第4話
放課後、書道部に藍は顧問に休部届を出した。
顧問は、何も聞かずに受理してくれた。
事故以来、書道部の活動は休止状態らしい。
「やっぱり、事故のことがショックで、休む生徒が多くてね。廃部にはならないでしょうけど」
うなだれる藍に、顧問は笑って手を振った。
「落ち着くのを待っているわ。碧さんもね」
「来ていないんですか?」
最近、碧の学校からの帰りが遅くなっていると母から聞いているので、藍はてっきり、碧は書道部に出ていると思っていた。
「先に帰っておいてって、碧さんから伝言だけど」
「そうですか」
姉妹二人とも、携帯端末を持っていない。母の佳子が持つことを許さなかった。
一度、高等部に入ったばかりの碧が許してもらって買い与えられたが、毎日携帯の履歴チェックを母から受けて、閉口して手放した。
「まあ、どうせ友達とは学校で会って話せばいいし、登下校中、ナンパしてくる男から携帯の番号を聞かれるのも面倒だし」
そういって、碧はもう携帯を持とうとはしない。
姉が持っていないので、何となくだが、藍も持っていない。
「でも、今までは晩御飯までには絶対に帰ってきていたのに……お母さんも、面と向かって何も言わないから、良いけど」
同じ部活に入っていたので、帰りはいつも一緒だった家路を、今日は藍一人。
帰りの電車の車窓を見ながら、藍は嘆いた。
「図書館にでも行って、勉強しているのかな」
碧の志望は、東京の有名私立大学だ。今、テレビで活躍している女性ニュースキャスターの多くがそこの卒業生で、佳子は、碧が女性アナウンサーになることを望んでいた。
それでお母さんも黙認しているんだと、藍は納得した。
電車が止まった。駅に着くと、どっと乗降客が電車の内外で交差する。
この時間帯は、特に人が多い。慌てて藍は電車から降りようとし、前にいた男子学生にぶつかった。
藍の背後から、どっと昇降客が続く。
男子学生は、後ろの藍に押されるようにホームに押し出された。
「いてぇな、オイ!」
男は振り向くと同時に、罵声を藍に浴びせた。
「何勝手に押してくんだよ、オレ、別にここに降りる気ねえよ、どうしてくれんだぉ」
「す、すみません」
だらしない制服の着方、鎖をいくつも着けたベルトに、金髪の頭はどう見ても、真っ当な学生ではなかった。
怖い。
しかし、藍を見た瞬間、ヤンキーの顔が緩んだ。
「あっれぇ、あんた、セイコーじゃね? もしかしてセイコー女子がオレをナンパ? で、そのためにオレを電車から降ろしたの?」
乱暴な口ぶりが豹変する。
「あー、イイね、オレ、セイコーの真っ白のセーラー服、すっげえ好き。制服征服、なんてね、面白くねえ? なあ、この駅なにがあんの? 案内してよ」
舐るような目と声。何をされるのか、下品な口調に怯えて、藍は動けなかった。助けを求めたいが、それをしたら更に事態がどうなるか。
「いいじゃん、オレをここに押してきたのは、あんただろ。責任とってよ。別にトモダチになるくらい、イイじゃんかよぉ、なあ」
ホームの柱に、藍は背中を押し付けた。怖い、どうやって逃げればいい?
周囲を見回す。藍とヤンキーを見て見ぬふりか、急いでいるのか、脇を次々と人たちは通り過ぎていく。
助けはない。声を出して助けを叫ぶのは、怖すぎた。
「ちょっと、なあ! なんか言えよ、トモダチになろうって言っているだけじゃねーか、無視してんじゃねえよ!」
怒声に、藍は悲鳴を上げかけた。その時だった。
「じゃ、俺と友達になろう」
少年の涼しい声。
伸びた手が、ヤンキーの後ろ襟をつかんだ。
そのまま、ヤンキーの首は背後から腕でブロックされる。
「何だよてめえっ」
ヤンキーが首元を固める少年の腕を振りほどこうとした。もがきながら足を蹴り上げるが、背後の相手には全く効かない。
少年は、ヤンキーの耳元に背後から顔を近づけた。
「自己紹介するよ。菊宮男子高等学校、空手部二年の速水由樹。よろしくな」
「何だよ、うぜえよはなせよ!」
「てめえみたいな男がいるから、俺たち真面目な男が迷惑してんだよ。友達作りたいなら、この子よりも俺にしようぜ、なあ。これも何かの縁だよ」
白い開襟シャツと、黒い学生ズボン。
一見、空手部とは程遠く、華道部のほうが似合いそうな男子だが、力は相当強いらしかった。見る見るうちにヤンキーの顔が赤黒くなった。
「あ、ぼちぼち次の電車来るぞ。どうする? 乗る?」
しれっと由樹が提案する。
ヤンキーの真っ赤な顔が、何度も縦に動いた。それを見てから、由樹はホームに入ってくる電車を確認した。
