第19話 あなたを想う私と想われるあなた

 一応、出ているようにと告げられたドアの向こうから、2人が喋る声が聞こえてくる。


 うちの薄い扉じゃあ、ちょっとした会話くらい簡単に聞こえてしまうのだ。


 ……まあ、察しのいいまなかさんがそんなこと気づいてないわけなくてだね。


 つまるところ、これは私に聞かれてもいい会話。


 いや、ともすれば




 「だから、あの子に―――私のこと―――忘れさせてあげて?」




 そして、なんとまあ、あの人も、べたな台詞を。


 察しは良いんだけど、先のこと考えるのは結構苦手だよねえ、まなかさん。


 そんなこと言って、私が本当に諦められると思ってなんているんだろうか。


 軽くため息を着いた後、荷物を整理する手をそっと止めた。


 ドアを開けて乗り込んでやろうと想った。


 だって、そんな変な重荷を背負わせるのは加島さんに迷惑でしょう。


 私なんかの踏ん切りのために、加島さんの貴重な初恋を無駄に消費しても仕方ないじゃないですか。


 これはきっと彼女にとって、貴重で大事な三年間なんだから。


 叶わないにしても、せめて少しでもいい想い出と、自分の心との付き合い方を学べるようにしてあげないと。それに集中させてあげるべきでしょう。


 でないと、次の想いが上手く芽生えないじゃないですか。


 私みたいに、いつまでも叶わない想いを、うじうじと引きずる羽目になるかもしれないじゃないですか。


 だから、やめましょうよ。まなかさん、ここらへんが潮時ですよ。


 そう思って腰を上げたそんな時。


 







 「―――それじゃ、ダメなんです」





 加島さんのそんな声が私の鼓膜を揺らしてた。


 ドアに伸ばしかけていた手がピタリと止まった。


 「私が初めてドキドキしたのは、あなたに―――まなかさんと話していた時の、みそのさんなんです」


「それに、まなかさんも、みそのさんが大事なんですよね? 風邪をひいたって聞いたら、看病に飛んでくるんですもん! どうでもいい人になら、忘れさせてあげてなんて言わないし。割り切って縁だって切るじゃないですか?!」


「だから、そんなこと言わないでください! 想いをそんなに粗末に扱わないでください!」


「あなたの代わりなんてどこにもいないんです!!」


「だから、みそのさんの想いはちゃんと大事にしてあげてください!!」






 …………ああ、もう。


 何を言ってるんだろうね、あの子は。


 そこはね、自分のために怒んなきゃいけないとこだよ。


 『私の気持ちを利用しないでください!!』とか『そんな勝手なこと言われても私には関係ありません!!』とかさ。


 それなのに、私やまなかさんのために怒って、どうすんの。


 私の想いのことなんて、考えて、どうすんのさ。


 ああ、もう。本当に手のかかる後輩だ。


 本当に、本当にいい子なんだから、私みたいなやつじゃなくて―――もっと―――ほかに。



 がらっとドアが開いた。


 私が開けるまでもなく向こう側から。


 え、と声が漏れるけれど、それより理解不能な光景がそこには広がっていて。


 なんでか加島さんに抱き着いているまなかさんは、私を思いっきり振り返ると、大声です叫んでいた。



  「みその!! この子―――ウチに連れて帰っていい? ウチの子にするから!!」



 直感で判断する。



 あ、やばい。



 これ、まなかさん、本気の眼だ。



 一緒に住んでた頃、ペット禁止のアパートの癖に猫を拾ってきた時と同じ目だもん。あのネコも結局しばらく飼ってたし。



 半端な返事をすると、まじで家に持って帰りかねん。



 だから直感のまま思いっきり声を張り上げた。



 「だめにきまってんでしょ!!」



 叫ばれてたから、つい反射で、あらんかぎりの声で叫び返す。



 口にしてから、あれ、この反応なんかまずい気がするなあと想った。まるで、私が加島さんを手離せないみたいな。



 案の定、対面のまなかさんも涙をにじませながら、どこかにやついていて。



 ただ、そんな些細な危惧は、まなかさんの腕の中でダウンしている加島さんをみて、二人揃って忘れることになる。



 ああ、無理させすぎたよね、だよねえ。






 ※





 とりあえず、加島さんが落ち着いて寝息を立て始めてから私とまなかさんは揃って料理を作り始めた。


 こうやって、肩を並べて料理をしていると大学時代をどことなく想い出す。


 「きんぴらなんて作るの久々……」


 「作り置きにはちょうどいいでしょ? はい醤油」


 「あ、どうも。なんでうちの調味料把握してるんですか」


 「みそのが置きそうなところ探っただけ。よく使うものは食器棚の一番上でしょ?」


 「あー……よくご存じで」


 まなかさんが買いこんできたのは、まあ色々あったけど確かに三日分の食事くらい作れそうなものだった。随分と重い物をまあ気軽に運んできたものだ。


 運搬してくれる旦那は……、まあこの時期はまだ仕事か。たまたま私たちが、仕事納めが早かったと言うだけで。世の中はまだまだ動いているのだ。


 まなかさんの旦那のことを想起して、もやっとしたものを心の奥で踏み砕きながら、きんぴらとごぼうを細かく切り刻んでいく。その間に背後でまなかさんは別の料理を作っていた。どうも鶏そぼろか何かを作ってくれているらしい。


