第16話

出来れば、顔見知りに会いたくなかったので、生活圏から離れた市内の繁華街にあるチェーン店のカフェに相手を呼び出した。

 待ち合わせ相手は、胸元に白いリボンをつけた、紺色のワンピースの制服だった。微かに胸が軋む一方で、雑多な店に、その有名なお嬢さん学校の制服はちょっと目立つなと、由樹は内心思った。

「ごめんな、突然呼び出して」

 表情筋を動かしただけの笑顔だったが、待ち合わせ相手の彼女は、由樹相手にきまり悪そうに顔を伏せて、運ばれてきた紅茶に砂糖を入れて、スプーンで混ぜた。

「いえ、別に……ただ、びっくりしちゃって。どうして速水君が私に連絡くれたのか、分からなかったし、今、こうしていて大丈夫なのかなって……」

 由樹が入っているのは男子校の空手部ではあったが、空手部の試合や大会には、他校の女子生徒が、ギャラリーでよく応援に来る。

 彼女は、その中の一人だった。聖光女子学園の二年生で、真弓といった。

「約束のもの、持ってきてくれた?」

 速水家を襲った事件と、由樹の身の上について気を使っているのか、話しにくそうな相手へ、由樹は要件を切り出した。

「うん。これでいいの?」

 真弓は、ほっとしたように携帯端末を取り出した。

 保存してある画像データを開くと、聖光女子学園の生徒数人の集合写真がそこに収まっている。

 展覧会の開場前らしい。

 白い大きな看板には、墨字で『書画・息づく墨の華』と読める。

「同じ学年の書道部の子に頼んで、コピーさせてもらったの。半年前の写真だけど」

 由樹は、写真を確かめた。

 間違いなかった。目的の顔、二つが並んでいる。

 忘れるべき感情と、暴れ狂う感情。同時に浮かぶ赤い記憶を、由樹は何とか抑え込んで、固定した笑顔を真弓に向けた。

「うん、これだ。確かに間違いない」

 真弓は、一瞬だけ周囲を見回してから声を潜めた。

「……うちの学校の、書道部の写真なんて、何に使うの?」

 湖川家の母親が惨殺された事件と、由樹の家族が殺された事件に関連があることは、もう世間でも周知になっていた。

 犯人は、恐らく同一犯だと警察もマスコミも断定している。

 近隣では美人姉妹と有名だった、碧と藍を狙った変質者の犯行ではないか? もしくは、湖川家と速水家には何かつながりがあって、それこそが犯行の動機なのではないかと、世間では噂されている。