「じゃあな!」と腕を放し、ヤンキーの背中を蹴り上げた。
ヤンキーが、半分空を飛んで車両に飛び込んだ。
ヤンキーが車両の床に転がった。
扉が閉まる。電車が発車した。
遠ざかっていく電車を、藍は呆然と見送って我に返った。とりあえず、お礼だ。
速水由樹に顔を向けた。
「……ありがとう」
「えっと、湖川、久しぶり……」
……言葉に、間抜けな間が空いた。
「あの、退院したのか、良かった」
「……はい」
「あの、夏合宿のせいで、ずっと留守していて、俺、事故の事を聞いたのずっと後で、それで見舞いにも行けずに、ええと、お姉さん、今日はいないの?」
「……」
「……あの、もしかして、湖川、俺のことを憶えていないとか」
由樹が慌てた。しかし、藍は憶えている。
小学校と、中学校と同じクラスだった男子だった。でも、どうやって相手をしていいのか、分からない。
只でさえ、男子が苦手だ。速水由樹は家が近所のせいか、中学の頃にやけに藍に話しかけてくる生徒だった。
由樹を好きだという女子生徒がいて、その子から藍は散々嫌味を言われたりと、理不尽な目に合ったのを思い出す。
会話が噛みあわない。でも、お礼は言わなくては。
「どうも有難う、助かりました」
「……」
由樹が何か言いかけようとした、その時だった。
「がんばれハヤミ!」
向い側ホームから、割れんばかりの笑い声が響いてきた。
由樹と同じ制服の五人。こちらを指さして笑い転げている。
「お、かわいーじゃん。やっぱりふられちまえ、ハヤミン」
「おーい、キミ、この男はタラシだよ、逃げなさ―い」
ホームの注目度が一気に急上昇した。藍の目の前で、由樹の顔が赤く膨張する。
「てめえらっ」
向かい側の五人が、嬌声を上げて改札へ逃げていく。
怒り狂った顔で仲間を追う由樹の背中を、藍はあんぐりと見送った。
そして気がついた。
由樹は、もしかして向かい側のホームから、わざわざ藍を助けに来てくれたのか。
駅を出ると、商店街がある。藍の家の方向は、速水家と同じだ。その中を歩きながら、もしかしたら速水由樹たちの姿があるかもと思ったが、いなかった。男子生徒六人で途中寄り道して、駅前のファーストフードにでも入っているのだろうか。
商店街を抜けて、道路一本隔てると、塀の並ぶ一戸建てが順序良く並ぶ住宅街に入る。
藍は帰宅した。
「ただいま」
叩き口に、碧の靴はなかった。小さな落胆と、奇妙さを抱えて藍は家に入った。
ダイニングを、まず覗く。その隅で、母がかがみこんでいた。
「お母さん」
藍は歩み寄った。
「ただいま」
佳子が、電撃に打たれたように藍へと振り返る。その顔は異様な緊張があった。
「どうしたの?」
藍は、佳子の手元を覗き込んだ。
中身は何なのか、厳重に包まれた新聞紙の塊。
いつのまに置かれていたのか、小さなゴミ箱がある。生ごみ、資源ごみ、そして不燃ごみはすでに置いてある。これは何のゴミだろう。
「お皿でも、割ったの?」
「……そうよ」
白い顔で、佳子は頷いた。
「だから、ちゃんと新聞紙で包んで捨てないと」
「大丈夫? 欠片は飛び散ってないの? 手伝おうか?」
「いらない!」
声が飛び上がった。
「いいから、お部屋に入っていなさい!」
佳子に気圧され、慌てて藍は二階に上がった。
夕食の時間になっても、碧は帰ってこなかった。
母娘二人。クリームシチューの湯気が、妙に寒々としている。
「お姉ちゃんは?」
「知らないわ」
「図書館かな」
「さあ」
精神的だけではなく、舌そのものが味を感知しない。シチューを飲み込み、藍は続けた。
まるで、機械の燃料補給だと藍は思う。
「……こういう時って、やっぱり、携帯がある方が便利じゃない?」
佳子は何も言わない。
そういえば、父はどんな人だったのかと想う。死んだ祖父も祖母も、父の事をほとんど教えてくれなかった。離婚した事情も知らない。
知りたいと思うが、聞いたことはない。ここはそんな好奇心を許される場所ではない。
話題を藍は探した。味覚の鈍重さを、せめて会話で紛らわせたかった。
今朝の事を話そうかと、藍は思った。
お姉ちゃんが、朝にクラスに来てくれたこと。助けてくれたこと。
ああ、そうだと、駅での出来事を思い出す。
小中、二回クラス一緒だった速水君って憶えてる? あの人が、駅で変な人に絡まれたのを助けてくれたの。
昔から女の子みたいな顔だったけど、今、空手部だって。意外ね。
その話題は差し出すか、藍はひどく躊躇した。佳子は、そういった異性が絡む話題を異常に嫌う。姉妹が恋愛漫画を読むのも、ドラマも嫌がるほどだ。
