第40話 年上の私と年下のあなた

 そろそろ昼食時って頃に、まなかさんから連絡が来た。どうやら、ここねの部屋の掃除が終わったらしく、もう私が部屋に行ってもいいらしい。私は近くのモスバーガーに一度寄ってから、二人所に向かう。


 旅行用のカバンを抱えて、ごろごろと転がしながら、ここねの部屋に足を伸ばす。


 ここに来たのも、去年の年末、飲み会の後に転がり込んで以来だ。


 簡素なアパートのエレベーターを抜けて、ドアを開ける。


 手を洗面所で洗ってから、リビングにあるドアを開けた。


 

 涙目のここねと、それをなだめるまなかさんがいた。



 「いや、何やってんすか」



 思わず、つっけんどんな言葉出てしまう。


 それにまなかさんは、どこか楽し気に笑いながら、ここねをあやし続ける。


 「ちょっとねー、お話してたの」


 何の話をすればそんなことになるんだと、私は軽く嘆息を着く。ただでさえ仕事に疲れている後輩を捕まえてすることじゃないでしょ。


 そんな私をみて、まなかさんはふふっと微笑みを見せる。


 「さ、ここちゃん、大丈夫? じゃあ、私はお邪魔虫だしお暇するよ」


 「え、もう。帰るんですか……?」


 「うん、お掃除終わったしね。じゃ、みそのと仲良くねえ」


 そう言って、すっすと自分の荷物を持って、玄関へと言ってしまう。私は見送る体でそっとまなかさんの後ろについていく。ついでにリビングを出るときに、そっとドアを閉めた。


  二人して、数メートルもない廊下を歩く。とす、とす、という足音が嫌に耳に響く。


 「……で、何話したらあんなことになるんですか?」


 まなかさんが玄関を開けて少しだけ外に出たタイミングで私はそう、口を動かした。


 携帯日傘を差したまなかさんは私をそっと振り返る。どこか楽し気ににやりと笑ったあなたの顔は、大学時代からちっとも変わらない。


 「んー、私の洗いざらい」


 「………………」


 思わず開いた口が塞がらなかった。


 「ちょっとえぐいとことか、現実味ないとこは誤魔化したけどね。みそのと一緒にならなかった理由はちゃんと伝えたよ」


 「………………」


 言葉が上手く出てこない。


 大丈夫だったんですか、とか、言ってよかったんですか、とか聞くべきことはいくらでもあるはずなのに。


 「…………


 「…………」


 「いい子だったよ。ここちゃんは、本当にみそのにあげるのが勿体ないくらい」


 「……いや、私のじゃないんで。人をものみたいに扱わんでください」


 ようやく出てきたのは、言っても言わなくてもいい戯言ばかり。


 相変わらず、肝心なことを私はうまく言葉にできない。


 「……そーだね。みそのも私のものじゃないしね」


 それから、あなはた何気なくそんなことを言って。


 「仲良くするんだぞう。じゃ、まなかさんは帰るわ」


 そう言って、ひらひらと手を振りながら、アパートから去っていった。私はその後姿を何を言うこともなくただ見ているだけだった。





 ※




 ここねがまなかさんのを知ったことで、特に何かが変わるわけじゃない。


 知ったところで、まなかさんと私の関係は変わらないし、私とここねの関係も変わらない。


 強いて言えば、まなかさんとここねの関係が変わったわけで、それを私がとやかく言うことじゃない。


 ただ改めて認識するなら、どうやら本当にまなかさんはここねのことが気に入ってるらしいと言うこと。あの人が、私との関係まで込みで病気のこと明かしてんのなんて、両手の指で足りるくらい人数しかいないだろうに。


 まあ、何にせよ私とはあまり関係のないことだ。


 そう、関係ない。


 そう想っているはずなのに。


 「まなかさん……もう、帰っちゃいました?」


 未だに涙目な君を見ると、胸がざわつく。


 「うん、帰ったよ。竜巻みたいな人でしょ、勢いでやってきて、勢いで去っていくから」


 それは、不安か、苛立ちか、それともまた別の何かなのか。


 わからないけど、少なくとも今の君にぶつけていいものじゃない。


 先輩っていうのも大変ですね、まなかさん。


 昔の私を見ていたあなたも、こんな気分だったりしたのだろうか。


 「そう……ですか」


 「うん、で、何話してたの? というか、ご飯食べた?」


 君はどこか視線を気まずそうに泳がせながら答えを返す。


 「えと……まだです」

 

