第46話 元気な私

 みそのさんの、昔のお話を聞き始めてもう四日ばかりが経ちました。


 途中、まなかさんもお呼びして、お話を続けていたわけですが、昨日は結局、お話は進みませんでした。


 大学に入って一年が経った頃からとんと。


 どういうわけか、と尋ねれば、「恥ずかしいから」と答えが返って来るばかりです。


 今のところ、話に伺うみそのさんとまなかさんの関係はよき先輩と後輩、ルームメイト、良くも悪くもただそれだけ。


 それで進む未来もあったのだろうけれど、どこかのタイミングで、それは意味を変えてしまったのでしょう。


 今までは、それがまだ名前を得ていなかった頃のこと。


 そして、これからは、それ想い名前を得始める頃のこと。


 さてさてどうしたものでしょうか。


 どうすればみそのさんの恥ずかしいフィルターを乗り越えることができるでしょう。うーむと首を捻ります。


 仕事中にぼーっとしながら、そんなことを考えていたものですから、いつも通り部長から剣呑な視線が飛んできたりもするのですけど。


 今はそれどころではないのですよねえ。


 まあ、そろそろ休憩時間なので大目に見てもらいましょう。


 なんとはなしにキーボードのボタンを押します。


 い。半角だと『i』ですね。


 それを押し続けて、画面の中に羅列されるのをただ眺めます。


 どうすればよいでしょうか。


 どうするのがよいでしょうか。


 記号の羅列が、画面の上一行を占拠したあたりで、私はぽんと手を叩きました。


 そうだ、いいことを思いつきました。


 言いにくいことは、言いやすい状態で言えばいいでしょう。


 残された時間はそう多くはありません。


 こうして過ごす時間もあと一週間と少しばかり。


 止まってなど躊躇ってなどいられないのです。


 「もう少し、焦れ。仕事の期限、もう迫ってるんだぞ」


 怒気が込められた言葉が背後から飛んできます。


 「はい! 私今、人生最高に焦ってます!!」


 なので勢いよく、元気よく答えました。


 怒鳴り声が倍に増えただけですが、まあ致し方ないでしょう。


 同じ部署の先輩たちがたの眼がどことなくおろおろと、心配げに私と部長を交互に眺めています。空気が読めない後輩がいると大変ですね。まあ、特に反省もしていませんが。


 今年に入ってからというもの、この職場での捉え方が少しだけ変わった気がします。何というか、気付いてしまったのですよね、ここで行われていることは、私の人生の中で優先度は低いのだと。


 私にとっての人生の一大事は、今、みそのさんとまなかさんに切り替わっているのです。あの二人の幸せをどうやって得るかが、今の私にとっては最重要事項なのです。


 そう想えば、こんなこと大したことないのです。総務での研修も残り三か月もありませんしね。


 さあ、どんな準備をしましょうか。


 何を買って帰りましょうか、何処で買って帰りましょうか。みそのさんにはなんて連絡していきましょう。


 そうしていたら、ふと子どものころを思い出しました。


 何だったっけ。


 あれは確か、プールの水泳の頃だったのです。


 懐かしいなあ、足が痛いのを我慢しながら必死に泳ぎました。でも岸に付くまでと考えれば、痛いのだって我慢が出来たのです。


 休憩時間に入ったので、身体を思いっきり伸ばしました。


 さあて、何を調べましょうか。


 スマホで近所の美味しそうなテイクアウトでも調べましょうか、ウーバーとかでもいいですね。


 視界の端で部長の藪にらみが、見えてきます。


 機嫌が近いのだから、休憩中も仕事をやれよということでしょうか。あははごめんなさい、残念ながらそれより大事なことがあるのです。


 さあ、頑張れ私、今日も元気にいきましょう。


 目指すはみそのさんの羞恥心フィルターの貫通です。


 ドリルでもって大きな穴を空けましょう。作戦としては、天岩戸前で大騒ぎするのに近いですが。


 さてさて、何をしましょうか。


 さてさて、どこに行きましょうか。


 命は短いのですから。


 乙女は恋をするのです。


 私のこれは実が結ぶことのない、儚い花のようなものですが。

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