第30話 諦めた私と俯くあなた

 叶わなかった恋の結末は?


 そんなもの問うまでもなく、枯れて落ちるか、腐って堕ちるかくらいの違いしかない。


 花も咲かさず、実を結ぶなかった蕾ほど、無用の長物はないのだから。


 だから、そんなのさっさと枯れて堕として、次の芽を出すのに精々必死になればいい。


 そりゃそうでしょう、いつまでもいつまでも、腐った蕾を抱えている植物なんてこの世に存在しないんだから。そんなことをすれば、ゆくゆくは植物全体が腐り堕ちかねない。


 だからこそ、恋なんてものはたった三年間の期間限定で、覚めた先は愛か諦めの二択しかないのだから。


 だから愛を得られない以上、私の答えはとっくの昔に決まっているんだ。



 忘れればいい。



 過去にしてしまえばいい。



 次に行けばいい。



 未来を見据えて、前を向いて歩いていけばいい。




 ――そんなことはわかってる。




 わかっているけれど、そうはありたくないんだよ。


 まあ、要するに、これは、ただの子どもじみたわがままで。みっともない、擁護のしようもない私の情けなさだ。


 既に中身の枯れ落ちた植木鉢を、捨てられないまま必死に胸の奥に抱いて、自分の心に引きこもっているようなものだ。


 この鉢から、新しい芽が出るなんて想ってない。


 枯れた蕾が、何かの間違いで花開くなんて期待もしてない。


 だから、まあ、要するに。


 私は、死ぬまでこれをこっそり抱えて生きていたいんだ。


 何も捨てずに、想い出だけを貪って。


 叶わなかった恋だけを、日々の日常に溶かしながら。


 そうやって生きていたいんだ。


 だって、そう。


 きっとこれ以上の恋なんて、どこにもありはしないのだから。



 つまり、そう。



 あれが、きっと私の最後の恋だったんだから。




 ※




 日が開けて翌日、まなかさんは私と加島さんを置いてさっさと一人で温泉に旅立ってしまった。


 一応、チェックアウトを済ませても、荷物くらいは置かせておいてもらえるらしく、お昼過ぎくらいまでは、温泉を楽しめる手はずになっている。


 だから、午前中はどうしようかと、話していたところで、まなかさんは「二人で回ってきなよ」と余計な気を利かせてくれた。


 ああ、勘弁してほしい。


 伝えてないから知らないのだろうけれど、こーみえて私、加島さんのことえろい目で見とるんですよ。


 いやあ、こう見えてうら若き二十代女子―――まあ、そろそろこの肩書も怪しくなってきたところなんだけど。加えて色々ご無沙汰なのだ。人肌恋しさに、色々と催してしまいかねんのですよ。


