第75話 後始末
「あ~~ほ~~」
「いや、はい、すいません」
「くーそーぼーけー」
「はい、はい。……なんか部長、語彙が消滅してますけど?」
私のそんな反応に、椅子に座ってこちらを見下し気味の我らが部長は、はぁ……と深々とため息をついていた。
「そりゃあ、語彙もなくなるわ。たまたま人事部長が一連見届けてたからよかったものを、下手すりゃ裁判沙汰でもおかしくないんだぞ?」
「いや、その件はほんとすいません。一時の感情で動きました、ええ、はい」
思わずタジタジになりながら、返答をする。ちなみに今、部署の端っこで私はすごすごと正座をさせられている。というより、私が自主的に正座をしている。そんな様を、パートのおばちゃんたちがあらあらと微笑ましく眺めてくるし、いつもの腹立つ後輩はこっちのことを見もせずに淡々と仕事をこなしている。くそう、こういう時だけ素知らぬ顔をしやがって。
「俺が色々と穏便に手を回してたのが、全部ぱぁだ、ばかたれ。今時いい大人が腹立ったからってビンタかましてるんじゃないぞ、まったく」
「いやあ、返す言葉もほんとない」
「はあ……ったく、とりあえず、人事部長と総務部長の話が終わったら、また話すから、ちょっと今日は残ってろ」
「はあい…………」
そんな感じに、お昼の一発目にお小言を食らって、珍しく機嫌の悪い我らが部長の元、ここねの一件については上で話が進んでいた。部長の言う通り、たまたま目撃してくれた人事部長が、なんだなんだと詳細を尋ねてくれたのが幸いだった。でないとこじれてたのはまあ、確実だ。
肝心のここねはあの後、人事部長とともに今は席を外している。総務部長とは別に面談をしているらしく、大事にならないといいねえと、思わずため息をつくけど、自業自得なので、私としては肩身が狭い。
まあ、全部私が始めたことなんで、文句とか言えないんですけどね。ええ。
当初の想定より、色んな所を巻き込んだ大事になってしまった。ここねにはそこんところ、ちょっと申し訳ない感じもする。まあ、感じもするが、そこまで反省していないのも正直なところ。
あの状況で、ただ傷ついていくだけのここねを見届ける方が、私としてはノーだった。ここねとしてどうかは、ちょっと当人に聞いてみないとわかんないけど。
まあ、何せどこまでいっても、これは私の独善なのだ。後ろ指をさされたら、まあそうですねとしか返せない。返せないけど、別に後悔はしていない、そんな複雑な心境なのですよ、みそのさんは。
そうして、お説教が一時終了し、自分の席にすごすごと戻ると、パートのおばちゃんやおっちゃんたちが、何故かほれほれとお菓子を私のデスクの上に置き始めた。
「落ち込んじゃだめよー」「かっこいいじゃん、柴咲ちゃーん」「部長も、ああ見えて、そんな怒ってないからねー」
と励ましもちらほらと頂いて。いや、部長が怒ってるか怒ってないかで言うと、あれは経験上、そこそこ怒ってる。理不尽に怒りをぶつけてくることはしない人だけど、まあ、迷惑をかけているのには違いないので、甘んじで受けておこう。
どうも、どうもと周囲に頭を下げていたら、隣の席の後輩も、どうぞと一つガムをくれた。
……いや、こいつからもの、貰ったの初めてじゃない? と一瞬、疑問が浮かんだが、まあありがたく頂戴しておく。たまにはそういう時もあるのだろう。
そんなこんなで、ひと悶着あった後、仕事は定時の時間になった。
これからもうワンラウンド怒られるのが待っている私は、仕事が終わったらすごすごと部長の隣で正座の体勢に移行した。
パートのおばちゃんたちの、ファイト―とか、部長ちゃんもあんまり怒りすぎちゃだめよー、などの声援を聞きながら、私は力なく手のひらを振っていた。
十分ほどして、私と部長と、後輩だけが部屋に残った。
部長が無言で後輩に視線を送ると、彼はすっと席を立って、ドアの外を数度確認すると、そっとそのままドアを閉めて、ついでにカギもがちゃりと閉めた。
うーん、なんだこれ、今からリンチでも行われるってのか。
そうして何度目かもわからない嘆息を部長はついた。それに思わず私は、頭を掻いて苦笑い。いやあ、多大な迷惑をかけていると言うのは、重々わかっているつもりではいるもので。
とりあえず、ここは誠心誠意せめてしっかり謝罪しよう。それ以上、できることも特にはないけど。
そう開き直っていたら、部長はふとした感じで口を開いた。
「遠山、隣の部署帰ってた?」
「何人か残ってますけど、大声で言わなきゃ聞こえないと想いますよ。少なくとも総務部長はいませんでした、あと遠山さんも」
その返答に、部長はおっけーと、少しだけ声を細めた。
それから、正座モードの私にヤンキー座りでしゃがみこむと、……そのまま、どてっと胡坐をかいた。
