第10話 暇を持て余す私と無理をしてたあなた―①

 いやあ今週の週末は色々あったねえ。


 忘年会明けのだらっとした雰囲気で、独り寂しく枕を濡らす土日になるかと想ったら、なんやかんやで同居人が増えている。そうやって彼女と新しい生活の準備をして休日は終わりを告げた。


 ぼんやりと景気よく伸びをしながら、私はいつも通りの時間に目を覚ます。


 仕事、開始およそ一時間半前、いつもの出勤準備の時間だ。


 軽い欠伸をして、布団の中で転がったまま身体を起こして日課のストレッチをし始める。ベッドじゃなくて床で直に寝てるから、少し感触が違うけど、おおむねいつも通りのルーティンだ。


 ストレッチを終えて欠伸をかみ殺し終わったところで、隣に寝ている寝顔に目を向けてみる。


 まだすーすーと寝息を立てている加島さんがそこにはいた。


 ……不思議なもので、私はたった二日この子といただけなのに、もう若干慣れ始めている。我ながら適応力が高いと言うか、無頓着というか。


 「加島ちゃーん、朝だよー」


 そう声をかけてみたけど、あまり起きる様子はない。朝が弱いのか、上手く眠れなかったりしたのだろうか。


 私は所在なさをちょっと持て余しながら、そろりそろりと寝室からリビングに足を伸ばした。


 急に起こさないよう、そっとドアを閉めながら。


 寝室を出るときに持ってきたスマホが軽く震える。


 まなかさんからの、メッセージだ。


 私は胸が薄く震えるのだけを感じながら。


 後ろ手にドアを閉めた時、少し呻くような声が背後から聞こえた気がした。


 私はそっと聞こえないふりをした。


 


 ※




 その日、私の部署は加島さんの部署とは、出勤時間が一時間ほどずれていた。


 だからか知らないけど、加島さんは私が家を出る直前までに目を覚ますことはなかった。


 あまりぎりぎりまで寝てるって感じの子には見えないんだけれど。


 加島さんのスマホもそろそろ起床時間だと告げているわけだけど、なんだかさっぱり起きる気がしない。


 私もしばらく声を掛けたり、肩をゆすってはみたけれど結局彼女は呻き声を上げるだけで、私が出勤する時間になって、ようやく眼を薄く開けた。


 「これ、合いカギだから。戸締りお願いね? 朝ごはんは適当に食べていいから」


 時間もギリギリだったので、寝ぼけ眼の彼女に、私はとりあえずそれだけ告げて、出勤したのだった。


 そんな感じで、若干慌てた感じで出勤した会社だったけど、残念ながらうちの部署は朝から随分と気だるげな雰囲気だった。年が明けるまでに必要な処理は前の金曜日に、死ぬ気で終わらせてしまっているので、正直後始末感が強い。


 部長に至っては、デスクでぼんやりしながら「午後から全員で大掃除でもするか……」と呟いている始末だ。


 こんなことなら、朝に加島さんの様子をもうちょっとちゃんと見てから出勤すればよかったと想いながら、私はとりあえずデータ類の整理とデスクの整理だけをしていた。


 ただそういった作業もほどほどに、終わりを迎えてなんだか否が応にもぼーっとしてしまう。まだまだ忙しくしている部署もあるので、なんとなく気が引けてそわそわと仕事がないかと探していると、同じくデスクでぼーっとしていた部長と眼があった。


 指でさっさと暗黙に指示を出されて、私は苦笑いをしながら軽くうなずいた。


 「ちょっと出てきまーす」


 「俺も、なんかわからんことあったらデスクにメモ置いといてくれー」


 うちの部は少数だから、別にそれで事足りる。というか、他のメンバーも大分やることがなくて気だるげな感じだった。一番後輩の若手に至っては、真剣な顔をしてパソコンと向き合っているが、そのわきにはしっかりとゲームが起動済みのスマホが置いてあった。うん、他部署が見たら仕事しているようにしか見えないが、同僚たちには暇なのがよくわかった。


 まあ、年末だしそんなもんでしょう。やるべき仕事はちゃんと終わってるからそしりを受けるいわれもない。ただ仕事をしている体だけは、みんなでしっかりと守っている感じだ。


 部屋を出た私たちは、それとなく自販機の近くまできて缶コーヒーを買って、他の部署の死角になる非常階段の隅でふうと息をつく。


 例のハンドサインは部長がよくやる『他の部署にバレないようにサボりに行くぞ』の合図だ。ちなみに部署内の全員がハンドサインの意味は把握してる。


 ただ、こんな部長だけど、一応仕事ができたりする。私より5歳上なだけなのに、若くて部長をやっているだけはある。


 カシュ、と缶を開けて軽くかたむけながら、どことなく息の詰まる空間から抜け出た分の息を吐く。


 部長もちょっと肩の力を抜いた感じで軽く笑いながら、適当に二人でだべりだす。


 「いやぁ、しかし。しんどいですね」


 「おん? なんでだ? 俺らはもう今年の仕事は終わってるだろ。君らも年末の反省はもう出してくれてるしな」


 「いや、なんていうか。他部署が忙しそうだから、なんか思い切ってだらっと出来ないじゃないですか」


 「ははは、まあそこは仕方ないな。隣の総務はそこらへんとびぬけてバタバタしてるから、さすがにあそこで俺らがお祭りムード出すと、反感買ってしまう」


 そう言って、遠目に隣の部屋の部署を遠目に二人で眺める。部署によって忙しい時期っていうのは、まあ会社によって違うわけだけど。私達の部署の隣の総務は年末はとびぬけて忙しそうだった。


