第9話 妹姫たち

「本日のご予定は……」

 レイオスが苦労しながら朝食を食べる姿を微笑ましく眺めながら、フィーアは侍従長から予定を聞いた。

 昼までは休息時間にてられ、昼食はヴァローナ国王とその妹たちと過ごし、昼過ぎから閲兵式えつぺいしきが行われる。それが済めば夕食は客間で食べて、のんびりと就寝だ。今日は長旅の疲れを考慮して、ゆったりとした予定が組まれていた。

 この城の北側、城下街のある岸辺とは反対側に人工的に島を拡張して作られた練兵場が有るという。

 そこを、ヴァローナ国の天法士団と騎士団が訓練のための場所として使っていると聞いた。ヴァローナの天法士団は『真玄しんげん天法士団てんほうしだん』と言う。

 五大国、すなわち武の国・ニクス、知の国・ヴァローナ、森の国・アスール、商の国・グラナート、農の国・黄成こうせい──各国の天法士団の中でも実力者が多く集まっている事で名を馳せていた。

 ヴァローナの騎士団は、華々しい天法士団の影に隠れ気味だ。それでも『漆黒しつこくの騎士団』の黒い鎧は、ヴァローナ国の武門を志す者にとってはあこがれであるようだ。


 朝食がすむと、フィーアは侍従長に湯浴ゆあみの支度を命じた。水の国でもあるヴァローナでは、湯船に湯を貯める風呂のために浴室が常備されている。

 風呂に必要な湯をかすためには大量の燃料や労力が必要で、毎日のように風呂に入る者はもちろん富裕層に限られていた。

 フィーアはさっぱりと寝汗を落として、王太子として昼の正装に着替えた。動きやすいように短く仕立てられた上着と、それに合わせた白いマント、足にぴったりとしたブーツも短めだ。

「これでどうだ?」

 フィーアが着替えを手伝っていた侍従を振り返ると、彼女は片手を胸元に当てて感激したように「完璧でございます」と一礼する。

 着替えを終えて、浴室と続き部屋になった寝室を出ると、慌てた様子のレイオスが駆け寄ってきた。

「姫様! さっきヴァローナの王様の使いって人が来てこれを置いていきました!」

「解った。有り難う」

 レイオスが差し出した銀盆には、小振りだが品の良い封筒が載せられている。

 フィーアはそれを受け取って椅子にかけると、封を切り中のカードを取り出した。

 黒いカードにはアートルム王家の紋章である双頭の魚が美しく装飾されて、金のインクで『王太子殿下。本日の会食は中庭で行います。つきましてはつちの二刻(正午)に中庭までお越し下さい』と記されていた。

「中庭……?」

 アルフォンス王は可笑おかしなことを言うものだ。いぶかしく思いながら、フィーアは立ち上がって客間から中庭を見下ろした。

 既に、東屋あずまやの隣には白い天幕が立てられている。侍従たちが忙しそうに歩き回り、準備を続けていた。

 どうやらアルフォンスは本当に、昼食会を中庭で行うつもりらしい。

「姫様、下で何やってるの?」

 興味津々。森の子は言葉遣いを改めることも忘れて、眼下で行われている作業を見つめている。

「さあな。昼食は中庭で食べるそうだ」

「ふうん。お城にはいっぱい部屋があるのに、わざわざ外で飯食うなんて変わってる……じゃなくて、変わってますね」

「そうだな」

 フィーアは中庭を一瞥いちべつして、窓辺から離れた。約束の時間までは、まだまだ間がある。どうやって暇を潰そうか。

「……レイオス、衛士の部屋に行ってディルを呼んで来い。盤上で一戦交えよう、とな」


 結局、フィーアは約束の時間近くまで、ディルとボードゲームを楽しんだ。二人の隣で、レイオスは初めて見るゲームを興味深げに見守っている。

 ニクスでは、シャーマートと言う様々な駒を軍団に見立てて将の首を取り合うゲームが王侯貴族から庶民まで人気だった。留学するに当たって、フィーアはこのゲーム盤と駒をたずさえていた。

