第12話 風邪に倒れた私とお気楽なあなた
頭が痛い。
思考が鈍い。
意識が遠い。
手を引かれている間、これはずっと夢だと想っていた。
きっと、そう脈絡のない都合のいい、ただの夢。
きっと、私の身体は今、会社の昼休憩か何かで浅い眠りについていて。
そんな時に見る願望にまみれた、明晰夢。
これそう、きっとそんな夢なんだと。
手を引かれて、電車に乗って、あなたの肩に熱を持った頭を預けながら。
ずっと、そう想っていた。
ガタンゴトンとなる電車の音が。
通勤ラッシュを過ぎて、比較的すいている電車内での些細な喧騒が。
通り過ぎていく街並みでさえ。
酷く滲んで、揺らいで、曖昧で。
自分自身の息の熱さと、胸のざわめきだけが感覚を覆いながら。
私は帰路についていた。
これはきっと、そんな、都合のいい、ただの夢だ。
誰かに手を引いて、連れ出してほしいと想う、そんな私のただの夢なんだ。
※
扉の音で目を覚ました。
じんわりと眼を開ける。
いつのまに眠っていたんだろう。
さっきまで、みそのさんに会社を連れ出されるそんな夢を見ていた。
今、どこにいるんだろう。格好は仕事着のままだけど、どうにも身体をくるむものが柔らかい。
あと、身体がどうしても熱っぽくて、じめっとした感覚がわきの下から足の先まで覆ってきている。
関節が動くたびに、いちいち痛んで、喉がどうしようもなく乾くから息をするのも億劫だった。
あー、これ完全にしんどい奴だ。
仕事、まだ終わってないのに。大丈夫かな。また、怒られるかな。
額に手を当てて、眩む頭を必死に支えながら、ふと周りを見回した。
「お、おきたー? お風呂とか入れそう?」
みそのさんの声がする。
まだ寝ぼけているんだろうか、いや、仕事場だからいて当然なのかな。
「熱測るかー、実は寝てる時にこっそりはかったんだけどね。38度あったよ。動けそうになったら病院行った方がいいかもねー」
みそのさんは仕事着にコートを羽織って、両手にぶら下げたビニール袋をごとんと床に下ろすと、私の枕元にぺたんとそっと座り込んだ。
……枕元?
というか、私、寝ころんでる。
うちの会社に仮眠室なんて、なかったはずだけど。
「というか、現状、把握できてる?」
「……えと……できてません」
ぼーっとした頭のまま、そう答えると、みそのさんはたははと少し困ったような笑いを浮かべた。頬をぽりぽりと掻いて、ちょっとだけ目を細めて私を見る。
「思ったより重症だったね……。さては土日からちょっと無理してたなあ……?」
無理……してたかな。わかんない。土日は正直、ある意味でずっと熱に浮かされていた感じだから、それが心の熱だったのか、物理的な熱だったのかは正直、わかんない。
「……まあ、いいや。熱は充分ありそうだし、着替えよっか。服、適当に荷物の中から楽そうなの見繕っといたから着替えよ」
そう言って、みそのさんは逆側を指さした。振り返ると確かにそこには折りたたまれた私の寝間着が置いてあった。
「寝るときの下着それであってた? ……あー、というか、身体拭いた方がいいよね、汗だくだったし。ちょっとまって、あっためたタオル持ってくるから」
あなたはそう言うと、床に置いたビニール袋を回収しながらキッチンの方に消えていった。
……キッチン。部屋。布団。枕。……私の着替え。
……ここ、みそのさんの部屋? ……会社じゃない。
じゃあ、あれは。みそのさんが私の手を引いて会社を連れ出してくれたことは。
……夢じゃなかった?
………………………………。
……………………。
…………。
……。
きっと、まだ頭が上手く回ってない。
もしかしたら、これも夢の続きかもしれない。
ある日、偶然、心が揺れる人と出会いました。
その人は、深い想いを持つ人でした。
その人に、恋を教えてもらうことになりました。
その人と、一緒に住み始めました。
その人は、私を辛い場所から助け出してくれました。
ここ数日は、一体どうなっているんだろう。
湯気の上がったタオルをもったあなたが、少し楽しげに私の傍に戻ってきた。
「ほれ、ぬぎんしゃい。おねーさんが拭いてしんぜよー」
身体が火照ってしまうのは、胸が高鳴ってしまうのは、なんでだろう。
今、この瞬間、恥ずかしくてうまく顔すら見れないのに、この関係が嬉しくたまらないのは何でだろう。
あなたはどうして、そんなに私の欲しいものばかりくれるのだろう。
まるで全部分かっているみたい。
それか、私が描いた妄想が間違って具現化したみたい。
後ろを向きながら服を脱いだ。
その衣擦れすら、耳に残る。
優しく触れた熱いタオルすら、記憶に焼き付く。
タオル越しにあなたの指が私の身体に触れている。
なんで、なんでなんだろう。
どうして、あなたは。
わからない、わからないまま。
熱に浮かされたままの私は。
背中に触れるあなたの温かさを感じていた。
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