「……あったって、同じよ」
「え?」
「携帯あったって、同じよ。分かりたくもない」
佳子はシチュー皿に目を落としたまま、藍を見ない。
喧嘩でもしたのかと、藍は聞こうとした。最近おかしい。碧は喧嘩をしてもさっさと謝り、話をすぐに終わらせるのに、今回は妙に長引いている。
その時、玄関が開く音がした。
「お姉ちゃん!」
「ただいま」
ダイニングに顔を出した碧は、夕食のシチューを見た。そして、憐みのこもった目を藍に向けた。
「それ、美味しい?」
「え?」
「碧!」
佳子の声に、碧は白けた顔で応じた。やがて薄笑いを浮かべ、そのままダイニングを出ていく。二階へ上がる音が聞こえてきた。
おかしい。怒っているとかの喧嘩の顔じゃない。
藍は佳子に向いた。何があったのかと聞こうとしたが、佳子はそれを遮った。
「藍、早く食べなさい」
何も言いたくないという疲労ではなく、もっと深い。そんな佳子の表情。
黙って、藍はスプーンを手にした。
藍は黙って食事を再開している。さっき、つい取り乱してしまったが、母親が取り乱した理由など、もうどうでもいいのだろう。
佳子は少し安堵し、二階の天井を見上げた。
今日も碧の部屋に「あれ」があった。
考えても、考えるほど分からない。気が狂いそうになる。
一体どこから「あれ」をテイクアウトのように持ち帰ってくるのか。
佳子は毎日のように碧の部屋を捜索している。
『この中に捨てなさい』そう、台所に専用のごみ箱を置いたというのに、碧は、食べ終わったお菓子を捨てるかのように、平然と骨を、度々自室のごみ箱に捨てていた。
今日は、使い終わったウェットティッシュや紙くずの中から、肉をそぎ落とした太い骨が、人皮を持ち上げるように突き出していた。
佳子は悲鳴を上げた。
鳥や動物の骨だと思い込もうにも、その太さや形状は、同族のものだと強く主張している。
「……狂ってる……」
禁忌そのものを家に持ち込み、平気でごみ箱の中に捨て、親に始末させるその行動は、いったいどこから来たものなのか。
涙すら出せない状況だった。自分が弱ってしまえば、娘の狂気が世間に露見してしまう。
それを防ぐ一心で、佳子は死骸を捨て続けた。
それが一体、いつ終わるのか、死骸の残りはあとどれだけあるのか。
碧に問いただしたいが、口にするのもおぞましい質問だった。
次の日の朝食も、碧はやはり抜いた。
「私、先に学校へ行くわね。行ってきます」
まだ食事をしている藍に向かい、軽やかに言い残してダイニングを出ていく。
ドアが閉まる音がした。
バターロールの卵サンドを手にした藍が、怪訝そうに佳子を見た。
「最近お姉ちゃん、お母さんの作ったご飯を食べないけど、良いの?」
今までなら許さないのに、とその目が聞いている。しかし非難はしない。ただ、不思議がっている。藍はそんな子だ。
「買い食いでもしているんでしょう」
それ以上、佳子は口を開きたくなかった。
藍もそれ以上は聞かなかった。元々、口数は少ない子だが、最近、藍も母親に対して、どこかに秘密の箱を持ち運んでいるような気がする。
藍が学校へ行くと、佳子は立ち上がった。
これから、ゴミを出さなくてはならない。
ダイニングの床に膝をついた。床下収納庫の取っ手に手をかけた瞬間、鳥肌が立つ。
「……」
一気に引き上げた。暗い穴の下から、もわりと死臭が立ち上ってくる。
吐き気をこらえ、目を閉じて佳子は手を突っ込んだ。
ビニール袋に入れた新聞紙の包みを取り出した。
今朝は、四つ。
見るのも汚らわしい。しかし、目を開いて作業しなくては。
黒いゴミ袋を四枚重ねて、死骸の包みを入れる。
本当なら、一刻も早く捨ててしまいたいが、ごみの収集日は決まっている。
収集日以外のゴミ捨て場には、近所の目が光っていた。その日以外に出されたゴミを開き、中身をチェックする老婆が近所に住んでいる。
そうなると、ゴミの日以外に、このおぞましい塊を出すことなんてできなかった。
それまで、この床下収納庫に隠しておかなければならない。
佳子は、ゴミ袋を持って外に出た。
ゴミの収集は、その日の朝の一回。時間帯はほぼ一緒だが、時折ずれることもある。
逃せば、次の収集日まで待たなくては。
佳子は、汗が滲みだす手でゴミ袋を持った。いつも、包丁の上を素足であるくような緊張感を強いられている。
玄関から、ゴミ捨て場まで五〇m。
佳子は、ゴミ袋を置いた。
何らかの拍子で、袋が破れて中身が飛び出したら?