 ルールはシンプル。マス上にある駒を自分の駒で討ち取って、将を取った者が勝利する。

 駒は種類によって盤上をどの様に動くか定められていて、それをたくみに使い分けて将を追い詰めていく。

 名人ともなれば何百手も先の差し手を読み合い、決着が付くまでに長い時間をかける。

 だが、フィーアとディルはたしなむ程度。一局に半刻(約三十分)もかからない。

「……これでみ、だ。私の勝ちだな、ディル」

 本日、三度目の宣告をフィーアは下した。

「えっと、ちょっとまって、待って下さいよ、姫様! これが、こう……あれ?」

 剣の実力は拮抗きつこうしている二人だが、シャーマートはフィーアが一枚上手だ。

「やーい。衛士長、また負けてやんのー」

「うるせー! 森の子! オレが負けたのは姫様であってお前じゃねー!」

「子供の言うことだ。ムキになるな、ディル。待ったは無しだ。時間も丁度良いようだしな」

 居間の調度である柱時計が、土の一刻半過ぎ(十一時半過ぎ)を告げている。アルフォンスとの約束までは後半刻(約三十分)も無い。

 もう中庭に向かっても良い頃だろう。フィーアは席を立ち、椅子の背に掛けておいたマントを羽織い直した。

 レイオスとにらみ合っていたディルは、姿勢を正して主を仰ぎ見た。

「中庭で昼食会ですよね? 同行いたしましょうか?」

「そうだな。国王陛下との会食だ。衛士は『長』であるお前が相応しいだろう」

かしこまりましたよ。お仕事お仕事っと」

 ディルは軽口を叩いて伸びをした。相変わらず、彼の目は眠そうにれぼったい。

 彼もこの部屋に呼ばれた時から、会食の護衛として同行するつもりだったのだろう。騎士の正装である、クリーム色のマントと儀礼用の湾刀サーベルを持って来ていた。

「姫様、勝負はお着きでございましょうか? お時間でございます」

 折りも良く、侍従長が出発を告げに来る。

「ああ。勝ったぞ。今日の給仕はお前とレイオスに任せる。護衛はディルと今日の当番たちだ」

「姫様。お言葉でございますが、レイオスはまだ国王陛下の御前おんまえにお出しできるほど礼儀をわきまえません」

 侍従長は一瞬不満げな唇を見せて、ディルとレイオスを見る。

 彼らの態度は、侍従長にはフィーアを軽んじているように見えるのかも知れない。侍従長はそれが不満なのだ。

「構わん。あちらも今回は格式を重んじるつもりが無いから中庭を使うのだろう。それなら、こちらも気楽にいく」

 アルフォンスの意図はわからない。だが、こちらをあなどってのことでは無いのだろう。

 フィーアは素早く髪を整え、衛士と侍従を伴って中庭に向かった。


「ようこそ。ここまでご足労いただき、有り難うございます。王太子殿下」

 中庭でフィーアを出迎えたアルフォンスは、黒色のゆったりした平服姿だった。天法士のローブにも似たアルフォンスの出で立ちは、一見黒一色の地味な物だ。だが、よく見れば細い糸で精緻せいちな刺繍が施して有った。

 国王の隣に立つのは、赤と青の昼用ドレスを着た同じくらいの背丈の少女たち。二人とも、まだ十にもならないだろう。

 兄によく似た黒い髪、一人はドレスと同じ赤色、もう一人は青色のひとみ。違いはそれだけで、彼女たちはどちらも互いに瓜二つだった。

「双子たち、ニクス国の王太子殿下にご挨拶を」

 アルフォンスにうながされて、双子の片割れ、赤いドレスの少女がまず進み出る。

「王太子殿下、初めてお目にかかります。わたくしはヴァローナ国、第一王女、ア・リーア・ヴェルメリオ・アートルムと申します」

 小さなヴェルメリオは、慣れた様子で淑女の礼をとった。その後から、青いドレスの少女がおずおずと前に出る。

「お、王太子殿下、初めてお目にかかります。わ、わたくしは、ヴァローナ国第二王女、ア・リーア・アズゥミル・アートルムと、申します……」

 やはり小さなアズゥミルは、消え入りそうにつぶやいてぎこちない仕草で礼をする。

 双子と言っても、性格はそれぞれに大分違うようだ。

「王女様方。私はア・レイナ・フィー=リーア・アルブム。ニクスの王太子です。お見知りおき下さい」

 双子たちに目線を合わせるために、フィーアは屈み込み、騎士の礼をする。双子は驚いたようにフィーアとアルフォンスを交互に見て、大きな眸を瞬かせた。

「……王太子殿下は騎士様でいらっしゃるの?」

 先に唇を開いたのは、ヴェルメリオだった。

「いいえ。私は騎士ではありません。ですが、剣技にはいささかの自信がございます」

 フィーアが微笑むと、双子たちは互いに手を取り合って見つめ合った。

「この方が『白の剣姫』様だよ。双子たち」

 何処か楽しげなアルフォンスの言葉で、双子たちはきゃあと声を上げた。

「どどど、どうしましょう?! アズゥ!! 白の剣姫さまよ! 本物だわ、本物だわ!!」

「ヴ、ヴェル、落ち着いて! 取り乱すのは淑女らしくないわ! お、落ち着くの、落ち着くの!」

「……双子たちはね、貴方の武勇伝を伝え聞いて、貴方に憧れていたんだ。だから今まで彼女たちには何処の国の王太子殿下がいらっしゃるのか知らせなかったのさ」

 悪戯を大成功させた子供のように、アルフォンスはにっこりと笑う。まるで夏の太陽のように、その顔は明るかった。

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