第10話 勇敢な姫君
「ヴェルメリオ様、アズゥミル様。お手をどうぞ」
「はい! 王太子殿下」
「は、はい……殿下」
フィーアは小さな淑女たちに手を差し出して、二人を会食の席にエスコートする。
二人の喜びと緊張が、微かに震える掌から伝わって来て、フィーアはそっと微笑んだ。
『憧れている』などと言われれば、フィーアとて心が動く。
「あ、あの、王太子殿下、わたくしのことはどうか、ヴェル、とお呼び下さい」
「わ、わたくしはアズゥ、と……」
耳までを赤く染めた双子たちが、フィーアを見上げて
「それでは、私のことはフィーアと。親しい者はみなそう呼びます」
フィーアは小さく
すると、双子たちは夢が現実になった者のように、
この会食はアルフォンスが、可愛い妹たちのために用意した場だ。それがはっきりと解って、フィーアは内心苦笑する。
「フィーア様、魚料理はお好きですか?」
アルフォンスは微笑みを絶やさずに、フィーアに訊ねた。
「はい。好きですね。特に川魚は食べ慣れています。ニクスでは、海の魚は手に入りづらいので」
ニクスは山々に囲まれた土地で、海沿いの港街は少ない。険しい山を越えなければ海産物の輸送は出来ないため、流通量は自然と少なかった。
「なるほど、やはりそうでしたか。本日のお料理は歓待の意味を込めまして、海の魚を中心に選ばせていただきました。ニクスの
「はい。ニクスの冬は長くて寒いのです。身体が温まるスープのなどはご馳走です。それに、手に入りづらい食材を使うことは、客人を楽しませたいと言う、精一杯の持てなしの心なのです」
フィーアが答えると、アルフォンスは会心の笑みを頬に浮かべた。
「まずはそのスープから参りましょう。侍従長、もういいよ。運ばせてくれ」
アルフォンスの合図に、侍従長は一礼して答える。直ぐさま、澄んだスープに白身の魚が沈んだ一皿目が運ばれて来た。
スープは塩味も程よく、白身の魚はほろほろと優しく柔らかい。それでいて、後味には
「フィーア様、お味はいかがですか?」
「あ、あの、お味はいかがでしょう?」
双子たちが、心配そうに一斉に同じ事を訊ねて来る。フィーアは双子たちに微笑みを向けて、一口スープを
「はい。とても美味しいです。これは何という魚ですか?」
「は、はい! この国ではドラード、と呼んでおります」
「う、海の魚なんです……お、王都は内陸なので、新鮮なドラードはなかなか手に入りません……」
「感謝申し上げます。私のために、そんな貴重な物をご用意いただいて」
開けた港のあるヴァローナでは、新鮮な海産物が何処でも手に入るものだと、フィーアは思っていた。訪れてみなければ、他国の実際などわからぬ物だ。
「さあ、スープが冷めない内に、召し上がって下さい。ヴェル様、アズゥ様も」
「は、はい!」
「あ、あ、有り難うございます……」
憧れの人に名前を呼ばれて、目に見えて
フィーアが視線を転じると、アルフォンスは眼を細めて、双子たちと客人の遣り取りを見守っているようだった。
デザートまで、昼食を終えた。
前菜は魚介のテリーヌに、塩漬けにした魚卵とハーブベースのソースを添えた物。メインの魚料理は、赤身の魚をソテーした物で、酸味の利いたソースが絶品だった。
そのどれもが、海の魚介なのだろう。フィーアには食べ慣れない味だが、美味であることは間違いない。
食後に
紅茶は、近頃流行しだした飲み物で、
だが、フィーア好みからすると、少しばかり刺激が足りなかった。
食事中、双子たちの口から話題が出る事はほとんど無かった。
上の空で料理を口に運びながら、フィーアが語る母国の他愛ない話題に何度も頷いている。
双子たちが特に喜んだのは、フィーアが剣の練習を始めた頃の話だった。
フィーアが三歳の頃、兄上様が剣術の稽古を始めることになった。その頃は兄上様にいつでもついて回っていたフィーアは、兄上様の練習を
初めのうちは、木剣を振っていると乳母たちに取り上げられてしまった。『姫様がこんな物を振り回すのはいけません』と言われて。
それでも、幼いフィーアは剣の練習を止められなかった。
ある日、兄上様の練習を見るために、『剣聖』とも呼ばれていた
エリュースは、兄上様に稽古をつけた後、練習場の片隅で木剣を振っていたフィーアに目を留めた。
豊かな
それからエリュースは、毎日のように練習場にやってくるようになった。
フィーアの前で、剣聖は剣術の型を幾度となくなぞって見せる。時には部下である騎士たちに、練習相手を務めさせることもあった。
構え、払い、突き、刺し、切り。エリュースの太刀筋は軽やかに舞うように見えて、精確そのもの。
フィーアはすっかり、その姿に魅了されてしまった。
──あんな風に動きたい。あんな風に剣を振りたい。
エリュースはフィーアに、何かを語りかけるでは無い。ただ精確な型を示し続けてくれる。フィーアはそれを脳裏に焼き付けて、何度も何度も夢中で型をなぞった。
乳母や
練習用の木剣が鋼鉄製に変わり、フィーアが七歳になった年の夏。
エリュースは、正式にフィーアの師となったのだ。
「……それから、私は剣術の練習を続けてきました。その甲斐あって、今では騎士たちと共に魔獣狩りに出ることもございます」
「……まあ……『白の剣姫』様……いえ、フィーア様は、そうして『剣聖』様に見いだされたのでございますね……!」
うっとりと、ヴェルメリオは頬に手を当てて、夢見るような
「……魔獣狩り……ま、魔獣は恐ろしくないのですか? フィーア様」
アズゥミルは眉を寄せて、恐々とフィーアに訊ねる。
「恐ろしいですよ。中には手強いモノもおりますゆえ。それでも人に
それが、フィーアの本音で。魔獣はどんなに強力なモノであっても、騎士たち、
民に見捨てられた王には、未来など無いのだから。
「……フ、フィーア様は本当に勇敢なお方なのですね……フィーア様、あの、そ、その、ど、どうしたら、臆病なわたくしもフィーア様のような勇敢な姫になれるでしょう?」
アズゥミルが、思い詰めたようにフィーアを見上げる。フィーアはその言葉に、虚を突かれたように口をつぐんだ。
「……」
──自分は果たして勇敢、なのだろうか?
恐ろしいと感じる事は、山のようにある。ただ、今はまだ逃げ出したいと思わぬだけ。
ただ、恐怖を感じる心が、鈍いだけなのでは無いか?そんな風に思うこともある。
「……私は、自分が勇敢だと思ったことはありません。ただ、恐怖に鈍いだけの、愚か者です。そうやって、一生懸命、勇敢になりたいと私に質問されたアズゥ様のほうが、よほど勇敢だと私は思いますよ」
フィーアの返答に、アズゥミルは驚いて眼を見張った。
「……わ、わたくしが、勇敢……?!」
「はい。勇敢な者とは、自分の弱さを知っている者です。弱さを自覚してなお、先に進みたいと願う者です。アズゥ様はご自分を『臆病』だと言った。それでもご自分を変えようとしている」
それを、『勇気』でなくて何と呼ぶのか。
フィーアは、幼い姫君に柔らかい笑みを向ける。アズゥミルは感極まったように憧れのフィーアを見つめて、「有り難う、ございます……!」と、それだけ口にした。
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