第78話 君の想い—②

 寝て起きて、頭が整理されれば現状を少し飲み込めるかもと想ったけど、別にそんなことはなかった。


 微妙に混乱した気持ちを抱えたまま、みそのさんを出迎える。


 湧き上がる感情は、どろどろとして、滲んで、淀んで、何色かもよくわからない。


 喜怒哀楽のどれをとっても、上手く切り取れない気ばかりして、自分が何を言いたいのかもよくわからない。


 口を開こうとするたびに、言葉は詰まって、潰えて、何を言えばいいのか、何を言うべきなのかもうまくつかめない。


 それでも、何か、何かを伝えようと必死に口は藻掻いていて。


 そんな様を、朝、部屋を訪ねてくれたみそのさんはただじっと黙って見てくれていた。


 『ありがとうございます』は、きっとある。


 『ごめんなさいは』も、たくさんある。


 『どうして』は、きっと聞いても仕方なくて。


 『どうすれば』は、胸が痛くて上手く出てこない。


 『うれしい』は、少し違う。違うのかな。違うくないかも。


 『かなしい』が、たくさんあるのはなんでなんだろ。


 『―――――』が、あるのはおかしくて。


 でも、胸の奥がずっとなんでか熱いままで。


 何もないのに、心が折れてしまいそうで。笑っていたいのに、頬はずっと震えて、上がってなんてくれなくて。


 あなたの顔を見るだけで、気持ちがぐちゃぐちゃになって、どうしたいいのかわからなくて。


 そうやって何度かえづいて、そんな姿をあなたはただじっと黙って見つめていて。


 痛くて、苦しくて、どうにもならなくなったとき。


 なんとなく気が付いた。


 気持ちの輪郭が、そっと掌にことんと、落ちてきた。









 「ここね、怒ってる?」











 そんなあなたの言葉に、私はじっと頷いた。




 「怒ってます」



 「……っ、自分でも、ぜんっぜん、整理なんて……できてないけどっ」



 「……怒ってます」



 胸が熱くなる。



 こんな感情はおかしいとそう想う。



 だってみそのさんは私のために、怒ってくれたのに。



 それを怒るなんて理不尽じゃん。



 感謝こそすれ、そんな気持ちあっていいわけがなくて。



 なのに、なんでか、私の胸からその想いは消えてくれなくて。



 口を開くのが、躊躇われる。言葉にするのが、どうしても怖い。



 嫌われたらどうしよう。傷つけたらどうしよう。見放されたらどうしよう。怒られたら――――どうしよう。



 そんな怯えに、全身が震えて、戦慄いて仕方ないのに。



 胸の奥は何でか、最初から、やることを全部決めてるみたいに。



 矛盾した結論が身体の中で、同時に出てた。



 怖いけど、苦しいけど、辛いけど。



 それでも、なお。



 私はきっと、この想いをみそのさんに伝えなくちゃいけなくて。



 あなたの瞳をじっと見た。



 気持ちをそのままぶつけるのだけはしたくない。



 それはきっと、私が嫌いな人達と同じことをしてしまうから。



 怒っていることは伝えるけど。



 あなたを傷つけたいわけじゃない。



 悲しいことは伝えたいけど。



 あなたを泣かせたいわけじゃない。



 ただ、どうしようもないこの気持ちを、この不安を、この想いを。



 あなたにちゃんと知って欲しい。



 ただ、それだけだから。



 いつかのみそのさんがしたみたいに。



 いつかのまなかさんがしたみたいに。



 他にもきっと、私のことを想ってくれたたくさんの人達がしてくれたみたいに。



 言葉はちゃんと選んで。



 感情をただ暴力としてぶつけるんじゃなくて。



 ちゃんと心を伝えたい。



 私が好きな人たちが、私にそうしてくれていたように。



 ただ、それだけを。



 「私のために怒ってくれたのは、……嬉しかったんだと想います」



 「でも、ああやって無理矢理解決するしかない状況まで何もできなかった自分が悲しくて、悔しくて」



 「みそのさんに、あんなに惨めな姿を見られちゃったのも辛くて、苦しくて」



 「きっとそこから引っ張り出そうとしてくれたのは、本当に感謝してもしきれないんです。でも、でも―――――」



 「あんなことしたら、責められちゃうのは、みそのさんじゃないですか」



 「聞きました。異動に……なるって」



 「今のいる場所、心地よかったんですよね? 私によくしてくれた人も一杯いて。そんなとこを、私なんかのために、離れることになっちゃって」



 「助けられといて、こんなこというの、本当にありえないと想うです。ごめんなさい、結局、私のせいなのに」



 「でも、でも…………っ!」



 「私は、みそのさんに、もっと自分を大事にしてほしかった」



 「あんな無茶なことして、たまたま、裁判沙汰とかにならなかっただけじゃないですか」



 「もっとひどいことになってたかも。そしたら、私、もうどうしたらいいのかわかんなくなっちゃいますよ」



 「私はみそのさんに幸せになって欲しいだけで」



 「私なんかのために人生を棒に振ったりして欲しくなくて」



 「そんなの、ダメで。私のせいで泣いてなんて欲しくなくて」


 