餌をあさるカラスや猫に、袋を破られて中身を引きずり出されたら?
暇な隣人が、この厳重なゴミの醸し出す異様さに、興味を持たれたら?
佳子は、ゴミ袋を見つめた。放置して、この場を去れない。
「湖川さーん」
突然、心臓を背後から貫かれた気がした。
「湖川さん、あらやだ、驚かせた?」
向かいの家の、金子という主婦だった。
ああいやだ、と反射的に思った。出来れば、ごみを捨てるところも誰にも見られたくないというのに。しかもこの金子は話が長い。手を焼かせる小学生の息子の話だけで、軽く二〇分は口を動かしている。
「……いえ、ぼうっとしていたから」
口の中が、一気にカラカラになった。
「随分、ご大層な袋ねえ」
金子は佳子のゴミに目を落とし、笑った。
「何、生ゴミ? 匂いがきついとか、腐りかけとか?」
「……まあ……一応」
厭だ。
佳子は想った。
早くゴミを出して、この場から去って欲しい。
「夏場は厭よねえ。すぐ腐っていやな匂いするんだもん。魚なんか、さばいた次の日にはもう変な匂いをさせているから……ねえ、聞いてよ」
ああ、いやだ。何を話したいんだろう。
「こないだウチの馬鹿息子が、またやらかしたのよぉ」
金子はわざとらしいため息をついた。
「給食の残りのパンを、今までずっとベッドの下に隠していてね。ほら、私、食べ物は大事にしろ、食べ残しちゃいけませんって、いつも言い聞かせているから、パンを残して帰ってきたら怒られるって思ったらしいのね。それでベッドの下に、黙ってずぅっと隠していたのよ。それがもう何か月分よ! 信じられない!」
ベッドの下……嫌な言葉だ。
「たまたま、そのベッドの下を見たら、溜めていたパンがかびて、もうベッドの下がカビだらけ! もうひどいのなんのって」
「……」
「もう、ぎゃあって叫んじゃったわよ。アリまでたかっているのよ、もうぞっとしたわ。
男の子って、何をしでかすか、分かったもんじゃないわよねえ」
知る由もないとはいえ、おぞましい体験を自分によみがえらせる。秘かに背中を粟立たせながら、佳子は本気で金子を憎んだ。
「いいわねえ、湖川さんのところは女の子二人だもん。男の子は大変よ、特にウチの子は、とんでもないやんちゃ坊主だもん。この間も学校でね……」
無意識か、否か。さっきから金子がちらちらと、佳子のゴミ袋を見ているのが耐えられない。
もう分かったから、はやくこの場から去って欲しい。いや、立ち去れ。
「ああ、そうだ。藍ちゃん、ボーイフレンド出来た?」
頭に、異物を放り込まれた気がした。
「昨日の夕方、駅のホームで一緒にいるのを見たわよ。同級生くらいかしらね、可愛い顔した男の子で、藍ちゃんとお似合いのカップルって感じ」
……心臓が、止まっているのか早鐘のように打っているのか、自分では分からない。
収集車の音楽が近づいてくる。
早く、もう行って頂戴、もう話しかけないで、構わないで。
手がぬるぬるする。背中に汗が伝い落ちる。幾筋も、幾筋も。
「あ、来た来た」
金子がゴミ袋を下に置いた。
「あら、湖川さん、どうしたの? ぼうっとして」
「……」
「湖川さん?」
顔を覗き込まれ、佳子は思わず体を引いた。自分の手が、ゴミ袋を痛いほど握りしめていることに気がついた。金子の手が、佳子の手にかかる。
「ほら、ゴミをいつまで持っているの。ここに置かないと……」
「触らないで!」
ゴミ袋を触られた瞬間、佳子の頭は破裂した。ゴミ袋をひったくるように相手から遠ざけ、金子を突き飛ばす。
「!」
金子がよろめき、アスファルトに転倒した。勢い余って、下に転がった自分のゴミを、佳子は弾かれた様に拾って点検した。良かった、破れていない。
男の声が聞こえた。
「大丈夫ですか!」
佳子は思わず、顔を上げた。目の前に、収集車が既に来ていた。降りてきた職員の男性二人が、ゴミ収集そっちのけで、金子を助け起こそうとしていた。
「いきなり……何するのよ」
職員に抱えられて、ようよう立ち上がった金子が呆然と言った。
「何? 私がどうかしたっていうの?」
「何をしているの、早くゴミ袋を持って行って頂戴!」
男性職員二人へ、佳子は金切り声を上げた。
「早く、こんな人、どうだっていいから、いいから早くゴミを持って行ってよ!」
金子の顔が、白くなった。
職員二人が、顔を見合わせ、そして佳子を見つめた。
「早く、ゴミを持っていきなさいよ、仕事でしょ!」
カランコロンカランコロンと、ゴミ収集車から音楽がうつろに流れるなか、職員二人はあっけにとられて佳子を見つめる。
怒り狂っていた金子も、隣人のただならない形相に、慌てて自分のゴミを置いて逃げ去った。
のろのろと、職員たちが動き出す。一人が嫌そうな顔で、佳子のゴミを引ったくろうとした。その乱暴さに、思わず佳子は叫んだ。
「やめて! 触らないでちょうだい!」
「はあぁ? ゴミ、出すために持って来たんでしょ? 出すの? 出さないの?」
「違うったら、そうじゃないのよ! 離して!」
職員の手を振り払い、佳子は気がついた。職員の目が、怪訝そうに佳子のゴミを見つめている。
頭に血が上り、そして急激に下がった。
なんてことだ。これだけ中身に警戒されたら、ここではもう出せない。
「ちょっと、あなた出すんですか!」
男性職員のきつい声に、思わず佳子は逃げ出した。駄目だ、あやしまれて、中身を開けられたりしたら?