 しかし、犯人はいまだ捕まらず、そして、湖川家の姉妹も行方不明のままだ。その彼女らの写真を、由樹がどうするのか、真弓は不安を憶えているらしい。

「警察に頼まれたんだ。あの姉妹二人の写真を手に入れて欲しいって。捜査に使いたいらしい」

 端末のデータを自分の端末に転送し、由樹はしらを切った。

「別に、真弓ちゃんが心配することないよ」

「その写真、もう警察に提出してあるって、書道部の子は言っている。それに、警察が民間人にそんなお手伝いを頼むの?」

 まあねと言葉を流す由樹に、真弓が切り込んできた。

「速水君、何か隠してる……その写真、何に使うの?」

 由樹は顔を上げた。曇った真弓の表情が、自分を見つめている

「何だか、変よ。速水君、一回メアド交換しただけの私に、こんな状況の中でわざわざ連絡してきて、写真を頼んできたのよ。何か大事な意味があるんでしょ?」

「鋭いなあ」

「写真、何に使うの?」

 由樹は答えずに、伝票を掴んで席から立ち上がった。

 店を出る由樹へ、真弓が追いかけてきた。同じ方向へ一緒に歩きながら、真弓が言いつのって来た。

「何かあるんでしょ」

「迷惑はかけないよ」

「そんなのじゃなくて! 心配しているんだってば!」

 もうクリスマスが近い。ショーウィンドウにはサンタの飾りつけ、クリスマスソングが通行人と混じり合う大通りで、由樹は足を止めた。

「だって、すごく顔色悪いし……」

 真っ赤な顔で、自分を睨みつける真弓と目が合った。

 由樹は真弓の腕をつかみ、強引に前に引寄せた。

 小さな悲鳴を上げて、真弓の顔が由樹の顔の下に突っ込んだ

 そのまま、真弓の背中に由樹は腕を回す。

「写真、ありがとう。助かる」

「……!……」

「次は、ちゃんと落ち着いてお茶を飲もう」

 体を離すと、真っ赤に硬直した真弓の顔が現われる。流れる通行人の中、川底に突き刺さった棒のように立っている真弓へ、由樹は笑顔で手を振って離れた。


 父の整体院は、今は休業中の札をかけている。

 由樹は鍵を開けて建物に入った。事件発生から二週間経つ。家に入ることは、どうしても出来なかった。今はここで寝泊まりしている。

 電気をつけると、白っぽく、無人のうすら寒い待合室が現われた。

 助手の山田も、受付の女性も、今は休みにしてもらっている。

 頭が空っぽのままで、それでも手と体だけでも動かさなくてはならない、煩雑な用事や雑用、手続きが由樹の前に山積みになっていた。 

 今後の整体院の経営を継続するのか閉めるのか、もしもそうなれば、現在通ってもらっている患者の受け入れ先や紹介先、スタッフの次の働き場所や、その後をどうするかという関係者同士の話し合いや、警察に通い、事件に関するやり取りと書類の作成と、法律的な相続の話。

 これについては、祖母の雪代の友人だった、ベテランの弁護士が力になってくれたが、問題は今後の生活のことだった。相続の話や後見人の件に関しては、由樹に現在残されている唯一の血縁者、母のサツキの弟で、叔父の秀平に連絡を取る必要があったのだが。

 携帯が鳴った。由樹は無人の整体院の受付席に座りながら、携帯に耳を当てた。

『もしもし、由樹君か?』

 叔父ではない。

 叔父、秀平の友人であり、都心で画商を経営している千田という男だった。

 秀平は定住先を持っていない。携帯もPCも持たずに世界を放浪し、ハガキや手紙で居場所を伝えてくる変わり者だった。

 今はこの千田が、スペインの田舎にいる叔父と、由樹の連絡役を務めてくれている。

『今、いいかい?』

「はい、どうぞ」

 由樹は、受付にあるパソコンに電源を入れた。画面が立ち上がり、いくつもあるファイルの名前と内容を一つ一つ開けていった。

『秀平の奴なんだけど、あっちの警察となかなか話が進まない。あの野郎、向こうの警察に心象が最悪なんだよ』

「麻薬じゃあね」

 叔父の秀平が、麻薬所持と売買取締容疑で、スペインの警察に拘束されたと連絡が来たのは、由樹が病院から退院する前日のことだった。

『いや、待ってくれ、由樹君。信じてやってくれ、奴は麻薬には手を出していない。あっちの酒場で知り合った飲み仲間が、運悪く薬の売人で、秀平はそのとばっちりを受けているだけだ』

 由樹は千田の必死な声を聞きつつ、パソコンに入っている患者のデータを検索しながら口を開いた。

「でも、向こうの警察にしてみれば、叔父さんはある日突然ふらりと現れた外国人で、職業も画家なんて怪しい職業だ。どうせ絵も描かずに昼間はふらふらして、毎晩バーで酒を飲んでいたんだろうし、怪しい風体この上ないでしょう」

 秀平は久しぶりに千田に国際電話をかけて、事件をその場でようやく知った。急いで帰りの航空券を手配し、荷物は全て部屋に置いたまま、財布とパスポートだけを持って空港に向かったところを、麻薬取締容疑で逮捕された。

