第14話 夢見る私と優しいあなた

 暗い、真っ暗な部屋の中。


 指が手に触れている。


 あなたの吐息が私の胸に触れている。


 服を脱がされている。


 一つ一つ丁寧に、コートを脱がして、スーツを脱がして。


 インナーを脱がして、下着を―――脱がされる。


 だけど、私は何の抵抗もしていない。


 ただ顔も見えないあなたにされるがままに服を脱がされている。


 おかしいはずなのに、なんでか嫌な気分じゃない。


 それどころか、自分の肌が晒されるのを、今か今かと心の奥で待っていた。


 ずっと誰にも見せたことはないけれど。


 ずっと誰にも触れられたこともないけれど。


 あなたになら、見られていい。


 恥ずかしくて、顔が熱くて全身が焼けるほどに熱いけれど。


 身体が火照って、じわりと全身が濡れていくのを感じるけれど。


 あなたになら、見てほしい。


 心臓の音ばかりが、どくんどくんと鳴っている。


 暗闇の中、あなたは優しい笑みのまま、何も告げずに私の服を脱がしていく。


 そして、そのまま―――私の―――肌に。


 触れて。










 ※








 「………………」


 眼を開けた。


 思考数秒。


 理解完了。


 ……夢だこれ。


 ……しかも割としっかりと淫夢だこれ。


 そして人に言えない、特に当人にはとてもじゃないが知られるわけにはいかないタイプのやつだこれ。



 気づけば周囲は朝の日差しで満ちていて、鳥の声が遠く向こうから響いてくる。



 その爽やかさと、先ほどまでの私の淫夢が対照的すぎて、なんだかいたたまれなくなった。


 ……というか、私、そういう願望あったのかな。恋を知りたいなどと抜かしておいて、シンプルに性欲を発散させたかったりしただけなのだろうか。


 もしかして、みそのさんのことも、ただ単にそういう眼で見ていただけなんだろうか……。


 なんだか、自分が抱いた恋という幻想が、一気にピンクめいた何かに変貌しそうで情けなくなってきた。次、みそのさんの顔を見たら、思わず土下座しちゃいそうだ。


 うう……、そんな邪な気持ちだけじゃないと信じたいけど。如何せん、経験値が足りなさ過ぎて何とも言えない。昔読んだ小説で『恋も愛も要するに性欲だ』なんて台詞があったっけ。当時の私はそんなことないでしょ、極論でしょ、なんて憤っていたわけだけど。もしかしたら、私の恋も愛も結局性欲なのかもしれない……。うう、へこみそう。