町内にはまだいくつか、収集場所はある。そこに置けばいい。
文字通り、佳子は走り回ってゴミ収集場を探した。
「……ない……」
とんだ計算違いだ。佳子は愕然となった。収集場所はある。しかし、もう全て回収を終えた後ばかりで、ゴミ袋は一つも残されていない。
そこに置く訳にはいかない。
「そうよ、隣町……」
まだ、回収を終えていない場所があるかもしれない。そこに置いて来ればいい。
息を切らせて、隣町まで走った。そして、腰が砕けた。
「うそ」
呻いた。回収日が違う。自分の町内は水曜日と土曜日。しかし、目前の張り紙には、火曜日と金曜日と記載されている。
ゴミ袋がズシリと重い。
また、家にこれを入れるのか。捨てられず、また保管するのか。
厭だ。あまりのショックに泣き出しそうになった時、サイレンが聞こえた。もう昼だ。
三時間も走り回っていたのか。
周囲の奇異な目に気がついた。ゴミ袋を持って彷徨っている中年の女。しかも、涙さえ浮かべて。
不審者どころか、狂人だ。
噂されたらいけない。よろめきながら、佳子は立ち上がった。そしてゴミ袋を手にして家路へ向かう。
呪いを家に戻す気分だった。
ゴミ袋を再び収納庫に入れて、佳子は力尽きた。
リビングのソファに倒れこんだ。もう何もしたくはない。
これから、どうすればいいんだと佳子は沈んだ。
碧。あれをどうやって止めさせればいい?
単純に考えれば、精神異常で病院に連れていくべきだろう。しかし、医師になんて言って説明する?
どこからか、腕や足を持って帰ってくるんです。どうしたら、言ってやめさせることが出来るでしょうか? あの子は何の病気なんでしょうか?
教育カウンセラー? 私の育て方が悪かったせいで、人を食べるようになりました。
私のどこが間違えていたのでしょうと、カウセリングを受けるのか?
いや、相談する母親のほうが、異常だと思われるのがオチだ。
口からあふれ出した音に、佳子は戸惑った。止まらない。
それは笑いだった。からっぽで疲弊した状態で、無意識に笑っていたのだ。
ついに狂ったのかと、佳子は笑いながら頭を振った。そっちの方がいい。
自分が異常なら、この現実は悪夢という事だ。そっちの方が全然いい。
相談できる相手もいない。別れた夫の和夫を思い出した。
アメリカで、デザイン会社を経営している友人に、共同経営をもちかけられたのだ。
彼は渡米を望んだ。親子四人でアメリカへ行こうと、佳子に言った。
「親子四人だけで、暮らそう」
日本を離れることは、実家の両親はおろか、ここの友人たちまで生活の縁を切ることだ。
佳子は両親に相談した。
行きたくない、日本に住みたい。
佳子の両親は、家に和夫を呼びつけて責め立てた。
方針の違いや取り分などで揉めて、共同経営が破たんした例など、父はいくらでも挙げて反対した。そんな簡単なことじゃない、と会社の役員だった父親は言い放った。
そんな博打に、娘と孫娘たちを巻き込むな。
しかもアメリカだと? 何を考えているんだ。
孫や娘と離れたくないと、母は泣いた。そんな遠くへ行ったら、死んでしまうと。
和夫は頑として諦めなかった。
「お父さんとお母さんには、関係ない。親子とはいえ、所帯は別だ」
驚き、怒り狂った両親は、佳子に離婚を強く薦めてきた。
「あんな自分勝手な男とは別れてしまえ」
「親を親とも思っていない、あんな薄情な男は何をしても、うまくいかないよ」
その旨を和夫に告げた。行きたくないと、それなら離婚したいと。
あの時の和夫の目を、佳子は一生忘れないだろう。
離婚は失敗だったと、離婚して二年後、両親が死んだときに、佳子は痛切に思い知らされていた。もう、後ろ盾もなにもない。自分一人では、どうしていいか分からない。
和夫とは、当時からすでに音信不通だった。離婚した時、娘の父としても、あんな男は必要ないと、両親がそれを望んだからだ。
両親の死後、不安に悩まされ、一時期、精神科医のカウンセリングにかかった。
医師の勧めに従って、佳子は和夫に連絡を取ろうとしたが、居場所は分からなくなっていた。友人のデザイン会社を、去ったらしい。
いまだに、和夫とは音信不通なままだ。
……ふいに、佳子は金子の事を思い出した。
慄然とする。あの女が何か勘付いたら?
