第47話 酔っぱらう私と酔っぱらうあなた
軽く一時間ほど残業して、家に帰りついた。
帰ったって言ってもここねの家だ、正直あんまり帰ってきた感ないんだけれどね。
他人の家っていうのは、なんだか微妙に落ち着かない。
心が微妙に休まっている気がしないというか、なんだろうね。別にうちの部屋と大した違いなんてないんだけれど。
まあ、気が休まらないのは、本当にそれだけが理由なのか。
結局、色々と理由をつけて、私はここねに大学二年以降の話をしていない。
そりゃあ、まあ、恥ずかしいと言うか、気まずいと言うか。
言ってしまえば、そこからは私が恋に溺れた期間だ。
熱に浮かされ、常識と自分をセットで見失い、他人様に迷惑をかけまくりながら、走り抜けたお粗末な時間の話だ。
加えて、今この通りなのだから、実りさえありはしない。
ただただ、過ちだけをせっせと積み重ねた話を、そう気楽に話せたものでもないだろう。
ただ、まあ、話さないといけない……よねえ。
どうしたもんか。
とまあ、そんな思考はとりあえず放棄した。そろそろご飯時の時間だ。冷蔵庫を開けてから、さて何を作ろうかなあと思案する。
小さな冷蔵庫はあんまり中身がなくて、もしかしたら帰りに何か買ってくるべきだったのかもしれない。
そんなことを思案していたら、玄関の方でドアが開く音がした。
さてさて、家主のおかえりみたいだ。
居間のドアががらっと開いて、ここねが姿を現した。
「おかえり、……って、どうしたの? それ」
ここねの両手にはぱんぱんに膨らんだビニール袋。食材を買ってきてくれたのなら、それはそれはありがとうって感じではあるのだけれど。
それにしてはなんだか量が多いと言うか、ここね自身もなんだか妙に昂った顔をしているんだけれど。
「お酒飲みましょう! みそのさん!」
はてさて一体、何があったのやら。
※
「『みそのさんが恥ずかしい問題』をどう解決したものかなと想いまして」
「考えたわけです。恥ずかしいのなら、それを誤魔化すために勢いをつけちゃおうって」
「つまりパワーオブアルコール、飲みにケーション、私が上司だったらぶっちゃけアルハラですね。あ、だから嫌だったら全然、私だけ飲みますんで」
「加えてですね、私の恥ずかしい話を先にしてしまえば、それは、もう、こう、相対的に恥ずかしくなくなるのでは? という天啓を得まして、ええ、そうです。今からしますよ、恥ずかしい話」
「いっぱいメモで書いてきました。えーと、まずはどれがいいかな……」
「あ……いや……えと、お酒飲みましょう! とりあえずお酒! でないと、これ私も喋らんない!!」
「じゃー、恥ずかしい話その一です。私、ちっちゃいころ引きこもりでした。えと、小三からです。ええ、えと中学は行きました。高校も、でも小学校は三年間言ってません! はい! 履歴書には書かれない経歴の闇です!」
「きっかけ……なんだったんだろ……? いじめられてた? うーん、まあ、クラスの子とは仲良くなかったけど、学校の先生が怖かったとかそんな理由だと想います」
「すんごいおっきい声で怒鳴る先生だったんですよね。いや、多分、めちゃくちゃいい先生だったんですよ? 生徒にも好かれてたし。ただ私大声出されると耳きーんってなっちゃって、パニックになっちゃったんですよね。それで学校に行けなくて、先生に嫌われてるかもって想ったら余計行けなくて。友達にもずっと行ってないから変に思われてるとかいろいろと考えちゃってたのです」
「はい、はい。顔あっつ!! でもいいです、どんどん行きますよー。中学生の頃、変な設定のオリジナル小説考えてました! しかも、『わかる人にだけわればいい』っていう恰好つけ理論で設定考えてました! 当時流行の漫画に思いっきり影響されてるので、設定がどっかでみたことあるやつばっかり! ハリネズミとか鳥が武器になるところが反映要素大きかったですねー。はい、はい、次!」
「備え付けの観葉植物に名前がついてます! マレーっていいます。朝、出かけるときは声を掛けます! ここ二週間は時々水やりに来てただけなので凄い寂しかったです! はい、次!」
