閑話

 「暇だし、昔話でもするか」


 「どうしたんですか、部長、急に」



 ※



 それは何気ない通知一つでやってきた。


 大事な知らせっていうのは得てして、そうやって何気なく来るもんみたいだ。


 仕事中にラインの通知が鳴ったから、軽くそちらを見て、昼休みに確認しようと視線を切った。


 何せ、大学時代からの友人のラインだったからな。遊びの誘いかなんかだと想ったわけだ。


 後回しにして、内容の確認もよくせずに、昼休みに想い出すことも忘れて、結局それを見たのは終業後のことだった。


 仕事が終わって、伸びをして、ふと思い立って携帯を開いて、眉をしかめた。


 妙に長ったらしい形式ばった長文で、違和感を覚えたのが最初だったかね。


 それから、ラインを開いて、しばらく眼を通して、絶句した。


 『突然のご連絡申し訳ありません。『---』の家族です。--月--日、『---』が—-年の人生に幕を下ろしました。つきましては――――』


 こういうのを、一体何て言うんだった?


 そう、訃報だ。


 つまり、人が死んだ知らせだ。


 俺の、俺と同年代の友人が、死んだ。唐突に。


 それは、そういう知らせだった。




 ※




 仲が良かったかといえば、まあ、普通に仲が良かったよ。


 大学時代、同じサークルの仲間で、よく遊ぶ7・8人のグループの中にそいつはいた。


 無二の親友ってわけでもないが、それなりに仲は良い、それくらいの友人だ。


 一対一で飲むことはあんまなかったが、三・四人でなら何度も卒業してからも飲みに行っていた。


 車のディーラーに就職していて、結婚はしていなかった。確か、マッチングアプリに登録したとか言ってたが、あまりうまくは言っていないとも愚痴っていた。


 仕事の話をするとちょっと困った顔をして、車屋の裏事情を話してくれたもんだ。


 売る側的にはあの車が売りたいとか、どのオプションが実は割高だとか、最近よく売れる車はあるが、実は質がよくないとか。


 仕事のことになるとネガティブな話題が多かったな。ま、今想えば、って程度のもんではあるが。


 よく飲んで、よく笑って、よく話した。


 それだけといえば、それまでだが、そんだけできたら、充分に友人だと俺は想うよ。


 バーベキューに行ったことがあった。川に行って川原でプロレスごっこをしていた時もあったっけな。俺は確か、あいつにジャーマンスープレックスをかまされて、川の中に投げ飛ばされたっけ。


 どっかの寺に行った帰りに、俺が腹を壊したら一緒にコンビニを探してくれてたよ。山のふもとだったから、見つからねえのなんの。


 俺が仕事が原因で彼女に振られた時は、他の奴も呼んで愚痴っていたし。あいつが面白い企画を考え付いたっていった時は、俺たちは決まってニヤニヤしながら集合したもんだ。結局、何したんだっけな。川原の橋の下で、通行人相手に突然合唱とか披露してたな、そういえば。


 それだけの仲さ。でも、それだけで十分だろう。


 親や兄弟と比べられるとちょっと困るが、相応に大事な間柄だったよ。


 ああ、普通に友人だった。普通に仲が良かった。


 そんな奴が死んだらしい。


 ある日、唐突に、通過電車に突っ込んで。


 そんで遺書が発見されて、会社での自分の成績が芳しくないとか、生きていて申し訳ないとか、そういうことがつらつらと書かれていたらしい。


 そんないきさつを聞いたのは、葬式会場の外で出会った友人たちからだ。


 所謂、あれだ、仕事で思い詰めての自殺ってやつだったらしい。


 友人たちが話す、そんな内容を俺は阿保みたいに口を開けて聞いてたんだ。


 バカかよ。


 って、最初に思った。


 不謹慎な話だよな。でも、そのまま思ったままに口は動いちまってた。


 ほんと、バカかよ。


 車が売れない? 人と比べても成績が芳しくない、申し訳ない? 自分は経験もあるのに、新人の方が売れている? なにをしても上手くいかない? 自分の生きている価値が分からなくなる? 生きていて、会社に迷惑ばかりかけている気がする? だから死んだ方がマシだと思う?


