第34話 呼ばれる私と呼ぶあなた—②




 というわけで、おおよそ十分ほど、食事中にスマホを触っていたんだけれど。


 成果は全く得られずに、私は泣く泣くチャーハンを口に運んでいた。


 ちょっぴり冷めてしまって、それも合わせてへこみ気味。


 うう……結局、どういうことなのだろう。


 名前を呼ばれた、といえば普通に考えれば喜ばしい事象な気はするのだけど。


 それがどことなくそっけない態度と一緒だと、なんだか心配しかないわけで。


 抱かれちゃえっていうのも、なんだかもうわけがわからないし。


 心配で頭と胃はきりきりと痛むのだけれど。


 どういう意味なのかと、さめざめと涙を流してみても何も進展はないわけで。


 できることと言えば、そう。


 ……直接聞いてみることくらいしかないわけです。




 「……名前の呼び方を変えた理由?」


 「……は、はい」


 ただ、これで、そっけない返事が返ってきたら私はどうすればいいのでしょうか。


 ……考えないものとします。うん、その瞬間に荷物をまとめて部屋から飛び出してしまいそうだけど。


 「別に、大した理由なんてないよ……ただ」


 「ただ……?」


 みそのさんはそう言うと、どこか気まずそうに目線を逸らした。


 「……フェアじゃないなって、そう想っただけ」


 「……フェア?」


 「君は『みその』って呼ぶのに、私だけいつまでも『加島ちゃん』だったでしょ」


 「……」


 「ただ、……それだけだよ」


 「……はい」


 そうつぶやく声は、どことなく細くて小さくて。


 逸らしている顔はどことなく朱色に染まっていて。


 あれ、もしかしなくても、これは。



 「……嫌だった?」


 「嫌なわけ、ありません!!」



 嫌われていた、わけじゃない!!


 ただ、呼び方を変えただけ。ただ、それが恥ずかしかっただけ。


 ただ、それだけだ。


 それだけなんだ!


 よかった!


 心底よかった!!


 思わず、飛び上がりそうになるのをじっとこらえた。


 思わず、にたっとしてしまうのをじっとこらえた。


 こらえられなかった。


 「っふっふっふー」


 自然と笑みがこぼれてしまうし、安堵で胸が軽くなる。


 心配に痛んでいた頭も気づけば痛みはなくなっていた。


 たった一つの想い込みが解消されただけで、こうも身体は軽くなる。


 それがバカみたいに愛おしくて、それがバカみたいに嬉しかった。


 あなたは対面でまだどことなく頬を染めたまま、呆れたような顔をしているけれど。


 私はそんなのお構いなしに、にたにたと笑うばかりでして。


 ああ、こんなに幸せでいいのでしょうか。


 こんなに想い悩むこともなくていいのでしょうか。


 きっと、生まれてこの方こんなに身体が軽かったことなんてないってくらい。


 腕も、足も、お腹も、胸も、首も、眼も。


 何一つも痛くなく。何一つも重さなどないようで。


 きっときっと、きっとそう。


 今、私の生涯で一番身体が軽いのです。


 だからきっと、今はきっといろんなことができるのです。


 「みそのさん、マッサージしましょうか?」


 「おう、……唐突だね?」


 「風邪の時に身体を拭いていただいたお礼をしようかと想いまして」


 私はふんと腕まくりをして、じゅうたんの前で待ち構える。


 さあさあ、いらっしゃいとウェルカムポーズでお出迎え。


 対してみそのさんは、どことなく困ったような表情で頬を掻いていて。


 「それは……言葉通りのお礼? それともお礼参り的なお礼?」


 「どっちもです!!」


 なので、快く応えました。


 「…………つまり?」


 「ちょっと、私もみそのさんの身体を触ってみたくなりました!」


 「………………正直でよろしい」


 そういえば、触られると言う感覚は、結構経験しましたが、自分から触りに行くと言うのは未知でした。


 果たして、どんな感覚なのでしょうか。


 好きな人に触ること、それを許されること、受け入れてもらえること。


 それは一体、どんな変化を私の中にもたらすのでしょうか。


 あなたは諦めたようにうつ伏せに寝転がって、私の前に部屋着の背中を晒します。


 思わずくふふと浮かんでしまう笑みの中、私はぎゅっとその身体に指を沈み込ませました。


 はじめは肩を、ぐっと優しく力を込めて、徐々に沈み込ませていきます。


 すべっとした肌と、ほんの少しの柔らかさ、それとその奥に――――





 ―――明確な硬さがありました。





 


 「…………」


 「………………あっ」



 これは。



 「みそのさん……」


 「……はい」


 「めちゃくちゃ凝ってます?」


 「…………めちゃくちゃ凝ってます」


 少し指を動かしてみて、はっきりと確信します。


 肩から首、首から肩甲骨、果ては鎖骨付近まで。


 びっくりするほど、固いです。


 まるで、常に肩肘張って、何かに緊張している人みたい。


 ここ数日は仕事もなくて、温泉にも行っていたはずなんですけど、なんでこんなに固いんでしょう……。


 えーと……とりあえず、初めて自分から好きな人に触った感想なんですけれど。




 




 とりあえず、スマホで肩回りのマッサージのページを開きながら、思わず頬が引くつくのを感じます。


 「えーと……ここを、こうして……こう! それから、こう!」


 「ああ……やばい……効く。気持ちいい……」


 「あと、こう!」


 「ふぁぁっん……」


 「え、いま。何かやばい音なりませんでした? ゴキッて。というか、バキョゴキョって。え、本当に大丈夫です?」


 「大丈夫だから……もっと……して」


 「………………」


 イケない気分、三割。


 心配、五割。


 これいいのかな、二割。


 そんな心境です、はい。


 逆側の肩を抑えて、みそのさんの肩甲骨をぐるりと回しました。


 一際ひどい、何かが砕けるような音が鳴りましたが、みそのさんは酷くきもちよさそうでした。



 ええと、これでいいのかなあ。




 「あ……すごい」




 まあ……いいか。



 いいのかなあ。





 ※




 『ま、まなかさーん!!??』既読 12:18


 『ごめーん、ご飯食べ終わった』  12:53


 『で、ちなみに伝えておくとだね』 12:54


 『そっけないって、ここちゃんは想ったかもだけど』 12:54


 『』 12:55


 『出会った時とかねー、見せてあげたい。もうツンツンでさ。人を寄せ付けなくて、茨のようだったね。つまり、今のみそのはだーいぶ、先輩面頑張った姿なんだよ』 12:56


 『だから、まあ。ちょっとそっけないくらいは大丈夫。むしろ、ここちゃん相手に素でもいいかもって、心を開いた証拠なんじゃないかなと』 12:57


 『そう、まなかさんは想いますよ』 12:58


 『では、ファイトじゃ!』 12:58


 

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