第39話 愛する私と泣き虫なあなた

 不謹慎だけど、思わず笑顔になってしまう。


 少しだけ浮かぶ汗、狭まる瞳孔、


 きっとそれは、ここちゃんにとって、たくさんの決意を必要とした質問だった。


 それがよぉくわかるから、想わず嬉しくなってしまう。


 そこまでして、踏み込んだんだ。


 そこまでして、みそのと関わることについて知ろうとしている。


 それがどうしようもなく、私の頬を緩めてしまう。


 ああ、よかった。この子がみそのを見つけてくれて。


 本当にそう想う。


 この子ならみそのの本当の『幸せ』になってくれるかもしれない。


 そんな喜びと、ちょっとした寂しさを抱えながら、私はそっと言葉を吐き出した。






 ※







 「まあ、端的に言うとね。私はあいつと『えっち』がしてあげられないから、振ったの」




 














 「…………へ?」






 ここちゃんは、ぽかんと口を開けた。


 その様に思わず、お腹を抱えて笑いそうになるけれど、どうにか堪えて話を続ける。


 「うん、そう、私はできない。で、あいつはそれが我慢できない。以上!」


 ぽかんと開いた口が、頭と一緒にがくんと横に傾いた。


 あー、だめだ。おかしい。


 耐えきれずに思わず一瞬、吹き出してしまう。


 だけど、ここちゃんはぼーっと口を開けたまんま。


 あー、本当におかしいんだけど、さすがにまじめにやらないとねえ。


 少しだけ装いを正して、話の続きに挑むとしよう。


 「えっと……その……性的指向的にだめってことですか?」


 「……ううん。そういうんじゃあないかな。別に、みそのが女の子だからダメだったんじゃないよ」


 私がそう答えると、ここちゃんは少しだけ考えてから、あっと思わず声を上げた。うーん、何か思い当ってくれたっぽいが少し違いそうだ。というか、まあ言い当てられたら逆にびっくりなのだけど。


 「まなかさんが、そういう行為を受容れられない特性ってことですか……?」


 恐る恐る尋ねる君に、私はゆっくり首を横に振った。


 「残念、違うよ。……んー、見せた方が早いかな」


 百聞は一見に如かずというし、まあ、誰相手でもこれが一番説得として早いんだけどね。経験則という奴だよ。


 私は自分のカバンを漁るといつも通り小さな巾着に入ったネックレスをそっと取り出した。


 どこかの誰かさんに貰った思い出の品。あんまりに、私の事情を説明するのに都合がいいからいつも持ち歩かせてもらってる。今頃当人は、くしゃみでもしてるかな。


 私はそのネックレスを引っ張って、先端についたリングを私とここちゃんの間にかざす。あー、最近磨いてないから、ちょっとくすんできてるね、また磨いてあげないと。


 「よぉく見ててね」


 そう言ってから、私はその先端のリングをぎゅっとにぎりしめた。


 


 



 え、と眼前の君が困惑したような声を上げる。



 二・三秒だけ握って、ちょっと冷や汗を掻きながら、そのリングからぱっと手を離す。それからここちゃんに開いた掌をそっと見せた。



 掌に焼けただれたような―――私にとっては、見慣れた傷跡ができていた。


 

「……というわけ」


「え…………?」


 て、まあこれだけじゃわかんないか。私は思わず苦笑しながら、そのリングがついたペンダントをそっと巾着にしまいこんだ。


 「私ねえ、病気なの。こうやって特定の物に重度のアレルギーが出たり、日光に長時間当たると体調が急に悪くなったり……一番ひどい症状はちょっと口に出すのもはばかられるけど」


 あははと笑いながら、私は掌に普段使いの炎症を抑える薬をねりねりと練り込んでいく。


 君はどこか、唖然としたまんま私の話を聞いていた。


 「まあ、なんとか付き合ってるけど、これ不治の病でね。で、一番肝心なところはさ―――これ、


 「え…………」


 彼女の顔がさっきとは別の困惑に歪んでいく。


 「あー、えと、大丈夫。普通に一緒に生活してる分には絶対うつんないから。まあ、まだ未知の部分も多いらしいけど。別に死んだりする病じゃないしさ」


 ただ、問題は。


 「これ、いわゆるでさ。体液の交換で感染するの。……だから私が血を流して倒れてても迂闊に助けちゃだめだよ?」


 ここちゃんの顔がみるみるうちに苦痛で歪む、優しいねえ、優しすぎるねえと思わず苦笑い。


 「ただまあ、普通に生活してる分には大丈夫。なんなら私とキスしてもうつんないよ。あ、口の中に傷が出来てたら、可能性はゼロじゃないけど」


 キスという単語に眼に見えて、ここちゃんの顔が赤くなる。うぶだねえと笑いながら、私はそっと指を伸ばした。


 「さあ、ここちゃん。ここで一つ保健体育のおさらいです。血液感染の主な感染経路はなんでしょー?」


 ちくたくちくたくと口で鳴らしながら、数えてみる。


 ここちゃんは最初は、はてなと首を傾げていた。おや、こいつは、とんだうぶガールだと一瞬戦慄しかけたけど、数瞬後ちゃんと顔を真っ赤にしてくれたので、私も内心胸をなでおろす。