 うん、我ながら果てしなくしょうもない。


 仕方なく、思いっきり息を吸って、短く吐いた。


 ここは多分、理性を鉄にして、感受性を惨殺して臨まないといけない場面だろうねえ。


 温泉にリラックスを求めに来たとは思えない状況だけど、まあ私の自業自得かな。


 軽く肩の強張りを意識しながら、私は荷物を整えていた加島さんに声をかけた。


 「じゃあ、加島ちゃん。いこっかあ」


 「……はい!」


 その頬はどことなく赤みがかっていた。表情もなんというか、期待と緊張が滲んでいるような―――。


 「私、行きたい温泉があるんです!」


 そうして彼女はそう言った。


 とても、とても決意に満ちた表情で。


 …………こういう時、どういう顔をしたらいいのかなあ、私は。


 半分笑って、半分目を逸らしながら、私は曖昧に頷いた。





 ※




 「じゃあ、先に入ってるね」


 「あ……はい……」


 服を脱ぐ場面をあんまり、詳しく見たくなくて、なるだけ情緒もなくさっさと裸になって風呂場へと向かうことにする。


 がらっと、ドアを開けて思わず内心でためいきをつく。


 そこはいわゆる貸切風呂、入り放題とはまた別料金を払い、予約までしてわざわざ入る、二人用の露天風呂。


 昨日から予約してあったんだって、……まあ、十中八九まなかさんの差し金だよなあ。


 軽く身体を流してから、湯舟に身体を着けて改めてため息をついてみる。


 はあ、なんというかもうちょっと余裕のある時に誘って欲しかった。


 正直、昨日の今日であんまり精神状態がよくないんだけど。


 まなかさんと二人で話したことで、なんか色々と想いだしちゃって今日はあんまり余裕がない。


 もうちょっと、余裕がある日だったら、理性で欲情を押し殺しつついい先輩ムーブくらいはできたと想う。多分。うん。


 だけど、今日はなんだか、そこまでする元気もなさそうだ。


 身体は重いし、胃は痛い。されども温泉は温かい。そのまま、私の欲望も後悔も溶かして欲しいが、そう上手くいかないのが悲しいところだ。


 そんなことを考えながら、少し高めの建物から温泉街を取り囲む山々を眺めていた。



 がらっと後ろ手に音が鳴る。



 でも、まあ幸いというか、なんというか。


 疲れているからか、不思議とあんまりどきどきしない。


 軽くお湯で身体を流す音がする。


 ちゃぽんと、どこか遠慮がちな音を立てながら。


 二人はいれば少し窮屈な木の浴槽に、加島さんはそっと身体を浸した。


 もちろん、私と肩が触れ合うかどうかの、すぐ隣に。


 私はあえて目を向けないまま。


 そのまま二人でしばらく黙って過ごした。


 風の音。


 木々の擦れ。


 人波の声。


 川の音。


 お湯の跳ねる音。


 また風の音。


 そんな音たちを聞きながら。


 二人で何も言わず、ただ広がる山々を眺めていた。


 何も喋らない。


 喋りたくない。


 今はちょっとその余裕がないから。


 だから悪いけど―――。


 「みそのさん」


 君の言葉は。


 「まなかさんに聞いたんですけど」


 今の私には響かない。




 「




 遠く向こうで、桶の鳴る音がした。



 かぽーんって。



 「…………………………」



 おかしい、温泉に浸かっているはずなのに何故か、首から上が冷えて仕方ない。垂れる汗が異様に冷たい。うん、なぜだ。



 「……みその……さん?」



 返答を待たれている。


 いや、なんて答えたらいいのこれ。


 今、隣を向くことだけは許されない。ここで動揺してしまえば、まあ、なんというか色々とお終いじゃないか。


 えーと、とりあえずプラン1、「そうだよー、えろい目で見てるよー」。


 言えるかバカ。羞恥心で死ぬわ。


 プラン2、「そんなわけないじゃーん、あはは」。


 まなかさんからの証言がある時点で、多分、疑惑は消えない。というか、あの人、なんもいってなくて二日ちょっと見てるだけなのに、なんでそこまで気づいちゃうの。


 プラン3、てきとーにごまかす。


 ……私にそんなトークスキルも起点もないよ。


 つまり、まあ、取れる手段は。





 「……そーだよ」





 正直に言うことだけだ。


 この場合、死ぬのは私の羞恥心程度で済むわけだし。


 まあ、安い買い物だろう。


 というか、よくよく考えれば、これで彼女が見限ってくれるのが一番なわけなんだ。



 そう、どうせだ。



 そろそろ、頼れる先輩なんて仮面は機能しなくなるころか。


 そして、それを私もどこか望んでいたじゃないか。


 なら徹底的に、剥いでしまおう。


 跡などみじんも残らぬように。


 軽く、諦めるように息を吐いた。


 「君のことは性的な目で見てた。そういう意味で触ったことも何回かあった」



 息を吐く。



 「無承諾に、無遠慮に、女同士ってことで警戒心が薄いのを利用してさ」



 息を吐く。



 「そーいう目的で触ったし、そーいう目的で見てたよ。言わなかったっけ、私、けっこーろくでもないよ?」




 息を、吐いた。



 よくわからないやるせなさが、胸の中に溜まっていく。



 「君の好意を知ったうえで、性的に見てた」



 バカが、悪いのはどう考えても私だろうが、やるせなさなんか感じてどうする。



 「別にまなかさんから、心を動かしたわけでもないままに。そういう眼で君を見てた」



 ああ、本当に。



 「最低でごめんね」



 我ながら、どうしようもない。



 ついた溜息が、流れるままに。



 軽く目線を前方に逸らした。



 まあ、仕方のないことではあるのだけど。



 嫌われるなら、もっと別の理由がよかったなあ。





 ※





 そうして、少しだけ時間をおいて顔を向けた、加島さんの顔は―――。



 なんでか、どことなく朱色に染まっていた。



 「えと、あの私からもお話いいでしょうか……?」



 そうして君はどこかはにかむように、目線をそらしながらそう告げた。

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