椅子があるにかかわらず、二人してリノリウムの床になんでか座り込む。
それを見た後輩まで、いそいそと私の隣にしゃがみ込んできた。スーツ姿のいい大人三人が、部署室の隅っこで、地べたに座っている奇異な絵面が出来上がる。
それから部長はふーっと長めに息を吐くと、何かを確かめるように、ぼそっと声を漏らし始めた。
「さっき、面談室で加島さんに会ってきた。…………ちょっと動揺はしてたけど、落ち着いてたよ。柴咲さんは悪くないって……そう必死に言い張ってた」
あ……と、思わず声が漏れた。
わかってはいたことだけど、私がやったことは、ここねの立場に大きな影響を無理矢理に与えることだ。私としては後悔はないけど、そこにここねが罪悪感をもつことは……まあ、そうだろうねって感じだ。ただ、予想はしていても、改めて、他人の口から伝えられることは心苦しい。これで本当によかったのか、そう惑ってしまうのも正直なとこだ。
そんな思考に、私が口をつぐんでいると、隣にいた後輩がどこか不思議そうに首を傾げた。
「部長、……怒ってるんですか?」
こいつは空気が読めんのか、と一瞬思ったが、意外にも部長はひらひらと首を横に振った。
「いんや? 言っとくけど、俺は『この件』に関しては別に怒ってねーよ」
「え…………?」
妙なところにアクセントの残る言葉を吐きながら、部長は疲れたように肩をごきごき回す。それからネクタイを緩めながら、やれやれとため息をつき始めた。
「怒ってんのはぶっちゃけ別件だ。……柴咲さんがやったことに、どうこう言うつもりは正直ない。最高とは言わないが、そこで我慢して、そのまま加島さんを放置するのも、どう考えてもやばいしな」
「じゃあ、何に怒ってんですか?」
「…………その後の人事部長のとんでも提案だよ、ったく」
続けての後輩の問いに、部長は肘をついて、すっかり怒れる上司のポーズを解いてしまった。これじゃあ、ちょっと疲れたサラリーマンくらいになっている。
「いやあ、ほんとご迷惑をおかけしました」
とりあえず、謝っておけの精神で、私が改めてそういうと、部長はあからさまにため息をついてきた。
「ほんっとだよ、こんなはちゃめちゃなこと、独りじめすんなよ。やるなら俺も一緒に連れてけぇ」
「いや、それもおかしいでしょ……」
何言っとるんだ、この上司は。とか考えていると、隣で後輩がひょこっと顔をのぞかせてきた。
「僕もついでに隣で物証として録音再生したかったです。なんで、次やるなら呼んでくださいね、柴咲先輩」
「いや、二度とやらんわこんなこと」
そして何言っとるんだ、この後輩は。
ていうか、なんかあれだな、思っている雰囲気と違ったな? もっと手酷く怒られると思っていたが。なんせ大人としての責任とか良識とかは全部すっとばして行動してしまったのだ。それを覚悟のうえでやったのだし。しかるべきお叱りは、むしろ当然と思っていたが。
と、私がようやく場の雰囲気の違いに、気付き始めるころには、二人とも体勢を崩してやれやれと肩をすくめ始めていた。
「怒りたくもねーのに、他のパートさんの手前、怒らないといけない俺の気持ちもわかれよー。もう、正直、部長としての感情をどっかにやったら、そのままハイタッチかましそうになったからなあ」
「いやあ、その発言やばいのでは。あ、だから外に人いないか確認させたんですか」
「そら、そうよ。まー、おばちゃんら気づいてたくさいけど。会社としてはな、そりゃあ暴力で他部署の案件に首突っ込んだら怒るしかないんだわ。そんな手段、横行されても困るしな? まあそれはそれとして、昨日まであんだけちゃんと手順に乗っ取って解決しようとしてた柴咲さんが、手ぇ出したんだ。そんだけまずかったってことだろ?」
部長はそういうと、いつもの軽い笑みをこちらに向けてきた。
その表情に少しだけ胸のしこりが取れる感じがした。
「まあ……はい」
そう曖昧に返事はするけど、どうにか頬がにやけないように抑えておく。
「じゃあ、俺から言うことはなんもないよ。その後の処理はちょっと面倒だが、まあ、加島さんが再起不能とかにならないだけ、もうけもんだ。人事部長が見届けてたのは、完全に結果オーライだが。……いや別に結果オーライってわけでもないんだけどな」
「そういえば、さっきそれ言ってましたね。柴咲先輩の処分とか決まったんですか?」
そうやって私が笑みをどうにか抑えていると、後輩がはてという感じで部長に質問を投げた。その問いに、部長は、あー……と軽くぼやくと、がりがりと頭を掻き出した。
それから、少しだけ居住まいをただして、こちらを向くと私の肩にぽんと手を置いた。
…………なんか嫌な予感がする。
予定調和から外れたことというか、何というか。何だろう、私の考えもしないことが起こりそうな、そんな、予感が。