 そうやって、雑念を軽く振り払いながら、私が手を動かしていると、まなかさんがぼそっと口を開いた。


 「で、どっから聞いてたの?」


 こっちなどみないまま、でも、確実に私に向けて言葉を紡ぐ。


 まあ、バレてるよね。というか、バラす前提で話してたよね。


 下手に誤魔化しても仕方ないから。私も素直に応えることにした。


 「多分、さいしょっからです」


 「ん、そか」


 まなかさんが視界の端でフライパンをコンロに掛ける。


 チチチという音の後、ガス火がごぅっと音を立てた。


 「………………」


 「怒られちゃったわ」


 「……」


 「どうしたもんだろね、私達」


 あなたは料理の手を止めない。何気ない風に、何ともない風に言葉をとめどなく紡いでくる。


 「そんな簡単にどうにか出来るなら、こんな年まで拗れてないですよ私は」


 「まあ、そりゃそうだ。私もなんだかんだ縁切れてないしねえ」


 煮詰めた鳥そぼろに、調味料が加えられる。醤油と砂糖の混じった香ばしい香りが私の鼻をついてくる。


 「というか、仮にまなかさんから縁切られても、私ストーカーになる自信ありますし」


 「あはは、何その自信」


 「そんくらい、めんどくさいってことです」


 「まあ、確かにそれはめんどくさいね。まあ、そうやって、めんどくさいのがみそのらしいけどさ」


 私は切り終えたきんぴらの素材たちを一旦、ボウルに入れた。それからまなかさんの隣に立って、余った鍋に火を入れる。


 「ああ、大丈夫ですよ。まなかさんの幸せは邪魔しませんから、遠くから見てたいだけです」


 「そっちの方が下手のストーカーより怖いでしょ。っていうか、絶対途中で私から捕まえに行っちゃうわ」


 そんな軽口を叩きながら、隣から醤油と酒のボトルが手渡された。あとついでにごま油も、なんとまあ手際のいい。


 「まなかさん、そのまま説教してきそうですよね。で、追うなら堂々とわかるようについて来い、とかいいそう」


 「あ、言うかもそれ。で、みそのは『え? ついていっていいんですか?』って返してさ。そのまま、公認ストーカーに収まりそう」


 「絶対、言います、それ」


 菜箸で人参とごぼうを炒めながら軽口を叩き続ける。


 「てか、それ。結局、縁切れてないじゃん」


 「確かに」


 「あはは……私はさ—――みそのに幸せになって欲しいだけだよ?」


 私もおんなじですよ、とらなんで返しにくかった。


 横目でまなかさんを伺うと、優しくて、でもどことなく悲しそうな瞳で私を見ていた。


 「……未練がましい女なので、いつまでも想いが消えて無くならないんです」


 「重いわー」


 「想いだけに」


 「ついでにおっさんくさくなってるわー」


 「それ、ほんと傷つくやつなんで、やめてもらっていいですかね」


 そう言って、二人でけらけら笑った。何気ない風に何ともない風に、いつかの想い人と笑い合う。




 「でも、私はね今日ちょっと救われたかな」


 


 それから、まなかさんはそう言って、微笑んだ。


 きんぴらの匂いと鳥そぼろの匂いがまじりあう。……って言っても、どっちも醤油と酒だから、似たようなにおいだけど。


 救われた…か。それは確かにそうなのかな。私は……どうなんだろう。まなかさんに突き放されなかっただけ、助けられてはいるのだろうか。


 加島さんはまだ、ドアの向こうで寝息を立てている。


 「あの子も早く目が覚めるといいんですけどね……」


 少し遠い目をしながら、そう告げた。


 正直に言ってしまうなら、それが私の本心だったし。


 早々と覚めてしまうのがきっといいのだ。


 恋なんて、振り回されるだけの夢から。


 そうして、いつかちゃんとあの子の心に寄り添ってくれる人が、ちゃんとパートナーになればいい。


 そうすれば彼女なりに幸せになれるのに。


 そう思ってため息をついた。


 そんな私に、まなかさんはそっと顔を覗き込んだ後、口を開いた。


 「そーだね、


 そして、少しだけ、韻を踏むように言葉を紡いで、まなかさんはそっと笑った。


 『誰が』という主語を抜きとられたその言葉から、私はそっと目を逸らした。




 ※




 結局、まなかさんが帰り支度を終えるまで加島さんが目を覚ますことはなかった。


 よっぽど疲れていたのか、それとも今日

の体力を使い果たしてしまったのか。まあ、病み上がりたったのだ致し方なし。


 私一人で、玄関先にまなかさんを送りにいったけど、まなかさんは気にした風もなくけらけらと笑っていた。


 去り際に、軽く手を振って、またどこかで食事に行く約束をして。


 そんな、別れ際に、まなかさんはじぃっと私を見つめて、くすりと笑った。


 「そーいえば、みそのは『みそのさん』って呼ばれてるのに、ここちゃんには『加島ちゃん』って呼んでたよね?」


 くるくると回りながら、どこか楽しげに。


 「おねーさん、そういうの不公平だと想うなあ」


 それから、眼を逸らす私に向かって怪しげに指を向けた。犯人はお前だとでも言うように。


 「どー想いますか? 『みそのさん』?」


 意地悪な表情を浮かべるあなたに、私は軽く手を払って、早く帰るように促した。


 あなたは軽く笑うと、もう30も近いと言うのにいたずらがバレた子どもみたいに走って逃げ出した。



 「じゃーね、みその」



 私の想い人たるあなたはそうやって、急にやってきて嵐みたいに去っていった。

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