い少女を救った。
記事はそう結ばれていた。
「これ、私だ」
「うん。帰りのタクシーでたまたま読んだ」
桜井の声がより一層柔らかく響いた。
そこで、思い出を。 @ryoo
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