「結論から言うと、俺は柴咲さんがやったことは支持してる。最高じゃあもちろんない。社会的にはまあよろしくないし、もっといい方法はあったかもだが、あの場で加島さんのことを護るには、あれがぎりぎりの解答だったと、そう想う」
そうやって、改めて居住まいをただした物言いに、私はぼんやりとした不安を抱き始めていた。
私のしたことは、決して最高の手段ではなかった。
部長も個人としては支持できるけど、社会的にはもちろんアウトだ。誰かが責任は取らなければならないだろう。
後悔はない、っていうか、同じ場面にであったらきっと私はまた同じことをするだろう。それがわかりきっているから、この選択を恥じるようなこともない。
結局のところ、これは私のただの自己満足で。
ゆえに、私が責を問われなければならない案件だ。
願わくば、ここねの立場が少しでも見直されればいいと想うけど。
ただ、なんとなく。純粋に責を問われるのとも違う、私が思いもしないことが起こりそうな、そんな予感を抱えながら。
意を決して、部長をみた。
そんな私を部長は薄く笑って、どこか疲れた視線で、じっと見つめ続けていた。
「つーわけで、柴咲さん、
……………………。
「形式上の示しが必要って話が出たときに、人事部長がさあ、どうも気に入っちゃってたみたいでさ。……あれだけの問題意識があって行動力がある子、うちの部署に欲しかったとか、随分乗り気になっちゃっててな…………」
‥‥……………………?
「前々から話し通してたから、今回の件で、加島さんの総務からの異動は確定してたんだ。ただ、それをすると、総務部で人が足りなくなるから、別部署から異動して……ってのを繰り返すと、人事部の人が足りないと来た。そんなとこに今回の件を見て、柴咲さんに白羽の矢が立ったわけだよ」
…………………………???
「いやあ、おめでと」
「あー、妙に部長怒ってたの、これですか。俺、てっきりクビかなにかかと」
「はっはっはっは、むしろ気に入られちまったってオチだわな。……まあ、良い機会かもな、いい加減、うちの部署以外で揉まれておいで、しーばさーきさん?」
思考すること、およそ数秒。
妙に引くついているけれど、頬が吊り上がった部長と、あらーと言った感じの後輩の顔を幾度か眺めて。
事態を飲み込んで。
状況を理解して。
準備ができたらはい。
いち。
にの。
さん。
「いやじゃ――――!!! だってここ居心地がいいのにーーーー!!!」
「だから独りで、無茶するからだろ! ばーーーーか!」
「いやあ、たーいへんっすね」
「後輩がひとごとーーーー!!」
「でも、おめーがわるいんだ!! ばーーーか!」
「にゃぁぁぁーーー!! ぐうの音もでねぇぇーーー!!」
「…………っぶっっっっっく……ふっ……ふっふ」
「うーーーーーーにゃぁーーーーーーー!!!!!」
「ほんっっと、このばーーーーーーーーか!」
春の頃、そういえば、そろそろ人事異動のそんな季節。部署室の隅でそうやって三人で馬鹿笑いしながら、わいわいとはしゃぎ合っていた。
それで何かを救えたかはわからない。
結局のところ、私の行動は全て、私の自己満足。偽善の独善、結果的に誰かが救われたとしても、それは運がよかっただけの、与太話。
ただ、私が、私の目の前でここねが虐げられるのを見ていられなかった。これは結局、ただそれだけのお話だ。
ここねがどう想っているかはわからない。嫌われてないと、いいけどね。
ただまあ、思ったよりは平和的な解決に落ち着いたと、そんな安堵をした、そろそろ春が来るころのことだった。
しかし、まったく、それはそれとして。
ああ、いやじゃあ。人事異動は……いやじゃあ。
※
「ちなみに、柴咲さん、明日から二週間謹慎な?」
「部長、それを先に言うべきでは?」
「よかったですね、先輩。ちょっとした春休みじゃないですか」
「……ええ。謹慎って、そんなノリでいいんかなあ?」
「別に構わんさ……どっちかって言うと、社内へのケジメ的な意味が強いからな。バカンス満喫してろ、バレたらことだから土産は要らんぞ」
「はーい……二週間かあ、なにしてよっかなあ」
「さらに、ちなみにいうと、加島さんも二週間お休みだ。こっちは、軽い療養って意味も込めてだけれどな?」
「「ほーん…………」」
「ま、遊びに行くなら、社内の人間と会いにくいとこ行って来いよ?」
部長はそういうと、ニヤリとどこか毒気の抜けた顔で笑ってた。
「はーい」
私がへらへら笑っている隣で、後輩も同じくへらへら笑ってた。
さてはて、二週間ねえ、一体何をしよっかな。
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