 「というか、総務って年がら年じゅう忙しそうじゃありません?」


 「最近人が変わって、ばたばたしてるからなあ。仕事内容の割に明らかに人員不足だし……っていうか、内容が多岐にわたりすぎてて、無駄な仕事も結構多い。で、それを整理してタスクを減らせるような融通を効くやつもいないし」


 「ほへー……」


 なんだかままならんなあ、と想いながら隣の部署を眺める。非常階段の隅のガラス窓越しにしか見えないけど、少し離れたここからでも中で大声や叱責が飛んでいるのがよくわかる。やれやれ、荒れてるなあ……。


 「そういえば、あれだろ。あの子のも総務だろ……加島さんだっけか」


 「あ、そうなんですね」


 そう言われて、私はぼーっと、飲み会の時の席順を想い出してみる。そういえば、うちの隣が総務だったか。となると、そこに座ってた加島さんも総務というのは随分と自然な話だった。


 「そーそー、柴咲さんが


 口に含んでいた缶コーヒーが思いっきり気管に入った。


 えほ、おほ、と軽く胸を押さえながら、私は思わず部長を睨み返す。


 ただ、その視線は至極意外そうに私を視ていただけだった。いや、悪気なしかい。


 「あれ、違った? 仲良さそうだからてっきり、そのままいい雰囲気になったもんだとばかり想ってた」


 「忘年会は合コンじゃないんですよ……」


 「え? 一晩の過ちは? 俺、そういう恋を知らない子が突然、一夜を共にして恋に目覚める展開めっちゃ好きなんだけど」


 「部下で己の趣味の妄想すんの止めてもらっていいいですか……」


 私相手じゃなかったら、一発セクハラだぞ、この部長。まあ危うく、そうなりかけたんじゃないかと、翌日の朝に危惧していたとは口が裂けても言えないけど。というか、半分当たっていて、今同棲してるわけだし……。あれ、もしかして部長の妄想より酷いことになってるのか。


 「でも、あの子、飲み会の時、完全に柴咲さんを見る目が輝いてたけどなあ? 俺の見込み違いだったか」


 「まあ……そこはあたらずとも、遠からずだったわけですが……」


 「ほーん、つまり何かはあったと」


 「………………黙秘で」


 「その返答で大体、察しはつくけどなあ」


 「………………」


 「……つまり……こうかな……いや、ああいう展開かな」


 私が黙れば黙るほど部長はしたり顔でふふーんと私を眺めてきた。……これは、なんというか、自白しないほうがより酷い妄想をされているような気がしてきた。私は軽くため息をついて、とりあえず告げても差しさわりのない部分だけ口を開く。


 「…………数が少ない奴マイノリティ同士、理解して欲しいって気持ちがちょっとわかってあげれただけですよ」


 少しばかり顔が赤くなるのを感じながら、そうぼそっと呟いた。


 「それで充分じゃないか? それで相手がよければ惚れもするだろ」


 私の返答に上司はにやにやと笑顔を向け続けてくる、でも私の心情としてはそこまで笑える話じゃない。


 「どうでしょね……理解し欲しいって気持ちはわかっても。彼女が求める理解はきっとしてあげられないので」


 「…………ん?」


 ずずっとコーヒーをすすりながら、私も少しだけ自分の言葉に驚いた。


 でも、不思議と言葉は口の中を滑っていく。

 

 「理解して欲しいってことはわかっても、それをどう理解して欲しいかは、人それぞれで違いすぎるんですよ」


 「……ふうん」


 「例えば、大雑把に言って、私みたいなの同性愛者って10人に1人はいるそうです」


 「結構、多いなあ」


 「ですね。ちなみに、左利きも10人に1人、AB型も10人に1人。そう言えば、部長左利きでしたよね」


 「……ん? おお」


 「他にも、発達障害も10人に1人。未成年もこの国じゃあ、10人のうちたったの1人です」


 「…………そう考えると色々いるなあ。てか、未成年ってマイノリティなのかよ」


 「今のご時世、割とそうですよ。で、それぞれがこう想ってるわけです。『自分は周りにうまく理解されない、誰かに知って欲しい、解って欲しい』」


 「………………」


 「でも、多分、左利きには左利きの。同性愛者には同性愛者の。発達障害には発達障害の分かって欲しさがあるわけじゃないですか」


 「……いや、君らおんなじカテゴリじゃないの?」


 「ぜんっぜん違います。というか、仮におんなじでも、どんなふうに向き合ってなにを解って欲しいかなんて、個人によって違いすぎるんですよ」


 「……だから、加島さんとは解りあえない?」


 「というか、あの子が描く『理想の理解者』にはなってあげられないって話です。私が解るのは『解って欲しい』って気持ちだけ」


 加えて言うのなら、『理想の理解者』なんてものは大概、この世には存在しないのだ。それは言ってしまえば、夢物語の『白馬の王子様』みたいなもので。現実を知らない少女の中にしか存在しない理想像だ。まなかさんですら、私にとってそんなものではなかったように。


 いや、まなかさんは最初っから、どこまで行っても、まなかさんだったなあ。実際、そう言われたこともあったし。


 恋に溺れた私が、勝手に彼女にそういう『期待』を着せていただけの話なんだ。


 だから―――、きっと加島さんに見えている私の姿も―――、そういう理想の形なのだろう。きっと、彼女が今まで抱えていた『理想』そのものを、私に重ねてしまっている。


 別にそれ自体が悪いことじゃない、誰だって最初は陥る落とし穴なんだ。


 あの子は悪くない。……でも、夢はできたら早めに覚めた方がいいものだ。


 そうすれば、私みたいに、無駄に傷を負うこともないだろう。


 「『解って欲しい』ってそれを解ってあげれるだけで充分なような気がするけどなあ」


 私の言葉に部長は缶コーヒーをすすりながら天井を仰いでいた。


 さあ、どうでしょう……、と返しかけたところで、ガチャンと音がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る