第48話 いつかの私といつかのあなたー④
「知ってる? 日本の桜ってさ、絶対、実がならないらしいよ」
「知ってます。ソメイヨシノは全部遺伝子が同じだから、自家受粉できないって話でしょ。あと、絶対じゃないです。違う品種の桜とは普通に実が出来ます」
「おお……そうなんだ。ていうか、私より詳しいじゃん」
「……別に、昔調べたことがあっただけですよ」
大学生というのは、特に理由もなく飲み会をやるものだ。
いや、一応新歓で使う所の下見という名目はあった気がするけれど、多分、飲みたいだけだと言うのが本音だろう。
お金がかかるから、あまり私は行きたくないのだけれど、まなかさんが出ると言うのだから仕方なく出席していた。
そして、その日の私は、えらく機嫌が悪かった気がする。
理由が理由だから、本当にみっともない話ではあるのだけれど。
「みその、なんか機嫌悪くない?」
「別に悪くないでーす。三倉先輩には関係ありませんし」
そんなくだらない嘘をついてまで、不貞腐れていた。
周りがどうしたどうしたとにやにやしながら見てくるけれど、まなかさんは首を傾げるばかりだったっけ。
そう言っていれば、構ってもらえたからだろう。
甘えていたのだ、恐らく人生で出会ったのどの相手よりも。
言わずともわかって欲しかった。
その頃には、まなかさんが大概のことは察してくれる人なのだと、気付いていたからか。
「羽根田ちゃん、助けて! なんかみそのが機嫌悪い!」
「おー、よしよし。でもねえ、多分、私に助けを求めたらもっと柴咲さん機嫌悪くなるよー」
「なんでよ!?」
というか、口に出すのも恥ずかしかったし。
そんな私を置いて、まなかさんは羽根田先輩に抱き着いてばかりだし。まあ、羽根田先輩は大学生とはとても思えないほど、小さくてかわいいから致し方ないと言えば仕方ないけど。
それに自分でもいまいち自分の気持ちを掴み切れていない時期だったっけ。
そうやって、学祭の実行委員をしていて、ふと想ったことがある。
まなかさんはよく私に構ってくれた。自分が誘ったのもあるし、シンプルにルームメイトだから気にかけてくれた居たのもあるだろう。
困ったら助けてくれたし、相談にも乗ってくれた。
私にとって誰にも打ち明けてこなかったようなことも聞いてくれた。
その時点で、私にとってまなかさんはもう唯一無二の人だった。
尊敬した初めての人。誰かに心を打ち明けてもいいのだと教えてくれた人。
きっと、私にとって、掛け替えのない、人。
だけど、まあ、当たり前なんだけど。
別に、私の時だけ、まなかさんは良い人ではなかったのだ。
同回生にもまなかさんに惹かれて委員会に入った子も結構いた。夢追さんはまなかさんがいち推しの先輩だと言っていたっけ。畑中くんは偶にえろい目で見れるって言ってたっけ。
まなかさんの同回生はなんだか私達とは違う、親しみやすさを持っていて、当たり前だけど、私が知らないまなかさんのことをたくさん知っていた。
さらにその上の先輩たちは、また違う形であの人を可愛がっていた。比喩でなく誰にでも愛されている人のように私には見えていた。
まあ、当たり前じゃんね。
たくさんのことを察してくれて、器量もよくて優しくて。
そんなの好かれないほうが無理じゃんって感じだった。
そんなものだから、まなかさんの話題はよく上がる。そして、誰かがまなかさんの話をするたび、胸の奥がどこかざわついた。
おかげで、私が気兼ねなく話せる同級生は『あの人、なんか全部見透かしてるみたいで怖い』といった竹沢君だけだった。
今でも、元気にしてっかな、竹沢君。医療事務とかしてるんだっけ。
その時期は先輩方は次の年の学祭の計画を幹部たちが考え始める時期で、対して私達下回生は新歓をどうするか考える程度。微妙に縦のやり取りが薄くなる時期だった。
その頃、まなかさんは結構、会議だって言って家を空けることも多くなっていて。
要するに、寂しかったのだと想う。今想えば。それで不貞腐れていたのだ。子どもか私は。
「どしたー、みそのー」
「何でもないです」
「ないことないだろー、くぉらぁー」
「ないですって……」
チューハイを流し込む私の頬をまなかさんがうりうりと虐めてくる。
その様子を周囲はどことなく、微笑ましげに見ている。そしてそれが、どうにも恥ずかしい。
言わずとも気づいて欲しいと想っていた。
というか、当のまなかさん以外には多分バレてた。羽根田先輩も困ったように、でもどこか微笑まし気に見ていたから。
何があったの?