ゴミ袋を、いやに見つめていた。中身を知らないまでも、何かおかしいと思われたら、非常にまずい。少しの疑念でも、はみ出した糸を引っ張られでもすれば、事が露見してしまう。
ああ、どうしよう。謝りに行くか? しかし、あのおしゃべり女だ。すでに噂を広めているかもしれない。
いや、ゴミ袋を持ったまま、町内を徘徊したことで、すでに……
考えれば考えるほど、心に真っ黒い澱が積もっていく。
もういやだ、もういやだ、いやだいやだ……
頭を抱えて突っ伏し、目を閉じた。己の作った闇に逃げることが、今の佳子にとって、せめてもの安息だった。
「……お母さん、お母さん」
揺すぶられて、目が覚めた。制服姿の藍がいた。
はっと気がつき、リビングの時計を見上げる。午後一九時を過ぎていた。最近、眠りが浅いのも手伝ったとはいえ、どれだけ寝てしまったのだろうか。
「風邪ひくよ」
「ごめんなさい」
素直に謝罪した。家の中は暗い。碧はやはり帰っていない。そして気がついた。
「晩御飯……今すぐ作るから」
もう、買い物にいくのも遅い。
冷蔵庫の中に、何があっただろう。魚の冷凍切り身に野菜は……卵は……
「あまりお腹、空いていないの」
立ち上がった佳子を、藍が淡い笑みで制した。
「急がなくてもいいよ、別に。インスタントでも何でも」
いつもなら歯がゆくすら思っていた、藍の穏やかさが、今は有り難い……そう思い、藍が部屋着ではなく、制服姿なのに気がついた。
「藍、さっき学校から帰って来たの?」
「え?」
「部活は、していないんでしょう?」
授業終了が十五時半ごろ、通学に片道四〇分。書道部に出さえしなければ、一七時頃には帰ってこれるはずだ。
「……ちょっと、寄り道していたから、ごめんなさい」
藍の小さな声で、佳子は頭に閃くものがあった。朝の、金子の言葉。
『ああ、そうだ。藍ちゃん、ボーイフレンド出来た?』
『昨日の夕方、駅のホームで一緒にいるのを見たわよ。同級生くらいかしらね、可愛い顔した男の子で、藍ちゃんとお似合いのカップルって感じ』
「まさか、男の子と、会っていたの?」
藍の表情に、佳子は確信した。
「誰?」
言いにくそうに、藍が言った。
「……速水君よ。ほら、小学校と中学校、二回クラスが同じだった子」
脳裏に、毎回違う女の子を連れ歩く少年の姿と、碧の声がよみがえった。
『小学生の時に、スカートめくられたんだって』
「あの、ちょっと一緒に駅前のスターバックスに入っただけだから」
「何で、その子とスターバックスに入る必要なんてあるんです!」
ああ厭だ、この藍までが、あんな女たらし少年のコレクションの中に、そんな馬鹿な娘だなんて。
「昨日、駅で変な人に絡まれたのを、助けてくれたから、それで、学校の帰りにたまたま会って、お礼しなきゃって、そしたら、速水君が、そこのスタバで何か飲ませてよって、それだけだから!」
「だからって、二時間もそこにいたの! 何の話をしていたのよ、いやらしい!」
「別に……学校のこととか……」
泣き出しそうな顔の藍が、忌々しくて仕方がなかった。男の子に誘われて、ほいほいとついていく。母親の教えを、この子まで否定するのか。
「別に、そんな悪い人じゃないの」
藍が懸命に訴えてくる。その愚かさの上塗りに、佳子は目まいすら感じた。
「お母さん、そういうの大嫌いだって言っているでしょう! 悪い人だとか、良い人だとか、子供のあなたが判断できることじゃないのよ。問題は、あなたがお母さんの言いつけに背いたってことです!」
碧と藍が中学の頃、同じ学校の生徒の少年と少女が、親に隠れて交際し、少女が妊娠したという騒ぎがあった。
生活力もない子供が、親に隠れて好奇心だけで交わり、子供が出来たという結果を招くことが、佳子にとってどれだけ気持ちの悪い話だったか。
十代の少女の出産なんて、その後の展開は、ほぼ決まっているのだ。
二人を結婚させたとしても、頭は子供のままだ。
未熟な子育てと貧しい経済力。若さという財産は、あっというまに食いつぶされて、煤けた生活に早々と擦り切れていく。
いかにも一〇代で子供を産みましたという母親が、金切り声で子供を怒鳴っているのを見ると、佳子はいつも寒気がする。
「お母さん、その速水っていう子が、何度女の子と一緒に歩いているのを見ているの! 見るたびに女の子が変わっているのを知っています! あなたがそんな子と、一緒にいること事態が、気持ち悪くて仕方がないわ」
「見たというだけで、速水君を悪く言うのはやめて!」
