第79話 私の想い

 みそのさんに、ひとしきり、自分の怒りのようなものを伝えたら。


 私の心の奥底に残ったのは、結局のところ、自分に対する途方もないような悲しみだけだった。


 それははきっと海のようと、どこかの小説で見た言葉を想いだす。


 どれだけ、すくって飲み込んでもどこまでも湧いてきて、果てもなく終わりもない。


 それが自分の弱さや愚かさから来たものだから、尚のこと。


 源泉たる自分がいつまでたっても、違うどこかにはいってくれないから、些細な拍子でその感情を湧き戻ってしまう。


 現実は、何か救われるような言葉一つで、心が晴れるわけじゃない。


 仮にその時、救われた気になっても、ふとした瞬間に、自分の弱さや自分の逃げを嫌でも想いだしてしまうから。


 そんな事実が与えられた休暇の間、どれだけ嫌がっても、ふとした瞬間に思考として湧いてきてしまう。


 湧いてくるたび、胸は痛んで、頭は重くなって、お腹の奥までじんわりと穴のような空虚な感情ばかりが広がる。


 自責。自戒。自罰。自省。


 誰かのせいと言われれば、確かにそう。


 私に対して、厳しく当たった上司の言葉は、とても理性的なものじゃなかった。


 でもそれを踏み越えるだけの強さがなかったのも、結局、事実だ。


 だからこれはどこまでいっても、私が招いた問題で。


 どこまでいっても、私が弱く愚かだったが故の問題だ。


 そんな想いに囚われるのが苦しくて、私の周りにいる優しく、心根が暖かい人たちの手を煩わせてしまうのが申し訳なくて。


 情けなくて、時々、悲しくなるくらい。


 そんなだから、ふとした瞬間にここからいなくなってしまえば、誰にも迷惑をかけずに済むのかもしれない。なんて、考えが頭をよぎったりすることもある。


 ただ、そのたびに、みそのさんはとても何気ない調子で、いつもの柔らかな笑みを浮かべて。「どーしたの、ここね。浮かない顔して。話してみ?」


 なんて聞いてきてしまう。


 なんで、そんなに私の心がバレているのかと。もしかしたら、私自身さえ知らない私のことを、この人は知っているんじゃないかと、そう考えるとなんだか恥ずかしくなってしまうけど。


 この人にそう問われたら、恥ずかしくて、辛くて、どうしたらいいかわからなくて、でも、結局、口に出してしまう。


 言うのを渋ると、残念そうに口をすぼめるから、仕方なくのせられてついつい色々喋ってしまう。


 嫌なこと、辛いこと、苦しいこと。


 どこまで言っても、私が嫌いな私の話。


 どれだけ繰り返しても変わらない、私が嫌な私の話。


 きっと、他の人が聞いたら嫌な気分になる。


 きっと、他の誰に聞いても、そんなこと聞きたくないって嫌な顔される。


 そんな話を、あなたは酷く面白そうに、酷く楽しそうに聞いている。


 私が言い淀むと、それを理解したようにするすると言葉を紐解いてくれる。


 他の人には言えないこと、言いにくいこともまるで当たり前のように、聞いて頷いて受け止めてくれる。


 一体、この人はどんな想いなら嫌がるのかなと、時々不思議になるくらい。


 恋のような憧れは、いつのまにやら通り過ぎて、仕方ないなあというちょっとした呆れが湧いてくるくらい。私の、こんなバカみたいな私の話を、当たり前のように聞いてくれる。