「小三から引きこもってたものだから、この年代のネットミームに多分異様に詳しいです。なんなら、私の個人パソコンに当時のサイトのお気に入り欄が未だに残ってます。ちなみにネットの書きこみすらまともにできない、電子の世界でも引きこもりガチ勢です。はい」
「PVが30しか回らない鬱日記をネットに上げてました! 三週間で辞めました!」
「恋愛漫画の蔵書が多すぎて、実家の私の部屋は、床抜けそうなくらい量の漫画があります。何度か売ったんですけど、まだまだ捨てられなくて。今? 今はほら電子で読めるので、部屋の見た目は大丈夫です。ええ、見た目は」
「あれー……な漫画も結構読みます。これ18禁だけど、感動できるみたいなのも結構推しであります。ジャンルはめっちゃ雑食です! NL、BL、GL、多少のグロと性転換はまあ許容範囲です。がっつりしてるのはちょい苦手で」
「あと、あと……えと、まだまだあるんですが。えとえと」
「え、もういい?」
「えと、あのみそのさーん、そんなに笑い転げないでください……。これでも大分勇気を出していったので、え? 笑ってない? 笑ってます!! どーみても笑ってます」
「いや、そーいう目的で言ったので! いいんですけど! いいんですけど!!」
「でもー! 笑われるとー! 私のー羞恥心がー! あー!!」
「酒! 飲まずにはいられません!! うわーん! 先輩にアルハラされてるー! いや、してんの私ー!」
「にゅあー!」
※
「はー……よく笑った」
本当に、久々に心の底から笑った気がする。まださっきの余韻で、腹筋が痛いし、涙も目尻に滲んでくる。
「それはとてもよく存じ上げてそうろうです」
そしてさっきまで私の目の前で黒歴史暴露会をやっていたここねは、いつの間にか私の膝の上で頭を転がしている。ついでに言葉がなんだかおかしい。ぶーたれている姿は随分と珍しい気がした。いつも引っ込んでどちらかといえば、控えめな印象が強い子だから、こう感情を表に出されるのはどことなく新鮮だ。
私はけらけら笑いながら、膝に転がる後輩の頭を撫でておく。一瞬びくっと震えたが、その後はそのまま撫でられるがままだった。
小さな頭だ。私より少しだけ小柄だからか、人は小柄だと頭まで小さい物だろうか。
柔らかい髪を撫でながら、ぼんやりとその頭の形をじっと眺める。
綺麗な丸だね、人によっては歪な形の頭もあるけれど、ここねの頭はひどく綺麗な円形だ。髪に隠れて普段はぜったい気づかないだろう、そんな事実に、頭を撫でながらぼんやりと気が付く。
そうしながら、私は傍にあった缶チューハイを喉に流し込んだ。
頭が熱い。アルコールが回っているから。
膝も熱い。これはここねの頭が乗っているからだ。
喉が熱いのは、なんでだろうね。
「ありがと」
訳も分からないまま、そう告げた。酔っているのだから仕方ない。
「私のわがままのためにやっているので」
ここねはどこかぶっきらぼうにそう告げてくる。それすら、少し微笑ましく想いながら。
私は新しいチューハイの缶を開けた。
熱を帯びた、味がする。
アルコールで身体が熱くなっているからだ。
そして、そんな誰かの肌が私に触れているからだ。
眼を閉じれば、ぼんやりと情景が浮かんでくる。
浮かんできたものは悲しくも、痛くもない。アルコールがそれを誤魔化している。
口を試しに動かしてみたら、いとも簡単に解ける様に動き出した。
微睡みに近い感覚。
ふわふわと浮くような、甘く苦く、痛く、でもそれすら曖昧な心地がする。
今なら言えるのかもしれない。
言えてしまうのだろう。
言っていいかな。
わからない。
わからないけど、言ってしまおう。
だって今、酔っているし。
それを望まれてた気もするから。
解ける様に口を開いた。
言祝ぐように言葉を紡いだ。
「じゃあ、私も恥ずかしい話しよっかな」
そういえば。
あの時の気持ちを誰かにちゃんと話すのは。
もしかしたら、初めてなのかもしれない。
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