 「そう、ここで最初の答えに戻ってくるの。血液感染の一番ありがちなのって、


 まあ、要するにあれだ、あれが体液の交換になるからまずいと、まあそういうことだ。


 私の血液が、あるいは分泌液が、誰かの体内に入ること。あるいはその逆。


 それが恐らく感染の条件。恐らくっていうのは、お医者さんもあまり例を見ないから、詳細がわかんないってことらしいけど。


 ここちゃんは刺しほ戸惑って、言葉を探して、そして何かを口にしかけた。


 「―――それってみそのさんは知ってるんですか?」


 「もちろん、洗いざらい、一から十まで」


 あいつは全てを知ったうえで。


 「その……変な話ですけど、それができなくても構わない……って、みそのさんなら―――」


 「だろうねえ」


 みそのなら、それくらい言いそうだ。


 実際、言われかけたことはあったかな。


 「でもねえ、ここちゃん。みそのはけっこー我慢が効かないよ? ずっーっと隣にいて、生理現象を延々と我慢し続ける。それはねえ、言い方あれだけど、結構ね


 「―――……」


 「眠りたくて眠りたくて仕方ないのに、それを我慢できたとして、最初はできるけど、やがては疲れて眠っちゃうでしょ? 仮に眠らないことができたとしても、いずれはどこかガタが来る。性欲の場合は身体じゃなくて、心の方にくるかもね」


 「食べたくて飲みたくて仕方がないと、本当にダメだって、そんなことしちゃいけないってわかってるのに、手を出しちゃうみたいに」


 「私はね、結構、そういう苦しさをわかってるつもり。性欲なんて、バカにしがちだけど、結構怖いもんだよ。人間の誰かと一緒にいたいっていう欲望の根幹に根差してるんだから余計にさ」


 「そうやって、我慢し続けたみそのは、いずれどうなるのかなって考えたの」


 「私のせいで無理させたあいつはどうなるんだろ?」


 「多分ね、いずれこういう気持ちになるんだよ」


 「まあ、うつってもいいかって」


 「私と一緒になれるなら、自分にその病気がうつってもいいやって。一緒に苦しみを味わえばいいんだって―――、そう思うようになるんじゃないかな。実際、似たようなこと言われたこともあったし」




 「私はね―――



 「結局さ、苦しみっていうのは当事者にならないとわかんないじゃん。どれだけ言葉で理解しても、心の内まではわからない。嬉しさなら誰だって簡単に想像できるのにね、辛さや苦しさはその人にしかわからない。ほら、喜びは量産品だけど、悲しみはオーダーメイドっていう歌詞あったでしょ。知らない?」


 「どれだけいいって言ってもね。身体が変わっちゃったら、あの子は絶対に苦しくなる。耐えられなくて、……下手したら私と一緒になったことを後悔するようになる……かもね」


 「そう考えたらさ、もう、どうしようもなかった」


 「私は、私の病気は私で終わらせるつもりなの。子どももいらないし、同じような人なんて作らせない。幸い、私以外に罹患者は見つかってないらしいしね」


 「だから、私はあの子が私を好きなんだなって知ってたけど、わざと離れた」


 「あの子から離れて過ごして―――それで、今の旦那と出会った」


 「ほんっと偶然なんだけどね。今の旦那、先天的に、そういうことができないの、欲求もなくてさ。なんだろ、お互いに割れ鍋に綴じ蓋というか、おあつらえむきだったね。優しくて、甘えたがりで、可愛い人だよ。ああ、ここちゃんも、もちろん可愛いよ? なんか小動物っぽくて」


 「……とまあ、最後は余談に走っちゃったけど。これでいいかな? 私がみそのと一緒になれなかった理由」


 「私としてはね、早くみそのに幸せになって欲しいんだけど。あいつ、あんなんだからね、まだ引きずっててさ……」


 「ごめんね。しんみりしちゃったや。というわけで、話し終わりー」


 「もー、泣いちゃって。あはは、泣き虫だなあ、ここちゃん」


 「いいって、いいって泣きな泣きな。泣いてもらえるだけ、私も報われるとこがあるからさ」


 「みそのも私もねえ、なんか時間たちすぎて、もう泣けなくなっちゃったもんなあ」



 涙を流す君の背をあやしながら。


 軽く笑う。困ったなあ、こんなとこ、みそのに見られたら怒られちゃう。


 でもまあ、それはなんだか嫌じゃなくて、むしろどこか楽しみに感じてしまうくらいには。


 私は今のこの子たちに期待を寄せているんだろう。


 結局は、あの子の人生だ。それから何を選んで、どう幸せになるのかはあの子次第。


 そんなこと、わかってこそいたけれど。


 やっぱり、自分のせいで、みそのの人生に暗い影を落としたのは確かなわけで。


 こんな病気がなければ、みそのが私のルームシェアにやってこなければ、あそこで私があの子の心を開こうとしなければ。


 する想像は色々あるけれど、後悔だけは何故か不思議とあんまりない。


 私は私なりの幸せを考えて、その道の最中、あの子の幸せもできるだけ拾ってきたつもりだ。


 それに、もしあの子と関わっていなかったら、なんて思うには今の私はあの子に影響を受けすぎてる。だから、もしもの想像のしようがない。


 でも、やっぱり私と離れたことであの子が傷ついているのも知っていて。


 後悔が無くても、私もそうやって傷ついたあの子を見るのはどうしようもなく辛かった。


 私の手のひらで救えるもに限りはあるけれど、それでもあの子には幸せになって欲しかった。


 それは、恋? いいや違うね。


 愛だよ、これは。


 だれかの幸せを願うこと。


 そのために自分のできる限りをなすことを。


 世界は愛と呼ぶんだぜ。


 まなかさんのワンポイントアドバイスだ。忘れちゃダメだよ。

 






 「だから、ここちゃんもね、ちゃんと幸せになってね? まなかさんとの約束だぞ?」


 





 泣きじゃくる君にそう告げながら、そっと私はその肩を抱いていた。



 あー、みその、早く来ないかな。



 そうして、さっさと幸せになってしまえと想う。



 そんな、今日この頃のまなかさんなのであったよ。

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