 警察は麻薬の売人と叔父をマークしていた。逃亡だと思われたらしい。

 それを振りきろうと、襲いかかる警察官数人を殴りたおし、滑走路に侵入して飛行機のタラップを駆け上がろうとしたところで、ついに取り押さえられたという。

 派手な捕り物で心象は最悪だ。器物破損もあったらしい。麻薬売買の容疑が晴れも、いつ帰れるか、それは可能なのか、分かったものじゃない。

 おかげで、千田が大変だ。現地の警察と領事館、弁護士の手配に由樹との橋渡しと、多大なる迷惑で、本業はそっちのけだ。

「帰ることが出来たら、千田さんの為に、一〇〇号の絵を無料で叔父に描かせます」

 両親に祖母、三人はあの世で怒っているなと思いつつ、由樹は千田に感謝した。

「まあイタリア語と英語は、叔父は堪能ですから、語学と屁理屈を駆使して、スペイン人に無実を納得させてくれよ、と伝えてください」

『由樹君、分かってやってくれ、あいつが空港で大暴れしてパトカーをぶっ壊したのは、何とかして、君の傍に戻りたいと願ったからで……』

「叔父が帰るまで、父たちの葬式は出しませんよ。気長に待っていますから」

 叔父よりも、千田に同情するほうが先だ。由樹はため息をついて通話を切った。

 しかし、かえって好都合だった。今は叔父がいない方が良い。

 父の患者のデータ画面をスクロールする。

 古いデータの中にある名前を見つけて、由樹は安堵した。

 受付の電話を使って、彼の連絡先に電話した。番号が変わっていないことを心から願いながら。

 通話がつながった。

『サダ!』

 父を呼ぶ泣き声が、由樹を揺さぶった。

『まさか、サダか? 心配したんだぞ、サダァ……』

 整体院の電話番号が、相手の携帯のディスプレイに出ているのだろう。父からの電話と思い込んでいる相手へ、由樹は声を押し出した。

「……すいません、速水の息子の由樹です。三浦さんですか」

 しばらくの沈黙。その後、落胆と安堵の混じった男の声

『よしき? ヨシ坊か?』

「驚かせて申し訳ありません」

 素直に由樹は謝った。

『……いや……すまねえ』

 ぽつんと、声が耳に落ちた。

『一瞬だったけど、嬉しかったよ。アイツから電話だって。生きていたんだな、驚かせやがってって。すごく、すごく嬉しかった……おい、ヨシ坊……大丈夫か? メシ、ちゃんと食ってるか?』

 十年前まで来ていた父の患者だった。

 父の中学の同級生で、同じ将棋クラブにいたことがあったらしい。

 子供の頃に、両親を失って苦労し、結果、極道の世界に入ったという。その生活は苦しく、重労働の日々で腰をやられて動けなくなった。

 かといって、極道の世界から足を洗うことも出来ず、治療代も出せない。

 それを知った父が、三浦を将棋友達として速水家の二階に呼び、将棋を教えてもらっているお礼という名目で、彼の腰を治療した。その後、腰の治った三浦は商売を始め、今は成功している。

『俺なんかに連絡を寄こすなんて、何があった? 俺の素性は、親父さんに聞いているだろう』

「頼みがあるんです」

 由樹は、正直に打ち明けた。

「三浦さんなら、商売柄、顔は広いと思います。三浦さんのルートで人を探して欲しいんです。相手の画像をお送りします」

 三浦の声が、低くなった。

『事件がらみか?』

「そうです」

『だからって、ヨシ坊、いいか? こんな俺が言うのは何だが……警察に任せろ。俺も、あの事件は隅から隅まで読んだ。気持ちはよく分かるぜ、俺だって犯人は八つ裂きにしてやりてえ、だがな、お前が復讐に出て行くことはねえんだよ』

 口調に、真剣さが増した。

『……それにな、言っちゃなんだが、俺の世界と、ヨシ坊は関わらないほうが良い。だから、俺はサダと、あれ以来連絡を取るのを一切……』

「お願いします。恐らく、警察じゃ見つけられないかもしれない」

 パソコンに転送した、姉妹の写真画像を見つめた。

 碧と藍。二人が展覧会の看板の前で並んでいる。半年前ということは、事故に遭う以前……碧が狂い、藍が血を吸うようになる前か。

 藍を見つけるのならとにかく、この写真では碧を探せない。

 由樹は思う。碧の顔は、今と全然違う。

 この写真に写っているのは、ただの気が強そうな美少女だ。しかし、今の碧は別人だった。顔は同じだが、覆っている翳が違う。負に目覚め、暗く輝く瞳。

 パソコンから写真を送る。三浦が画像ファイルを開いたのを確認してから、由樹は言った。

「お願いします。警察はこの姉妹は誘拐されて、どこかで監禁されていると思っているけど、違う。必ずどこか、外で誰かの目についているはずだ」

『……何で、そう思える?』

「知っているからです」

『……じゃあ、警察に話せ』

「信じてもらえないよ」

 由樹は声に力を入れた。

「お願いします、三浦さん。それに、多分犯人はまた、俺に接触してくる。俺が唯一生き残った目撃者だ。それに、実は犯人に喧嘩はもう売ったんだよ。警察抜きでやろうぜって」

『何だと?』

 声が裏返った。

『何考えているんだ! おまえ……』

「お願いします、三浦さんもずっと昔、自分の話を俺にしてくれたよね。自分で親の仇をとりたかった、法律は、遺族の感情の味方ではない。弁護士を雇える奴の味方だって。だから、もう法律を信じるのはやめたんでしょう。俺も今、そうなんだよ。俺の仇は、法の外だ」