何でもないです。
こうやって、何気ないやり取りで構ってくれているのが嬉しかった。
想えばこのころから、私は自分の気持ちをうまく言えないまんまだったな。
あの時、寂しいと言えていれば何か変わっていただろうか。
もう少しくらい構ってくれるくらいはしただろうか。
うりうりと頬を虐められながら、にやけないように苦労したっけ。
頭が熱くなってきていた。酒が回っているせいだろうね。
そこに私の部署の次期部長がグラスを持って、やってきていた。
向こうも大概、お酒が回っていて顔も赤くなって上機嫌だ。
「どしたん、柴咲さん拗ねてんの?」
「うん、最近構ってなかったから、ご機嫌斜めみたい」
ほら、全部、わかってるじゃん。口に出さなくても。
私の隣でまなかさんが、そうやってあははと少し困ったように笑った。
「ふーん、そっかあ」
それから、部長は軽く笑いながら顎に手を当てて考える仕草をった。
今、思うと、きっと場を和ませようとして言ってくれたのだ。
みんなから人気の先輩のちょっと恥ずかしい、そんな話。
その程度の意図だったのだろう。
でも、その場の空気を壊すのにはあまりにも致命傷だった。
「
へ? となった。
胸の奥がざわついた。
熱くなって、心臓がばくばくと脈打ち始めた。
キス、してた。どういう意味? って。
それから、じんわりと顔とお腹の奥が熱くなるような感じがした。
ただ理解が追いついて。
じっと、まなかさんを見つめてしまった。
情けない話だけれど、少しだけ
言葉の意味はよくわからない、前ってどういうこと、とか。今まで、そんな姿一度だって見たことが無かった、とか。考えれることは山ほどあったはずなのだけれど。
そんなの全部無視して、まなかさんのことを見つめてしまった。魅入ってしまった。
ただ、まなかさんは少しだけ表情を曲げると、びしっとデコピンを部長に一つ飛ばすだけだった。私の方には視線を向けないまま。
「もー、最近してないでしょ。これでも黒歴史だと想って自重してんの」
そう言うと、まなかさんは「飲み物取ってくる」と言ってさっさとどこかへ行ってしまった。
後に残されたのは、部長と、私と、隣で話を聞いていた羽根田先輩だけ。
飲み会の最中だから周囲は騒がしく声が響いているのだけれど、私達のテーブルだけ何故だか異様に静かだった。
「……俺、なんかやらかした?」
沈黙の中、部長が去り行くまなかさんを見ながら、そう漏らした。
「その一言で、やらかしポイント増えてるかな……」
隣でちょっと困ったような微笑みで、羽根田先輩がそう漏らしていた。
ただ、私はそれどころではなかったんだ。
まなかさんの知らない過去。それだけで、私にとっては一大事だった。加えて、キス? 誰にでも? 逸る気持ちのまま、口は大慌てで動いていた。
「あの……さっきのって……どういう意味ですか?」
私の言葉に、部長と羽根田先輩は困ったように目を合わせる。
「言わないほうがいいと想うよ。まなか的には、隠してたいだろうし。特に柴木さんには」
「でもよ、大概の奴は知ってるぜ、一個下も早く入った奴らは見てるだろ。適当に誰かに声かけたらわかっちまう」
「…………そっか、そうだけど……ねえ」
「変に誤解や妄想を産むより、今教えてといたほうがいいと俺は想う。柴咲さんも今、変にごまかされるの嫌だろ?」
「そこの判断は部長っぽいなあ……」
「だろ?」
「やらかした本人でなければカッコよかったよ」
「…………違いない」
二人のそんなやり取りを、私はただ黙ってみているしかなかった。
それからやがて二人は私に向き直って教えてくれた。
「まなかはな、昔結構、キス魔だったんだ」
「お酒が回るとね、なんか……昂ってしちゃうんだって」
「始まりはなんだっけな、あれだろ浅葱先輩との絡みだろ?」