 「ごめんなさい、ごめんなさい。結局、私のせいなのに、私がしっかりしてればこんなことにならなかったのに」



 「わかんないんです。ぐちゃぐちゃなんです。自分に怒ってるのか、みそのさんに怒ってるのかも、よくわかんなくて」



 「ごめんなさい、ごめんなさい」



 「でも、お願いですから」



 「私なんかのせいで、不幸になんてならないでください」



 「…………すいません、こんなぐちゃぐちゃで。滅茶苦茶いって」



 「……ごめんなさい」



 ぼろぼろと何かが零れ落ちる。



 ぐちゃぐちゃと、きっと今の顔は酷いことになっている。


 喉は涙で濁って、声は震えて上手く出せなくて。



 胸は痛くて、ちゃんと息が出来ているのかもわからないくらい苦しくて。



 それでも、どうにか、どうにか想いを伝えて。



 震えながら、あなたを見た。



 あなたはじっと私のことを、真剣なまなざしで見つめていた。



 その瞳を見つめていたら、言い終えてから急に不安になってきた。



 こんなことを言って、困らせてしまうだけだろうか。



 結局、私が足を引っ張ったから起こってしまったことなのに。



 それなのに、私が怒るなんてどれだけ烏滸がましいこと、なんだろうか。



 震えて、震えて、震えて―――――。








 「ごめんね、後先考えないで」










 そんな声が、小さく私の耳元で響いてた。



 私の肩をそっと抱き寄せて、ただじっと涙でぐちゃぐちゃな私をそっと抱き留めて。



 親が子どもに言い聞かせるみたいに、優しいけど、今はその優しさが少しだけ悲しくて。



 もしかしたら、また迷惑を掛けているのかもしれない。



 また私のために無理矢理、優しくさせてしまっているのかもしれない。



 それがただ、私の胸をぐちゃぐちゃにさせていて。



 それから、もっと涙がこぼれそうになっていて。



 もう、言葉になんてちっともできなくなっていた。



 そうやって、あなたに抱かれるままに、子どもみたいにひたすらに泣きじゃくっていた。



 涙が枯れて、そのまま眠ってしまうまで。



 ずっとずっと。




















 「いやあ、誰かを助けるって、難しいですね、まなかさん」


 『そーね、偉大な先輩の苦労がやっとわかった?』


 「えー、骨身に染みました。…………しっかし、どうしたもんかなあ」


 『そんな困ることあったの? 聞いてたら、どうとでもなりそうだけど』


 「そーなんですか? …………っていうか、私はもっと怒られると想ってました」


 『ん? 誰に? ここちゃん?』


 「ここねも、そ……うですね。もっと怒ってよかったと想いますけど。まあ、まなかさんにもですね。だって、前言ってたじゃないですか、『助けて』って言われる前に助けちゃダメだって」


 『あーんなの、一般論でしょ。その時々で結局答えが違うんだから。今回の件は、もし黙って見てたんなら、そっちの方がキレてたよ、私は』


 「そーいうもんですか、じゃあ、動いといてよかった」


 『まあ、会社のことは色々難しいだろうけど。ちゃんと大事な物、守れたんならよかったんじゃない?』


 「ま、確かにそうですね。必要経費かな、あとはまあ、ここねの問題ですからねえ」


 『そこは、どーにでもなるでしょう』


 「そら、また楽観的ですねえ。ちなみに理由を聞いても?」


 『だって、みその。あんた、ここちゃんがいることで不幸になったなんて想ったことあるの?』


 「いえ、一ミリも?」


 『――――ふふ。……でしょ? 私もここちゃんと、居てよかったって想うことは山ほどあれ、一緒に居なきゃ良かったなんて想ったことないもん』


 「つーか、そんなこと想ってたら一緒に居ませんしね」


 『ちーがいない。もう隣にいる時点で、答えなんて出てるもんよね』


 「たしかに」


 『あとはまあ、一杯休みあるんでしょ? その分、一杯愛してあげれば? 自己肯定感が少し弱いのがここちゃんのネックだから、一杯愛されることを覚えてもらって。もりもり自己肯定感育ててあげればいいんじゃない?』


 「そんな、畑で野菜作るみたいなノリで言わんでも」


 『え? 私はそうやって旦那の自己肯定感を、一杯愛して育てたけど? イケメン! 優しい! 最高! って言い続けてたら、不思議と段々本人も、ちょっとは自分のこといいかも? とか、想いはじめたりするもんよ』


 「そーんなもんすか」


 『そーんなもんよ。ま、どうとでもなるからね、想いがしっかりしてるなら。あとはちゃんと伝えるだけ』


 「…………はい。そーですね。いつかの私らみたいに、伝えあわないなんてことはもう、ないですからね」


 『うん、ここちゃんは、なんだかんだ最後に伝えてくれるから、大丈夫。みそのも、もう大丈夫でしょ?』


 「ええ、大丈夫です」


 『そう、なら大丈夫。……心配しなくても、大丈夫。なんとかなるから』


 「ですね」

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