第18話 誰かを想う私と誰かを想うあなた

 その人は突然現れた。


 楽しげな人、快活な人。


 物怖じしなくて、明るく笑うそんな人。


 対して喋ったこともない私の不安を、動揺を、気付いて掬い取った、そんな人。


 そして何よりみそのさんの想い人。


 まなかさん。


 あなたは願う。あなたは笑う。


 みそのさんに、まなかさんを忘れさせてあげてと。


 とても快活に、でもどことなくちょっと寂しそうに。


 でも、それって何かおかしく……ないかな。


 上手く言葉にできない直感が、私の心の奥の方で何かをずっと鳴らしていた。




 ※




 「ここねちゃん……?」


 自分でもよくわからなかった。


 告げるだけ告げて、話を終わらせるためにそっとまなかさんは立ち上がった。


 そして私はその裾をなんでかぎゅっと掴んでいた。


 風邪のせいか頭が上手く回ってくれない。


 ぼーっとして身体が熱い、自分が普段やろうともしないことをやっているという自覚だけはありありとあった。


 自分の腕がこんなに必死に誰かを引き留めた記憶はない。


 こんなに何かを言いたいと想ったことはない。


 そして実際に喉が動こうとしたこともない。


 私はずっと、何かをいいたいけどずっと我慢ばっかりしていたんだから。


 言いたいことを言って、否定されたら、嫌われたらどうしようって、そんなことばかり考えていたんだから。


 なのに、今は。


 今だけは、口が勝手に動いていく。



 「―――それじゃ、ダメなんです」


 

 まなかさんは少し驚いたように眼を見開くと、私をじいっと見た。


 眼を細めて、私の心の奥底を探るみたいに。


 心の奥がすくみそうになる。


 こんなこと、言っていいんだろうか。


 酷い言葉をかけられないだろうか。


 何を解ったようなことを口にしてるんだって、生意気を言うなって、そう言われないだろうか。それが、怖い。


 でも、でもでもでも―――、今は、今だけは言わないといけないんだ。


 多分、こんなこと私が言えるのは一生にこの一瞬だけだから。


 今、言わないといけないんだ。



 「私が初めてドキドキしたのは、あなたに―――まなかさんと話していた時の、みそのさんなんです」



 そう、そうなんだよね。


 みそのさんは初めて、私の本音にちゃんと触れてくれた人。


 ずっと自分の心の中に隠れていた私を見つけてくれた人。


 でもそれはきっときっかけでしかなくて。


 本当に心が震えたのは、絶対、みそのさんと電話をしていた、あの瞬間。


 あの時のみそのさんの愛しそうな声を、嬉しさに震えるような顔を見たから。


 つまり、私は結局、憧れただけ。


 みそのさんのまなかさんへの想いに。


 それだけの想いを持つには、どんな経験をしてきたんだろう。


 どんな道を二人で歩いて、どうやって過ごしてきたんだろう。


 恋はとっくに覚めて、後押しされるような何かもなくなって、それでも消えなかった想いって何なんだろう。


 私は結局、そこに憧れただけ。私なんかじゃ絶対到達できない想いに少しでも触れてみたかっただけ。


 だから、まなかさんがみそのさんの想いを失くしてしまおうなんて、いうのは少し―――ううん、凄く悲しかった。


 きっと、私なんかじゃ塗りつぶせないほど、その想いは大きくて大事な物のはずだから。



 「それに、まなかさんも、みそのさんが大事なんですよね? 風邪をひいたって聞いたら、看病に飛んでくるんですもん! どうでもいい人になら、忘れさせてあげてなんて言わないし。割り切って縁だって切るじゃないですか?!」



 ああ、自分の声がうるさい。喋ってるのがまるで自分じゃないみたい。


 こんなに、こんなに必死になって。


 あなたの眼が驚きに見開かれてる。それでもまだ言葉を必死に紡ぐ。


 先に、先に。



 「だから、そんなこと言わないでください! 想いをそんなに粗末に扱わないでください!」



 どうか。



 届いてと。



 「あなたの代わりなんてどこにもいないんです!!」



 必死に。



 「だから、みそのさんの想いはちゃんと大事にしてあげてください!!」



 言った。



 言い切った。



 ああ。



 多分。



 ………………一生分の勇気を、使い切った。



 そう想うくらいには叫んでいた。叫びきっていた。風邪なのに無理をしたから、頭は熱いし、顔は焼けるようだし、息は乱れて震えている。全身が震えてガタガタと寒さに戦慄いている。


 滅茶苦茶に声を荒げたものだから、目の前のまなかさんは相変わらず面食らったような表情で私をじっと見ていて。


 ああ、やっちゃったかな。


 震える息が、悲しいくらいにあっさりと冷静さを呼び起こしてくる。


 私の後ろを後押ししていた何かも、気が付いたらすっかりいなくなっていて。


 後に残るのはいつも通り、臆病者の私だけだ。


 ああ―――、何やってるんだか―――。


















 雫が一つ落ちた。



 え?



 まなかさんの瞳から。



 呆けたような顔のままの顔を私に向けて、見開いた目から雫がぽたぽたと。



 私の眼前を落ちていく。



 ええ?



 なんかやっちゃった? 



 いや、やっちゃった要素しかないよ。



 やっぱり、部外者なのにあんなにごちゃごちゃいうべきじゃなかったよね?



 ああ。



 どうしよう。



 こんなことになったら、きっとみそのさんにも嫌われちゃ―――






 「ふにゃっ??!!」






 抱きしめられた。



 突然、しゃがみ込んで、そのまま私の身体をぎゅうっと。



 ぼんやりとした頭が、これ人生で二回目のハグかなーなんて試行しているのをよそに、まなかさんは背後の仕切りをガラッと開けた。



 「みその!! この子―――ウチに連れて帰っていい? ウチの子にするから!!」



 「だめにきまってんでしょ!!」



 ……えーと。


 とりあえず、怒られて……ない……かな?


 まなかさんの腕に抱かれたまま、私はふぅっと息を吐いた。


 それと同時に全身から力が抜けていく。まなかさんのくっついてる身体が暖かいから、それが一層、身体から力を抜き取っていく。


 というか、あれ、身体いったあ、節々が痛いと言うか、喉も痛いし、眼の奥も熱いし、頭もぼーっとするし……。


 あれ……?


 あ、そっか、……そういえば、私、まだ病み上がりだっていうのに。


 ……無茶するから。


 でも、まあ一生分の勇気を使い切るくらい頑張ったんだから、仕方、ないよね。


 まなかさんとみそのさんが、色々言ってるけど、水面の向こうの出来事みたいに曖昧にぼやけてうまく聞こえない。


 二人分の叫び声の中、私は息を吐きながら、抗いがたいくらいの力で、そっと瞼が落ちるのを感じていた。




 無理したもんなあ……。




 遠く向こうで、二人が私を呼ぶ声を聴きながら、限界にきた私はそっと意識を手放した。



 当分、勇気は出ません。…………ぐう。

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