第43話 いつかの私といつかのあなたー②

 言葉を選ぶ。


 言葉を選ぶ。


 これは言ってもいいだろうか、これは伝えてもいいだろうか。


 そうやって選別をしていくうちに、いくつもの言葉が省かれてゴミ箱へと投げ入れられる。


 そのくせ、頭の中に浮かぶ情景を言葉にしようとすると、どこか足りないことにばかり気が付いてしまう。


 必要なことは喋らない癖に、余計な言葉ばかりに付け足している気がする。


 こうやって喋ることで、一体、私の何が伝えられているのだろう。


 君に問われた意味を、私はまだ測りかねたまま。


 ぽつりぽつりと呟いた。


 一体、どれだけ伝わるんだろうか。


 もし伝わったとして、これが何になるのだろうか。


 もう全部、何もかも、終わった話でしかないと言うのに。




 ※




 ルームシェアの相手は、案の定というか、まなかさんだ。


 当時は三倉さんって呼んでいた。


 あの人は、初対面でも気さくに明るく、今とあまり変わらない感じで接してくれていた。


 違いがあるとすれば、私の態度くらい。


 ……ひどかったなぁ、あの頃。


 他人を見るだけで変に警戒してたと言うか、臨戦態勢に入っていたというか。


 シンプルに口悪かったし……まあ、ここらへんはやんわりと言おうか。


 きっとあの頃の私は、ずっと何かと戦っていたのだ。


 どこかの誰かとまるで終わりのない戦争をするかのように。


 いつまでも、いつまでもたった一人で戦い続けていたのだ。


 私は確か、引っ越しの挨拶もそこそこに、バイトの方に顔を出した。


 最初に見つけたのは、ありきたりだけど、コンビニのバイト。居酒屋のバイトをしようとしたけれど、ああいうのは水商売だからって、親に猛反対で断られた。あれはなんでだろう、今想っても謎だなあ。


 店長は、悪い人ではないけれど、同じバイト仲間からの評判は悪かった。ただ、私が深夜も休日も問わず入れると言うと、大喜びしていたっけ。そういう時間帯は、入る人がいないから、給料も多くて、願ったり叶ったりだと思ってたっけ。


 そんな風にして、大学生活は始まった。


 レクリエーション、サークルの新歓、授業の選択。


 色々な工程でてんやわんやしながら、講義が終わったら、バイトへと赴く。


 最初の夜勤は、本当に眠くて仕方なかった。眠気で視界がぐらぐらと揺れるのなんて初めての経験だった。深夜酔っぱらいの人とか、結構来るから、なんだかびくびくしていたのをよく覚えてる。


 夜勤が開けたら、そのまま学校に行って一限の講義。大体、朝の時間帯に必修の講義って入ってるから、眠るわけにもいかずぐらぐらと揺れる視界のまま、ノートをとった。


 それから、昼休みに少し寝て、講義に行って、またバイト。


 学費のことも考えると、平日は毎日六時間くらいは働いておきたかった。奨学金もあるにはあるけど、あまり手を付けたくないのが正直なとこだ。


 特待生を維持するために、学校の勉強も欠かせないし、手を抜けるところは一つもない。おかげでサークルにも入らなかった。入る余地がなかったっていうのが正しいと言うか。


 そんな生活をおおよそ三か月。


 ちょうど前期試験の一か月くらい前までやっていた。


 その間、まなかさん―――三倉さんとは、ほとんど顔を合わせなかった。合わせたら軽く挨拶はするけれど、私は大体泥のように眠るか、忙しなく部屋を出ていくだけだった。


 その頃には、いい感じに色々と辛かった。


 職場で怒られるのが辛かった。ミスをするたびに受ける罵声も、よくわからない客に絡まれるクレームも、先輩たちからのため息も何もかもが辛かった。


 勉強も上手くいってなかった。必修のテストで想ってた点が取れないたびに焦った。特待生から落ちるわけにもいかなかった、そうでなくてもゼミの資料集めやら何やらで忙しく、正直それどころじゃなかった。