佳子は、思わず藍を凝視した。
「一緒に歩くだけが、悪い事なの? 女の子が変わっているのが、そんなにひどい事? 私が速水君に助けてもらったっていうのは、お母さんにとって、どうでも良い事なの?」
「……あなた……」
「私がお母さんの言いつけを破ったっていうのは謝るけど、速水君の人間性云々は、関係ない事でしょう。これは、謝ってちょうだい」
藍の目が、母親である自分にひるむことなく、真っすぐに射抜く。
碧に続いて藍までが。
佳子の自信が揺らぐ。碧には敗北した。しかし、藍まで負けることは許されない。
殴らなければ。佳子は手を振り上げていた。
藍の目が一瞬怯え、すぐ閉じる。
「はーい、そこまで」
場違いな声が響いた。
碧の声。
振り上げた手首に激痛が走り、佳子は大きな悲鳴を上げた。
「お姉ちゃん!」
碧が帰って来たのだ。
「なあに? 少しだけど聞いたわよ。速水君ってあの速水君? もしかして、付き合うのを反対されているの?」
「別に、付き合うとかそんなの違うってば! 一緒にスタバに入っただけ!」
藍を殴ろうとした佳子の手は、後ろの碧が掴みあげていた。
母親の手首を締め上げる、碧の手を佳子は振りほどこうとした。
恐ろしい強さだった。
「お母さんって、心配性っていうより馬鹿だから」
思わず抵抗をやめて、碧の顔を見つめた。
「考えに、自分の核っていうのが無いのよね」
「碧!」
「だから、判断基準が表面だけなの。その奥にあるものなんか、関係なし。自分の考えや、世間体が守られれば、それで平和だって安心しちゃう……ねえ、藍、もうこんな人のいう事なんか、聞くのをやめようよ」
碧の嘲りに、佳子は固まった。
「大丈夫よ、言う事聞かなくなっても、私たちを放逐されることはまず無いから。だって、この家から追い出すにも、人の目があるし、世間に説明がいるじゃない。その説明をすること自体が、恥だって思う人だもん。私たちが好き勝手しても、黙ってみて見ぬふりをしてくれるわよ。ねえ、そうでしょ?」
碧が、不気味な甘さで同意を佳子に求めた。
「ねえ、お母さん?」
くすくすと漏らす笑い声。
佳子は悟った。この娘は、分かっているんだと。
自分が食べた肉の後始末や、痕跡を必死になって片づけているのを見て、母親を笑っているんだ。
藍は、あっけにとられている。
「ねえ、藍。お母さんの作ったご飯、無理して食べていない?」
碧が佳子を見やった。
その白っぽい目に、自分の立場が、母親の矜持が、音を立てて崩れていくのを佳子は感じた。
次の朝、碧は軽やかに、朝食を食べずに早々に登校していった。
黙々と朝食を食べる藍を、佳子は見つめ、聞いた。
「……藍、ご飯、美味しい?」
「え?」
オムレツを食べていた藍が、顔を上げた。
「美味しいかって、聞いているの」
マッシュルームとベーコンのオムレツ。隠し味には生クリーム。そしてカフェオレとクロワッサン。
「うん」
藍は頷いた。
「そう」
佳子は吐息をついた
登校時刻になり、藍が出て行った。碧の事を全く口にしなかったのは、母親に気を使ってだろうか。
佳子は、二階に上がった。
藍の部屋も、ローラ・アシュレイのバラ柄で統一しているが、色彩は優しいピンクだった。その辺り、姉と妹の性格の違いが出ている。
……藍の部屋には、何も出てこなかった。
教師と生徒の恋愛を扱った漫画が数冊。以前の自分なら処分していたが、今探しているのはそんなものではない。
まさか、藍までが……そう疑っていた。しかし、部屋には菓子さえ出てこなかった。
そうだった。藍は優しい子だ。あんなおぞましい事なんて、出来る気性じゃない。
ましてや、母親を罵り、裏切るなんてとんでもない。
ふいに、閃いた。そうだ、藍に全て打ち明けて、碧の動向を探ってもらえばいい。
藍は、ショックを受けるかもしれない。
でも、姉妹だ。何とか説得してくれるかもしれない。
碧は、藍になら気を許している。
駄目だ。
佳子は嘆息した。
こんな事、藍が信じるはずがない。
解決策事態が浮かんでこない。すぐ壁が立ちふさがる。
徒労感だけを抱えて、買い物に出た。
例え事態は進まなくても、日常の惰性で手足を動かすことによって、佳子は何とか精神を日常につなぎとめていた。
いつものスーパーマーケットに入る。
駅前の喧騒から、少し離れたマーケット。輸入品や高価な食材を取り揃えているのが目玉で、普通のスーパーよりも値段は二割ほど高いが、鮮度や品質に、申し分はない。