 療養として与えられた二週間の休みの内、外に買い物に出かけた二日と、温泉に出かけた一日を除いて、私はただじっと部屋の中で自分の話を繰り返していた。


 その間、あなたは変わらずただ私に笑いかけたまま。


 私の言葉、私の想いをただじっと、聞いて繰り返して、解いていた。


 「いいんだよ、悲しくて」


 「しゃーないさ、そう想っても仕方ないよ」


 「そうやって苦しんでるから、別にここねは逃げてないの」


 「まあでも、私はそんなここねが好きだよ?」


 そんな、縋ってしまいたくなるような、優しい言葉を繰り返して。


 そんな言葉、繰り返されても、きっと私はうまく受け取れませんよ。


 そんな言葉、何度伝えられても、きっと私はちゃんとできませんよ。


 だってこんなに弱いから、だってこんなに情けないから。


 その言葉に報えるほどものを、私は、持ち合わせていないんです。


 そう何度伝えても、あなたは優しく笑うだけ。


 最近、ようやく気付いたことではあるけれど、みそのさんはきっとちょっと変なのです。


 普通、こんなネガティブでしょうなくてめんどくさい後輩、さっさと見限ってしまうものなのです。


 普通、こんな自分の足でまともに歩けないような奴は、さっさと置いて行ってしまわないといけないのです。


 ずっと好きだと想って、恋焦がれるように妄信していたっていうのに。


 あーあー、これでは幻滅です。


 もっと賢明な人だと想っていました。もっと聡明な人だと想っていました。


 私のような愚か者に眼をかけるような、そんな無駄が大好きな変人さんだとは想ってなんていなかったのです。


 ―――ほんとに、そう。


 だって、今の私は、あなたが何度も好きだと言ってくれるのに、うまく心が動かせません。


 きっと、ちゃんと恋ができる人だったら、好きな人から言われたその言葉にちゃんと心を躍らせて、泣いて、喜んで、ちゃんと受けとめられるはずなのに。


 私の心は自分の弱さで塞ぎ込んで、ちゃんと応えることもできません。


 だから、あなたはきっと、さっさと私を見限って、次の人へと向かわないといけないのに。


 なのに、どうして、あなたはこんなどうしようもない私に向かって好きだと、何回も何回も言うのでしょう。


 本当はきっと、最初にみそのさんに好きだと言われた、いつかのときに、ちゃんと応えるべきだったのです。そしたらちゃんと、すんなりと恋人のようになれたのかもしれないのに。


 こんな弱くて、勇気もない私のような人間だったものだから、ちゃんと関係を進めることすらできなかったんですから。


 私はみそのさんに相応しくないですよ、なんて言ったって、あなたは優しく笑うばかり。


 私のことをじっと見て、それでも優しく笑うばかり。


 おかしいですね、あなたのことはあんなに好きなはずだったのに。


 どうして、私は今、あなたの言葉をちゃんと受け止めることができないのでしょう。



 ……まあ、答えはきっと最初から決まっていて。



 そもそも私は最初から、あなたに好きになってもらえるなんて想ってなどいなかったのです。



 だってあなたは、私と出会った時、ずっとずっとまなかさんの方を向いていて。



 私のことを見ているようで、ずっと心はそこに囚われたままだったから。




 




 今、想うと、随分と酷い話だけど。



 だから、私はみそのさんのことが好きになったのです。



 だって、そうしたら一方的に好きでいるだけでよかったから。



 私は、私のことが嫌いだから。



 私のことを好きになる人を、うまく想像することなんてずっとできなかったんです。



 まなかさんと、みそのさんの間を取り持った時も、これで自分はもうお役御免だとそう想っていたのです。



 今、想うと、あの時さっさと身を引いて離れておかないといけなかったのに。



 ……きっと、変な未練が残ってしまったんですね。



 きっと、バカみたいな願望が残ってしまったんですね。



 だから私は、うまくあなたとの関係も築けないまま、崩せないまま、こうやって……。



 ああ、もう、なんだかダメみたいです。



 こんなこと、想うほどに私の心は壊れてしまったみたいです。



 悲しみは海のようなら、きっと飲み干すこともできないまま、私はこれからずっとこうやって……。



 そんなことを考えました。



 あなたへの恋が、三年も待たずに終わってしまう、そんな音を聴きながら。



 私が、私のことを好きじゃなかったばっかりに。



 ごめんなさい。



 ごめんなさい。



 ごめんなさい。



 そんなことを考えました。



 ……そんなことを考えていたっていうのに。



 「どーしたの、ここね。浮かない顔して。話してみ?」



 あなたはそう言って笑っていました。



 ほんとに、なんでかなあ。



 悲しみは海のようだから、きっとこの私の心もずっとずっと変わらないんですよ。



 だから、そうやって私の想いを聞いたって無駄なんですよ?



 それがどうしてわからないのでしょうか。



 それがわかっていながら、私は何で。



 あなたに自分の心の話を、ぽつぽつと少しずつ、雨だれが落ちるみたい話してしまっているのでしょうか。



 わからない。



 わかりませんね。


 





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