 おかげでというか、なんというか、友達の一人もいなかった。


 まあ空き時間なんて大体寝てるか、勉強してるだけの人間なんだ。友達なんて出来るはずもなかった。


 風邪で頭から鈍痛が離れなくても勉強した。生理で胃の奥の方が蝕まれるように痛んでもバイトに行った。それでも、どちらも大してうまくはいかなかった。


 すごく絶望した気がする。


 あれだけの啖呵を切って家を出てこの程度かって、一人で生きていくんだって意気込んでこの程度かって。


 努力が―――足りないんだと思った。


 実際そう言われたし。


 だからバイトの時間を伸ばした。だから勉強に費やす時間を増やした。


 寝る以外はずっと何かを積み重ねるために時間を使った。


 そうすることで、自分は一人で生きていけるんだってそう信じていた。


 今考えるとわかる。勘違いなんだ。


 時間を費やしたら、その分だけ掛け算式に上達していくわけじゃない。


 仕事も、勉強も。


 むしろ疲れていれば、掛ける数字は低くなって、結果は当然振るわなくなる。


 今となれば、そんな簡単なこと、わざわざ指摘されなくてもわかるのだけど。


 わかっていなかったのだ、当時は。


 睡眠時間を削って、心の余裕も削って、ただ日々をこなすことだけに追い立てられて。


 そこまで追い詰められていながら、誰にも助けも求めないで。


 わかっていなかったんだ。


 一人で生きていく、なんて、どこのだれにだってできやしないのに。



 ※



 そんなこんなの無茶な生活は当然、どこかでガタが来る。


 ある日、講義を終えて部屋に帰りついた私は、バイトへ行くための準備をしている途中にふらりと立ち眩んだ。


 それからそのまま意識を失った。


 ……っていうのは後から聞いたっけ。正直、ほとんど覚えていない。


 気が付いたら、なんか病院にいて、ベッドの脇でぺらぺらと小説を読む同居人がそこにいた。


 なんで、と同時に、バイト行かなきゃなんて思ってったっけ。


 っていうか、バイトのシフト穴開けちゃって、それまで皆勤だった―――というか、休み方を知らなかったから、バイトどうなったんですかって真っ先に聞いたんだったか。


 ―――あの時、まなかさんは開口一番、そうやって私が聞いたことに若干呆れてた。


 そりゃそうだよね、でも、あの当時の私にとっては本当にそれが深刻だった。


 シフトに穴をあけて、何か言われるんじゃないかって、勉強も追いついてないし、入院費だって払えるかどうかわからない。


 そうやって、ずっと何かに追われるみたいに焦ってた。


 そんな私にまなかさんは、ちょっと呆れたように、もっと人頼ったら?


 って言ったんだったっけ。


 そんなことしたら、身体なんて簡単に壊れるし、心も全然持たないし、って。


 私も、それは薄々気づいてた。ずっと無茶のし通しだったから、どこかでガタが来るっていうのは。でも、そんなの無視して、考える余裕がないままに歩いてきた。


 だから、でも、と返した。


 でも、バイトしなきゃお金がないんです。


 でも、勉強しないと特待生でいられないんです。


 でも、一人で生きていかないと―――。


 生きていかないと。


 その後の言葉は続かなかった。


 一人で生きていかないといけないって想ってた。


 なんでそう想っているのかが、私にはずっとわからなかった。


 それはきっと、曖昧な記憶の中で培ってきた、私の感覚。


 誰かに助けてなんて貰えない。


 誰かの助け何て当てにできない。


 私の願いを誰かに言ったところで、そんなものは叶わない。


 そんな、感覚。


 それは多分、親によって周囲の環境によって、あるいは私の想い込みによって。


 粛々と十八年の時を経て降り積もった、曖昧なでも実態をもった確信。


 言葉には上手くできない、私の抱えた何かへの恐れ。


 そんな私にまなかさんは、ふうんといった。


 あまり興味もなさそうに。


 それから、私の携帯をすっと出した。


 とりあえず君、今後二週間はお休みだから。試験終わるまではゆっくりしてな。


 休みの連絡は私が勝手に入れたから。


 唐突に、身勝手に、私の気持ちなんて置いてけぼりで。


 え? と慌てる私をよそに、あなたはあくびをしながらふらふらと立ち上がって。


 入院費も心配しなくていいからと、あと、親には貧乏でないなら学費くらい出してもらった方がいいよって。


 そんなことを告げて、ふらふらと出ていった。


 私の携帯だけをベッドの隅の机にほっぽったまま。


 昔から、随分と身勝手な人だった。いや、ほんと酷い。


 そういうの私の意見を聞いてからにすべきだとほんとに想う。


 それでもまあ、私のためにしてくれたのだろう。


 そんなことは、へっぽこな私でもわかってた。


 この時はまだ恋なんて、してないよ。うん、まだね。

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