『……』

「そんな奴とやりあうんだ。情報やカードは多い方が良い」

 言葉を切った後の、沈黙は長かった。

 プツリ、と通話は切れた。由樹はかけ直すことなく、そのまま通話を切った。

 そして、待った。

 ――二時間後、三浦から着信が入った。

「……有難うございます」

 由樹は安堵した。

「じゃあ、三日後に」

 待ち合わせの約束の後、由樹は次の段階に入ることにした。しかし、次の頼みが最も厄介だ。いくら金を積むといっても、父の恩を振りかざしても聞いてくれないかもしれない。

「三浦さん、それからもう一つお願いがあるんです」

 何だ? そう言おうとする相手に、由樹は一気にたたみかけた。

「銃が手に入りませんか?」

 そして、三浦に会うまでの三日間は、由樹にとって長かった。

 家ではなく、独りで整体院の建物で生活している無機質さもあって、澱んだ水の中に浸かっている気分だった。

 人には会いたくないが、気が滅入ってくる。こうしている間に、姉妹が手の届かない場所に行くのではないかという妄想と、苛立ちに由樹は苛まされた。

 そして血がいまだ乾かない夢で、何度も夜中、診療室のベッドで目が覚めた。

 三浦が待ち合わせに指定してきたのは、外資系の一流ホテルのロビーだった。

 大理石の床に、吹き抜けの天井。中央には巨大なクリスマスツリーがフロアを貫いている。十年前、くたびれたポロシャツとジーンズで家に出入りしていた男は、クリスマスツリーの下、仕立ての良いコートとスーツ、フェラガモの靴で立っていた。

「久しぶりだな、ヨシ坊」

 三浦の手が、頭の上に乗せられた。仕草は変わっていなかった。

「でかくなったな」

 声には、悲しさと静謐さが混じり合う。そして、懐かしさ。

「お久しぶりです」

 由樹は頭を下げた。

 三浦は、当時と随分変わっていた。まるで、アタッシュケースを持っている姿は、商社マンか銀行員のようないで立ちだ。しかもエリートの。

 画家の叔父のほうが、ヤクザに見える。

 由樹の背中を叩き、三浦はフロアの奥へ誘った。

「部屋を取っている。昼飯にルームサービスを取って話すか」

 エレベーターで部屋に上がった。最上階の部屋。入った瞬間、由樹は固まった。

 スイートルームは初めてだった。

 ここにもクリスマスツリー。イタリア製家具で統一されたリビングルームの窓から、街を見下ろすと、人の営みがミニチュアのようだった。雲の上にいるようだった。

「さて、思い出話は後回しだ。先に仕事から片付けようか」

 三浦と由樹は、腰が埋もれそうなソファに向かい合って座った。

アタッシュケースから、タブレットPCとファイルが取り出され、テーブルの上に置かれた。

「この女の子二人。姉が湖川碧で、妹が藍。姉の方だが、確かに、拉致監禁はされていない。最近まで『倶楽部桜蘭』という中堅のキャバクラで働いていた。街中で、スカウトマンが目をつけて、引っ張って連れてきたらしいな。源氏名もミドリ」

 女が隠れる場所で、一番多いのは風俗だ。経歴は問わず、住む部屋も用意してもらえる。 

 三浦が手に入れた、店の人事資料の分厚いファイルと、店のキャスト紹介用パネルを由樹は眺めた。ああ、確かにこの顔だと思う。人喰いの顔。

「姉は、母親を殺されたその場から、犯人に誘拐されていたんじゃなかったのか?」

 頭を傾げる三浦を、由樹は目で急かした。

「店では、どんな感じだったって?」

「先日までナンバーワンだ。大したもんだよ。十二月最初になって、突然店に来なくなったらしいがね。まあ、この商売の女の子にはよくあることだって、店長も諦めている風らしい。ああ、それから、一緒に姿を消しちまったキャストがいるというんだな。部屋も一緒に住んでいて、その娘とは随分と仲が良かったらしい……ほら、この娘」

