第13話 気楽なふりをした私と何も知らないあなた

 加島さんの手を引いて、電車にそっと乗り込んだ。


 一応、気を遣いながら時々、声をかけているけれど、いまいちぱっとした反応がない。


 これは……疲れてるね、意識も曖昧で反応もおぼついていない。


 軽く苦笑してから、彼女の手を引いて座席に座らせる。


 横並びで一直線の座席に二人並んで腰かける。通勤ラッシュも過ぎた時間帯だから、人はまばらだ。


 発車の合図のアナウンスが鳴り、ドアが閉まる。


 電車が進み始めた勢いか、はたまた疲れ切って姿勢を維持できなくなったのか。


 彼女の頭が、ぽんと私の肩に乗ってきた。


 首を巡らせる。背丈は私の方が少し高いけど、座高はあまり変わらないらしく、私の顔とほぼ同じ位置に苦しそうな加島さんの顔があった。


 風邪でしんどいのだろう。性格的に気疲れも多そうだ。新人で、プレッシャーを感じやすければなおのこと。


 こういう時、私だったらどうして欲しかったろうか。


 ———まなかさんに、私はどうして欲しかったんだっけ。


 それをうまく口に―――できたっけ。


 電車の音と加島さんの息の音を感じながら、私は少しだけ眼を閉じて。


 胸の奥で響く、些細な矛盾がとくんとくんと鳴る音を、ただ黙って聴いていた。





 ※




 コンビニで買い物をして帰ると、加島さんは目を覚ましていた。


 いくつかやり取りをしてみるが、反応がどうにも覚束ない。そういえば、仕事場を出てからまともに喋ってないけど。大丈夫かなあ、どれだけ疲れていたのやら。


 この調子じゃあ、会社を抜け出した経緯もちゃんと覚えているのかなあ。


 「というか、現状把握できてる?」


 「……えと……できてません」


尋ねてみると、案の定の返答に思わず苦笑してしまう。


「思ったより重症だったね……。さては土日からちょっと無理してたなあ……?」


 まあ、日々の疲れに環境の変化や、心境の変化、ストレスの要因としては充分過ぎるから、仕方ないかな。


 とりあえず、私は気を取り直すと、折りたたんでおいた服を指さした。


「……まあ、いいや。熱は充分ありそうだし、着替えよっか。服、適当に荷物の中から楽そうなの見繕っといたから着替えよ」


 ちなみに加島さんの寝間着は、なんというか可愛らしく、えらく女子女子しているものばかりだった。なんというか、媚びているわけでも、派手なわけでもないんだけど。……なんだろ、文字通り女の子の服って感じだ。ほんわかした淡い水色で、水玉が浮いている。女の子っていうか、女子小学生が着てそうな服だった。


 勝手に触ったらまずかったかなあと想いつつも、今は彼女が早く寝れることを優先する。気恥ずかしさと、そこら辺の苦情は元気になったら受け付けよう。


 「寝るときの下着それであってた? ……あー、というか、身体拭いた方がいいよね、汗だくだったし。ちょっとまって、あっためたタオル持ってくるから」


 そう言って、私は腰を上げて、コンビニで買ってきた諸々の片づけを兼ねて、キッチンへと向かった。


 こーいう時は、気持ち悪いし汗は拭くものだろう。寝汗で余計に体温を下げてもいけないし、何より、身体を綺麗にしないとストレスが上手くとれない。


 だから、彼女の身体は私が拭いてあげて、他の世話もしてあげるべきだろう。その理論に矛盾は一切ない。


 そこに私の下心は一切含まれていない―――、と、言い切れないのが悲しいとこだけど。


 そういう善意だけで、接してあげられる指向ならばよかったんだけどねえ。


 いつか、まなかさんが私にそうしてくれたように。


 ただ、私は残念ながら、そうじゃない。


 まあ、そういう指向を除いても、社会人も五年目になればすっかり性とお金に汚れてしまうものだ。


 つまるところ、そういった行為で、相手にどういう影響を与えうるかも、私は重々承知しているわけで。


 思考が頭の隅を流れていくのをそのままに、私はレンジに濡れタオルを入れて、冷蔵庫の中にスーパーで買った諸々を詰めていく。


 例えば、下着や服に触れること。


 例えば、肌を晒すこと。


 例えば、その身体を拭いていくこと。


 親しくない相手にされれば拒絶感が沸き上がっちゃうような行為だけど。それを多少なり、好意を抱いている相手にされれば。あの子の気持ちはどうなるだろう。


 身体が、脳が、錯覚する。


 ここまで見られたのだから、この人は大丈夫に違いない。


 ここまで許したのだから、この人とは親密に違いない。


 ここまで触れたのだから、この人は信頼していいに違いない。


 本当は信頼という感情から、許可という行為に繋がるわけだけど。


 人間の感情は―――特に恋に堕ちているような、前後不覚な心は、意外と容易く誤解する。


 本当の順序を取り違える。



 レンジが仕事を終えた。


 

 熱くなったタオルを手に持ちながら、私はぼんやりと考える。


 表情だけは崩さないように、不安なあの子が私を見て何か勘ぐってしまわないように。


 朗らかな、私は彼女の元へと戻った。


「ほれ、ぬぎんしゃい。おねーさんが拭いてしんぜよー」


 朗らかに、快活に―――そう、見えるように。


 ゆっくりと、彼女が服を脱ぐのを待つ。


 衣擦れの音、晒される肌、許される心。


 そう、私はそれを知っている。


 あなたの気持ちを知っている。


 私の指向とあなたの心情を考えれば、本当は身体を拭くような行為、彼女に任せてたほうがいい。


 私がそういった眼で見ている以上、正しい距離感というものが本来はあるのだから。


 ただ、そんなものは敢えて無視する。そういう適切な距離感をきっとあなたは心の奥底で望んでいないのを知っているから。


 矛盾の音が、胸の奥で鳴っている。


 何も知らないふりをしながら、何も考えてないふりをしながら、君の心と身体の扉が少しずつ開いていくのを感じている。


 汗の一つ一つを、身体の隅々を丁寧に拭きながら。


 私はそっとあなたの身体に触れ続けた。


 矛盾の音が鳴っている。


 恋なんて、どうしようもないものなのに、距離を取ろうと想っていたのに。


 私は一体、何をやっているんだろう。


 朗らかに笑いながら、お気楽に調子を聞きながら。


 そんなことを考えていた。


 なんで、なんでなんだろう。


 どうして、私は。


 わからない、わからないまま。


 熱に浮かされたままのあなたの。


 背中の熱さをただ感じていた。

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