「うん……あ、三つ上だから、柴咲しらないよね。結構、ダル絡みする先輩でさ。あ、女性の人ね? 酔うと泣き上戸になって、それでまなか捕まってたんだよね」
「彼氏いねーってな、あんときはまあ名物みたいなもんだったな。俺も結構愚痴られた」
「で、まなかがさ、褒めるんだよね。『先輩充分可愛いって』『愚痴らなかったら彼氏なんてすぐできますよ』って」
「……で、浅葱さん泣き上戸加速してな」
「『可愛いです』」
「『でも私めっちゃ振られたよ』『いやいや、自信持ってください。私が男ならすぐ捕まえてますよ』」
「『それなら三倉ちゃん、私にキスできるの?』って……」
「で、したんだよな。あいつ」
「あの時、ほんとてんやわんやだった」
「みんなめっちゃ騒いでたもんな。しかも、二秒くらいがっつりしてた。俺今でも覚えてんもん。胸倉掴んで、ガっ! てな。イケメンすぎたな」
「で、『あ、これ意外と気持ちいかも』だもんね」
「肝座ってると言うか、なんというか」
「浅葱先輩放心してたよね。あの後、本当にちゃんと彼氏が出来るんだから凄いんだけど」
「で、そっから。まなかは……味を占めた」
「飲んで酔っ払うと、割と手あたり次第キスするようになったよね」
「男には口同士ではしなかったし、嫌がってる子にもしてなかったかな」
「なんかガチっぽいのは嫌って言ってたね。でも口同士でしたのって最初と数回だけじゃない?」
「大概、まなかにキスされた奴骨抜きになるからな。浅葱先輩もあん時から、まなか相手に何か照れてたし。口同士はしばらくしたらNGが出てた」
「まあ、肝心のまなかは素知らぬ顔なんだけどね…………」
「あのメンタルの強さは見習いてえわ」
「ほんとにね……」
そこまで話して、羽根田先輩は小さな身体に見合わない大きなジョッキをごとんと置いて、一息ついた。
「でも、ここ最近しなくなったな。ある時からぱたんって。さすがにまなかも照れるようになったんかね」
「ううん。ほら、あれだよ。柴咲さんは知ってるよね? まなか、あの時期に病気があるってわかったから、移ったら嫌だって言ってしなくなったんだよ」
「へえ、初耳。でも血液感染だろ? 普通、キスくらいじゃ移らんくないか?」
「うん、でもまあ。万が一ってのがあるじゃん。お互いの口に小さな傷が出来ててそこから……とか。まなかは性格的にそれで移ったら、気に病むだろうし」
「なるほどなあ……」
そうやって、ぼやくように二人は話を終えた。
「っていうわけだから、えっとね、まなかは柴咲さんのこと嫌いってわけじゃないからね」
「でこと、ほっぺくらいならしてくれるんじゃないか?」
「あはは、それはそうかも。……あれ、戻ってきた」
「ふーたーりとーも、何を私の後輩に吹きこんどるのかなー!?」
「お前の黒歴史」
「ぶっころーす!! 杯をもてーい!!」
「ルールは?」
「日本酒イッキ。ギブアップで負け」
「……うっし、久しぶりに俺の肝臓が本気出しちゃおうか」
「あはは……程々にね」
「「せーの!!」」
あの時の酒場の喧騒を、未だに私は覚えてる。
胸がどくどくとなる感覚を、身体中が心臓になったみたいに指先まで響く脈打つ感覚を。
酔いが回って何もかもが溶けて堕ちそうな感覚を。
どうしてか未だに覚えてる。
アルコールが回るままに、誘われるがままに眠りに落ちた。
止まらない喧騒の中を、そっと静かに目を閉じる。
熱く蕩けたような何かが、私の中で脈打っている。
喉の奥がずっとずっと乾いたように何かを求めている。
その渇きに促されるまま、私はそっと目を閉じたまま自分の唇をゆっくりとなぞっていた。
熱く湿った指の先は、アルコールと唾液で濡れていた。
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