 果てしない罪悪感でため息をつきながら、軽く周りを見回した。


 そこは数日前に引っ越してきたばかりのみそのさんのおうち。


 独りで住むにはちょっと大きめの1Lのお部屋。


 となりの布団はすでに空っぽで、耳を澄ませると遠くでみそのさんの生活音がする。


 昨日、早引きした私とみそのさんは今日も流れでお休み……らしい、そこらへんの記憶があいまいだから、みそのさんに聞いただけだけど。


 まだ少しだけふらつく頭を抑えながら、私はふぅと息を吐いた。


 とりあえず、今日仕事に行かなくていい。休みの連絡すらしなくていい。


 それだけで肩の力がストンと抜ける。


 私はそもそも、休もうと想っても、休みの連絡を入れるのが辛くて休めなかったことが多かったから。それはとてもありがたい。


 ぐいっと背伸びをしていたら、ドアがガラッと開いた。


 「おはよ、調子はどう?」


 みそのさんが朗らかな笑顔を私に向ける。


 私はさっきの夢をどうにか頭から振り払ないがら、笑顔を返した。ちょっとだけ、どきっとしちゃったけど。ああ、早く忘れたい。


 「いえ、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


 私がそう言って頭を下げると、みそのさんはからから笑って手のひらを振った。


 「いいって、いいって。私もついでに休めてラッキーだし。加島ちゃんも年末休暇が伸びたと想ってさ、気楽に休もうよ」


 優しい表情でそう言いながら、みそのさんは手に持っていた水の入ったコップを私の隣にそっと置いた。


 私がはてと首を傾げると、みそのさんは笑いながら、のんでのんでと手のひらを振ってくる。


 あ、わざわざ準備してくれてたんだ。


 さすがに熱を出しながら寝たから、喉は確かに乾いてる。本当に、なんというか、言わなくても大概のことを察してくれる人だった。


 すごいなあ、感嘆半分、私はこんなにできないなあなんて、ちょっと情けなくもある。


 仕事もあんまりできないし、それで昨日も助けてもらっちゃったし。なんだかちょっと自分の情けなさばかりに目が行ってしまう。


 そんなほんのりとした情けなさを抱ええながら、コップを両手で持って、水を飲む。


 夜中の間に乾いた喉が流れる水で少しずつ満たされていく。


 熱く火照っていた胸が少しずつ冷えていく。


 それに合わせて、少しだけ気分が落ち着いてきた。


 優しくしてもらえるのは嬉しい。


 私が初めて気持ちを抱いたみそのさんに、優しくしてもらえるのならなおのこと。


 みそのさんは、水を飲む私をどことなく優しげに見つめていた。


 でも……昨日、今日で少しだけ感じたことがあった。


 今のみそのさんは凄い優しい。


 それはとても嬉しい。


 でも、なんだろう、なんというか、凄い申し訳なさもある気がした。


 私の心が原因なのかもしれないけれど、なんというか少しだけ距離を感じてしまう。


 みそのさんの顔を見ると、私の視線に不思議そうに表情を返してくる。


 「ん? もう一杯いる?」


 そう問われて、私は軽く頭を振った。


 「ありがとうございます。でも大丈夫です。あと、ちょっとだけ横になってていいですか?」


 そう言うと、みそのさんは一瞬だけじっと私の心の奥を覗き込むみたいに眼を細めた。まるで―――私の全部を見通してくるみたいな。


 ほんとうに一瞬だけそんな目をした後、元の笑顔にそっと戻った。


 「りょーかい、隣にいるから。何かあったらまた言ってね? 30分くらいしたら、朝ご飯持ってくるし」


 そう言った後、みそのさんは軽く手のひらをひらひらと振りながら、そっと隣の部屋へともどっていた。


 私は軽く頭を下げて、みそのさんが出て行ってから、少しだけ息を吐いた。


 なんだか、自分の申し訳なさというか、劣等感みたいなのが見透かされたようで、少しばかり居心地が悪い。


 よくよく考えたら、私はあんな素敵な優しい人に釣り合うんだろうか。


 というか、出会った時はこんなに隔たりは感じなかったんだけどなあ……。


 あの時は、言えてないことが初めて言えて、みそのさんも数少ない仲間見つけたみたいなそんな感じの関係だった気がする。


 数日前のことなのに、なんだかもう懐かしい。


 お酒も入っていたのもあって、先輩相手なのに随分とあけすけにいろいろと喋ってしまった。それで家まで二人で行くことになって―――。またお酒でも飲んだ方がいいのかなあ。そしたら、この心の隔たりも少しはなくなるだろうか。


 卵酒か養命酒でもお願いしてみようかなあ……。いや、さすがにちょっと申し訳ないか、それは。


 あの手のものは、なんだか病人が自分から申告するものではない気がする。なんとなくだけれど。


 ふう、と布団に沈みながら息を吐いた。自分の部屋で寝ているベッドとは違って、少し奥に床の固い感覚がある。


 ……ご飯まで、30分って言ってたっけ。


 ダメだ疲れた、眠ろう。


 朝の微睡みとは別の重みが私の意識を夢の底に沈みこませる。


 心も一緒に、深く深く沈んでいく。


 すっと眼を閉じる瞬間に不思議な予感があった。


 きっと、この眠りでも夢を見る。


 ぼやけた意識の奥の方で、そんな予感だけが響いていた。



















 ※




 今度の夢は、ただ二人で泣きながら抱きしめ合う。



 そんな夢がいいな。







 ※


















 朝食のスープを持って戻ると、加島さんは静かに寝息を立てていた。


 あらら、疲れて寝ちゃったかな。


 私はそろりと足を彼女の隣まで伸ばすと、そっと腰と持っていた皿を下ろした。


 寝息は穏やかだ。


 ただ、その目尻に少しだけ涙が滲んでいた。


 朝だから目が乾いているからか……、それとも夢で何か見ているのか。


 それを拭ってあげるべきか、それともそっとしておいてあげるべきか。


 少し迷っていると、ポケットからブーンと音が鳴った。


 えーと、あ、まなかさんからじゃん。


 こんな、朝早くになんでしょうね。







 『今日、みそのの家行くわねー』







 「………………は?」



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