 バカかよ。本当にバカかよ。yお


 車が売れないから、何なんだよ。誰かに負けるから何なんだ。


 そんなことでお前は命を棄てなきゃいけなかったのかよ。


 周りのメンツが俯いていたけど、どうしても口が止められなかった。口にしないと気が済まなかった。


 だって、ほんとバカだろ。


 車なんて売れなくたって、誰も死にやしねえじゃねえか。


 会社に入る金がちょっと減ったところで、別にそんなもんどうでもいいじゃねえか。


 そんなもんに命懸ける意味が何処にあるんだよ。


 そんなもんを償うために死ぬ意味が何処にあるんだよ。


 死ぬほどのことかよ、そんなもん、ってな。


 どうせ死ぬなら、家族守って死ぬとか、恋人守って死ぬとか、もっと自分の大事なもんのために命遣えよ。それなら俺たちだって納得したさ。悲しいけど仕方ねえって言えたさ。


 だけどなんだよ、仕事で申し訳ないから死ぬって、馬鹿じゃねえか。んなもん、そこまでする価値何てあるわけねえじゃねえか。どう考えてもあいつ自身の命の方が重かったに決まってんだろうが。


 お前が死ぬ意味が、何処にあったって言うんだよ。


 会社で居心地悪いなら、俺たちでも同僚でも、誰でも相談すりゃあよかったじゃねえか。


 最悪仕事辞めてもさ、そりゃあちょっとは暮らし向きとか悪くなるかもだけど、死んじまうよりはきっといいさ。


 別にいっしょに飲む酒が安くなったって俺は構いやしねえのに。そんな程度で切るような関係じゃなかったはずだったのに。


 それに、そもそも俺らが一緒に呑んだ最初の酒は、コンビニで売ってる缶チューハイだったろうが。


 そんなことも、わからなかったのかよ。


 そんなことも、考えられなかったのかよ。


 そんなことも、気付けなかったのかよ。


 死ぬほどのことなんて、ありゃしないって。


 仕事で失敗したって、笑って飲みに行きゃあよかったじゃねえか。


 仕事は変えてさ、再出発だって言ってさ、向いてなかったんだよって負け惜しみの一つでも言ってやってさ。


 それでも生きてりゃよかったんじゃねえのかよ。


 たとえ、それがどれだけみっともなくたって。


 たとえ、それがどれだけ情けなくたって。


 だから死ななきゃならねえ、なんて奴は、この世のどこにだっていなかったんじゃねえのかな。


 死ぬほどのことをお前がしたわけじゃあ、なかったろ?


 なのにさ、なんで死んじまったかなあ。


 バカだよ。


 ほんっとバカだよ。


 また、いっしょに飲みに行きゃあ、それで全部終わってたことだったのに。


 くそバカ野郎。


 それから大学の連中で集まって缶チューハイだけ供えていくことにした。あんまり一杯あっても家族の人に迷惑だから一つだけ。


 香典もみんなで目一杯包んでやった。それが何になるのかはさっぱりよくわからなかったけど。それを包むくらいしかやれることがもうなかったからな。


 家族の人には、代表で俺が出て挨拶した。


 葬式の会場にいたのは、あいつの母親と妹らしき二人だけだった。どうにも父親はもう亡くなってて、遺された家族は他にはもういなかったらしい。


 他愛のない挨拶をして、軽く会釈をするだけで挨拶はすぐに終わった。


 一杯言わなきゃいけないことはあったはずなのに、その時には言葉なんて何も出てこなかった。


 俺より遥かに、そいつがいなくなって傷つている人たちを前にしたら、何を言うこともできなくなっちまった。


 そうして俺が挨拶を終えて、踵を返した時のことだった。


 俺の脇を二人のおっさんが通り過ぎたんだ。


 一人は、大仰で恰幅がよくて、葬式には不釣り合いななんでか自信満々のおっさんで。


 もう一人は、どことなくおどおどとした頼りなさそうなおっさんだった。


 なんか嫌な予感がした。いや、本当に何でかは分かんないけど、本当に嫌な予感がして、すこしだけ足を止めた。


 ここでおっさん二人が何を言ったかは正直ちゃんと覚えてない。


 別にまっとうなことを言っていたとそう想う。


 最初はこのたびの不幸な出来事が―――とか。


 我々といたしましても、このようなことになるとは―――とか。


 おどおどしたおっさんが、必死に、自分たちには責任がないと言外に訴えるような言葉を並べていた。


 それは、まあ、いい。


 腹も立つし、ふざけんなよって気もするが、会社としてはまあまっとうな判断だ。労災とか出る出ないで、結構会社の立場は変わっちまう。俺もその頃、自分の会社の偉い人と話す機会がたまたまあったから、そう言う言い方になるのもまあわからないでもなかった。死んだ人間のことよりは、今会社にいるたくさんの生きている人間の生活を守るほうが大事だろう。