 「じゃ、食べよ。ハンバーガー買ってきたし、好きなのとって」


 そういえば、まなかさんの分も買ってきていたんだけど、食べずにそのまま帰ってしまった。気づかなかった……ってことは、まなかさんだしないな。気づいたうえで、スルーしたんだろう、私とここねを二人にするために。


 「三つ……あ、まなかさんの分ですか」


 「そ、帰っちゃったけどね。まあ、食べたかったら食べていいよ。余ったら私が食べるし」


 まったくあの人は、とぼやきながら私は黙々と座卓においたハンバーガーを口に運ぶ。


 空気は少しだけ気まずい、というか、なんというか。


 お互いが触れていいのかの探り合いをどことなくしている感じだった。


 「聞いたの? まなかさんから」


 どこまで喋ってるのかわからないから、あえて主語はぼかした。


 「はい、その……えっちできないからって」


 ああ、結構深くまで聞いてるみたいだ。同時に、恐らく私の情けなさも。


 「笑えちゃうでしょ? 我慢が効かないから一緒になれない、なんてね」


 思わず自嘲の笑みがこぼれてくる。


 「…………」


 もし、私もまなかさんの旦那みたいに性欲のない人間だったら、もっと上手くいっていたのだろうか。


 「いやあ、なんか色ボケなんバレちゃったねえ、あっはっはっは」


 それか、もっと抑制のきく人間だったら、まだあの人の隣に入れたのだろうか。


 「あはは、でもバカみたいな話だけど。昔は私もけっこー悩んでたんだよ? ま、そんな大層な悩みじゃないけどね」


 一度だけ本気で、手術をして私の女性の根幹たる部分を取り除いてしまおうかと考えた。そうすることで、あの人の隣にいれるなら、あるいはあの人がもう一度、私を見てくれるならなんて考えたっけ。それで性欲がなくなる保証なんてどこにもなかったわけだけど。




 「まあ、笑ってよ。バカ話だからさ」




 そうであればいい。


 いつか、全ての過去は笑い話になるのだから。


 この痛みも、この辛さも早く笑えるようになればいい。


 そう、いつまでも過去なんて引きずってないで、そろそろ、私も―――前に―――。


 ―――進めたらなあ……。










 尽きかけたため息は、黙ってコーラで流し込んだ。



 自嘲の笑みが不自然に辛さで歪まないように、全神経を注ぎ込む。



 早く、立ち直れ。



 そう、早く。



 


 「…………」





 君の手が





 …………なぜ。





 「…………」






 疑問を投げかけようとして、顔を上げたらなんでか君の方がどことなくきょとんとしている。


 まるで、自分がなんでそうしているのか、わからないとでもいうように。


 「…………えと……ここねさん?」


 尋ねてみるけれど、君はどことなく不思議そうな顔をしたまま、私の頭に乗せた手をよしよしと動かしてくる。


 「………………えと、どしたの?」


 何も言わずに、ただ不思議そうに。


 「……………………」



 しまいに、私まで何も言えなくなった。



 ぽんぽんと頭を撫でられる。



 私の髪の毛をかき分けるように、優しく何かに触れるように。



 さらさらと誰かが誰かを撫でる音だけが聞こえてくる。



 いや、自分の心臓の音くらいは聞こえるか。



 あと息の音、どことなく荒れる息の音。



 揺れる肩。



 痛む喉。



 強張った頬。



 震える指。



 あれ―――?



 まるで。



 これは、まるで。



 そう、泣きそうな子どもみたいな。



 なんで、おかしいじゃん。さっきまで泣いてたのは君の方でしょ。



 私、先輩なんだから、もういい大人なんだから。



 だって今は君の方が疲れてる、仕事で大変なんだから、余計なこと背負わせちゃあだめでしょう。







 だから、泣いちゃだめでしょ。


















 「みそのさん―――泣いていいですよ?」


















 なんで。


 どうして。


 君は、そんなことを。


 それに、なんで、私は。


 私は。


 ああ。


 ああ。


 ああ。


 どうして。


 声が漏れる。


 嗚咽でむせる。


 ぼたぼたとみっともないくらい、何かがこぼれる。


 あれ?


 あれ?


 あれ?


 なんで。こんなに。


 喉が痛い。


 身体が震える。


 全部が痛い。


 頭が。


 胸が。


 喉が。


 心が。


 なんで痛いの。


 それに。


 なんで私は。


 見せちゃいけないのに。


 先輩なのに。


 年上なのに。


 もういい大人なのに。


 いつか助けられたんだから、今度は私が誰かを助けなきゃいけないのに。


 ――――なんで。


 声が響く。


 声が響く。


 声が響く。





 声が――――響いてる。
















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