客層は、やはり裕福層が多い。ちらほらと、家の近所の人間も見かける。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
顔なじみの店員が、佳子に挨拶をしてきた。
野菜、果物……佳子は買い物かごに入れて歩いた。
調味料……そうだ、バターが切れかけていた。
発酵バターが良い。あれを使ったら、もう普通のバターには戻れない。コクや香りが違う。せっかくパンはホテルメイドや名店のものを購入しているのだ。つけるものにもちゃんとこだわらないと。
鮮やかで、洒落たパッケージの輸入品のジャムや缶詰。ふらりふらりと、佳子は店内を歩いた。
こうやって、珍しい商品の棚の間を歩くと、外国のスーパーにでもいるような錯覚を起こす。若い頃は、外国旅行の際には、必ずスーパーに入り、異国の生活を直に見て歩いたものだった。
思い出すと、あの時の高揚感が思い出される。頭の中がふわふわしてくる。
目に入る異国の色彩。今はこれ以外、見たくはない。
歩くうちに、違う売り場にいた。目の前に、ふいに現れた陳列台。
佳子は息が止まった。
赤い肉の切断面が並んでいた。
白い皮がついたままの肉が、切り広げられて骨を露出していた。くるぶしを思わせる脚があった。
桃色の肉。トレーの端に溜まる血。
「……うえ……」
心臓がびくびくと動く。佳子は目を背けた。
白や赤黒い色の臓物が、新聞紙で包んで捨てた佳子を、無言で責めている。
見たくない。
禁忌の蓋を持ち上げられまいと、佳子はきびすを返した。
そして、視線を感じて立ち止まった。
売り場の棚の陰に、昨日のゴミの日に会った、金子がいた。
じっと佳子を見ている。金子が、横にいるもう一人の主婦に耳打ちした。
「……でね、なの……しくない?」
「ええ?……」
主婦が、吃驚した目で佳子を見た。そして、目をそらした。
佳子の一挙一動に、金子と主婦の鋭い目が刺さってくる。
そういえば、昨日、私はあの女に何をしたんだっけ?
佳子は一生懸命に思い出そうとした。あの日、ゴミを捨てに行った。金子がいて、早く帰ればいいものを、だらだらとそこにいた。
それから、あの女は人のゴミ袋を……
まさか、バレた?
佳子の背中に、氷の槍が貫いた。まさか、あの女、ゴミの中身に気がついた? いいえ、あるはずがない。だって黒い袋を四重にもしていたんだ。見えるはずがないし、匂いが漏れるはずもない。
打ち消した。しかし、脳から疑念と恐怖がダラダラと垂れ流される。
そういえば、変な話をしていた。息子のベッドからカビだらけのパンが出てきたって。すごく思わせぶりな口調で。
いいや、あんな噂好きとしか特徴のない、つまらない主婦にそんな洞察力があるもんか。
こそこそと耳打ちし合っている、近所の二人。
金子の相手、もう一人の主婦に、佳子ははっとなった。
ゴミを捨てに彷徨っているのを、あの主婦に見られたのか。
確かに、怪しまれても不思議じゃない。あの黒いゴミ袋は、見るものによっては禍々しいモノを感じてしまう。そんなものを持ってうろうろしている姿なんか、目立って当然かもしれない。
……取り返しのつかないことを
頭のてっぺんから、血が引いていく。
気がつくと、金子とその相手だけではなく、他の買い物客がじっと佳子を見つめている。
皆が、私を疑っている……
「ちがう!」
悲鳴が咽喉からほとばしった。
「ちがう、あれはそんな、そんなものじゃない、ただのゴミよ!」
店内が、騒然とざわめいた。
魔女裁判にかけられている佳子は、身の潔白を叫ぶ。
違う、あれは違うと、どこまでも否定しなくては。
ばれてはならない。
もしも、認めたら……破滅だ。
「ただのゴミよ、捨てたかっただけよ、何もおかしなものは入ってやしない!」
咽喉が擦り切れるほどに訴えた。
「お客様!」
客の間から、ネクタイを締めた男が出てきた。
「大丈夫ですか、お客様、ご気分がお悪いのでしょうか?」
「ひぃぃっ」
自分にかがみこむ男を、佳子は突き飛ばした。
あの日、ゴミ収集に来ていた職員に似ている。いや、彼だ。
追いかけてきたんだ。私が死骸を捨てたのを知って、ここまで。
「やめて、触らないで!」
買い物かごを投げた。果物と野菜が床に落ちた。ジャムの瓶が転がった。缶詰が誰かに当たったらしい。悲鳴が飛んだ。尻餅をついた男が、何か叫んだ。
佳子は走った。体をぶつけ、ぶつかりながら逃げた。
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