 ただ、その後がよくなかった。


 『我々としても、大変迷惑をかけられました』


 そう恰幅がいい方が口を開いた瞬間に空気が変わった。


 こっちも、なんて言ったかは正直覚えてない。なんか会社としても随分困ったとか、手間がどうの、負担がどうの。普段の仕事ぶりもどうやらこうやら。


 いかに自分たちが苦労したか、自殺した当人のせいでどれだけ苦しめられたのかをとうとうと語りだした。


 みるみるうちに、遺された二人の顔が曇っていくのがよくわかった。


 あとついでに、俺の腹の奥で気持ち悪い何かが、うずまいて手足に痛いほどの力がこもり始めるのも。


 迷惑かけられた?


 自殺なんぞするからおかげで困った?


 ああ、そうかい。あんらには、この話が、そういう風に見えているのか。


 立場の違いってのはわかんないもんだなあ。


 立ち位置が違うだけで、ここまで人間は無神経になれるのか。


 煮えくり返りそうになる何かを、俺は深く息を吐きながら、ちらっとあいつの遺影を見た。


 なあ、本当に、こいつらに申し訳ないとかいう理由でお前は死んじまったのか?


 死に損だぜ? まったくろくなことねえよ。


 第一あれだ、人間、どんなことしようが、死ななきゃいけないようなことなんて、生きててそうそうあるわけねえって。


 改めて、想ったよ、ああ、まったく。


 ほんとばかばかしい話だな。


 俺は遺族と話しているおっさんたちを振り返った。


 それから、ため息をつきながら、ゆっくりと自分の足を振りかぶった。


 途中、あいつの妹と目が合った。


 妹はどこか泣きそうな顔のまま、はっと俺がしていることに気が付いて、少し驚いた顔をした後に―――



 ―――泣きそうな顔で、思いっきり頷いた。



 だから俺は何の遠慮もなしに、振りかぶった足を、でっかいほうのおっさんのケツに思いっきり蹴り上げた。



 くっそみたいに、思いっきり。



 すんげえ、でっかいケツを叩いた破裂音と、葬式会場に似合わないちょっとした歓声があいつの遺影の前で響いてた。



 くっそみたいな汚い挽歌だが、まあ精々受け取っとけ、バカ野郎。


 


 母親も、妹も、俺たちも。



 

 お前に死んでほしくなんかなかったっていうのによ。




 そんな簡単なことすら、気付かなかったのかよ。




 お前はほんとにバカだったよ。




 本当に、どうしようもないほど、バカだったよ。




 そんな馬鹿なお前が、俺たちは好きだったのにな―――。


















 ※


 「社会的に抹殺すればよかったんじゃないですか、そのおっさん」


 「そんなことしねえよ。遠山、お前ほんっとやることなすこと物騒だなあ」


 「俺がその自殺した人なら音声記録全部取って、法廷へゴーですよ」


 「まあ、実際、その後、労災判定下ろすためにひと悶着あったんだけどな。あいつがそうしてりゃって、想わなくもないが。まあ、なんにせよもう全部終わった話だよこれは」


 「そう……っすね」


 「おっさんには死ぬほど腹立ったけど、まあだから死ねとも想わなかった。あいつは死んじまったけど、そのおっさんが死ななきゃいけないほど、悪いことをしたのかも俺は知らん」


 「……」


 「それにな、俺は正直、死のうとする奴の気持ちがさっぱりわからん。今改めて考えても、別にそんなことせずに、普通に生きてりゃいいんじゃねえのとは思っちまう」


 「まあ……」


 「お前もそうだぞ? 仕事なんて結局生きていく手段の一つだからな。あんまり気負ってやるなよ?」


 「俺は大丈夫です。心配なのは加島さんの方でしょ」


 「まあな。……ただ、実は、俺は最近あんまり心配してなかったりする」


 「そのこころは?」


 「最近ちょっと楽しそうじゃん? なんかこう、無理に笑ってない感じがする」


 「…………」


 「気のせいかな? なんとなーくだけどさ」


 「いや、なんとなくわかります」


 「だろ? 変に思い詰めてないなら、俺はそれでいい」


 「……部長」


 「ん? 何」


 「また、飲みに行きましょう。加島さんと、柴咲先輩、誘って」


 「……ああ、そうだな。そうしよう」

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