 頭のてっぺんを掴まれた気がした。

……碧と一緒にいた、あの女だ。

「ミドリとは正反対。在籍は長いが、いまだにヘルプだ。だからその子に関しては、店長もさほど気にしてなかったがね。名前は草野恵理子、碧より三歳年上」

「どこへ行くとか、店長はそういうのは聞いていない?」

「十二月二日、突然二人で雲隠れしたらしい」

 その日は、家族が殺された日だった。

「……これで、素性や足取りも分かったよ。有難うございます」

 由樹は、ファイルから必要な分だけを取り、目で次の催促をした。

「俺は、お前の気持ちはよく分かる。だが反対だ」

 ぽつんと三浦は言った。

「これだけは忘れるな。俺はお前も、サダの家族が大好きだった。俺だって、家族を殺された。復讐すると誓ったことを、今でも覚えているさ。でも、正しい事じゃない」

「……」

「復讐は、時間を止める。幸せだった思い出が、恨みと憎悪で壊されちまうんだ。だからって、復讐すれば修復できる訳じゃない」

 三浦は、少年時代に両親を事故の形で殺された。

 復讐の為に極道に入った。そして、相手を破滅に追い込んだ。

「復讐が終われば、幸せになるわけじゃない。俺を見ろ。幸せそうに見えるか?」

 復讐で一つの家族を壊した。だから、自分も家族は持たないと三浦は誓った。

「覚悟の上ですよ」

 部屋に、有線があるのか。うつろに流れるクリスマスソングのBGMを聞き流しながら、由樹は嘆いた。

 自分のすることは、間違いであると分かっている。きっと、両親と祖母は由樹の決意に怒り狂っているだろう。

――それでも。

「復讐する目的があるから、俺はこうやって正気を保っていられるんです。その目的があるから、俺は何とか立ち上がれた。今は、そのためだけにしか生きられない」

「……」

「こうやって三浦さんと話をしていられるのも、家族の仇を取るためだけだ。復讐心を無くせというのは、俺に死ねという意味です。今の俺の状態も、分かってもらえますよね」

 分かってくれなくても良い。だが、三浦になら通じる筈だった。

 生き残ってしまった以上、死ぬことは出来ない。だから、生きるエネルギーになるのなら、何でもぶち込む必要があった。例え憎悪でも、執着でも。

 お互いの想いで、密度が重くなった部屋の中、二人は黙り込んだ。

 由樹は黙って、待った。

 三浦は、息を吐いた。

「……復讐に、使うのか?」

「復讐する相手は、化け物です……身を守るためですよ」

 ふいに、藍の顔が浮かんだ。次に沸き上がりかけた感情を、由樹は抑え込んだ。

「コルトだ」

 アタッシュケースから、三浦は金属の箱を取り出した。

 リボルバーの銃。静かな重量に、由樹は目を見張った。

「すげえ。ノーリンコとか中国製なんかじゃないや」

「自動拳銃は、薬莢を輩出するときに、弾詰まりを起こす危険性があるからな。リボルバーならその危険性は低いし、暴発も少ない。弾は六発。もう装填してある」

「有難うございます」

 手を出そうとした由樹に、三浦は言い放った。

「お前にやるんじゃない。俺の銃だ」

「え?」

「俺の銃を、お前に貸すだけだ。いいか、ちゃんと返せ。約束だ」

 箱へ伸ばした由樹の手から、三浦はコルトの箱を遠ざけた。

「間違った使い方はするな。最初に言った通り、あくまで護身用だ。もしも、この銃でヨシ坊の身に何かが起きた場合、俺は死んでサダ達に謝りに行く」

「……えっと……」

 その顔は、真剣以外の何物でもなかった。ゆるぎない口調は、由樹へ向けた言葉の一語一句、迷わず実行する気迫があった。

「こんなもの、いつまでも子供が持っている物じゃない。用が済んだらすぐ返せ、いいか、男同士の約束だ。ここで誓え。そうでないと渡さない」

「……誓います……」

 気圧されながら誓う。

 金属の箱に銃を納め、三浦は立ち上がる。コートを手にした。

「俺はもう仕事に戻る。昼飯が来るから、ヨシ坊は食べてここで一晩泊っていけ。夕飯も、明日の朝飯も頼んである。精算はもう済ませた」

 ルームキーを手渡され、由樹はあわてた。こんなだだっ広く、豪華な部屋。食事をご馳走どころか、一流ホテルのスイートだ。

 そんなつもりはなかったのだが。

「診察室のベッドで寝たって、疲れは取れないだろ」

「……え?」

「カノジョがいるなら、ここに呼べ。モテるんだってな」

 唖然とする由樹を置いて、三浦は部屋から出て行った。

 入れ違いにボーイがうやうやしく、食事のワゴンを持って入って来た。

 ルームサービスの食事は、今まで食べた料理の中で一番の贅沢さと美味だった。

 ここしばらく主食だった、コンビニの弁当や菓子パンは、もう食べる気がしなくなるほどに。

 シャワーを浴びて、ベッドに転がった。

 金属の箱を開けた。間違いなく、銃だった。

――復讐が終われば、幸せになるわけじゃない。

 復讐の相手は、藍のたった一人の姉。しかし、由樹が目的を果たせば、由樹は碧と同じように、藍から家族を奪うことになる。

 藍に憎まれるだろう。だが、こうしなければ、自分自身が狂ってしまう。

 自分自身が狂わないため。だが、藍に憎まれる。

 由樹の中で、何度も言葉の順番が入れ替わる。

 しかし、どうしても復讐を止めることは出来ない。

 本当に好きだった。

 由樹は、心の中で藍に告げた。

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