第8話 やっちゃった私とまだ初心なあなた

 窓から差す冬の弱い朝日に誘われて、目を覚ました。


 あー、まだぼーっとするな。


 欠伸と共に思いっきり背を伸ばす。いつものベッドと違って、床に布団を敷いたから少しばかりだけど寒かった。明日からは、もうちょっと暖房を強くして寝た方がいいかもなあ。


 なんて考えながら、枕の横のスマホに手を伸ばして、時間を見る。


 朝七時。いつも通りの起床時間だねえ。我ながら、朝の目覚めだけは、しっかりしてる。


 「ううん……」


 そうしていると、ちょうど隣で軽い呻き声がした。眼を向けると、そこにはまだ眠りの中にいる加島さんがいた。


 お古の布団だから、すこしばかり寝心地が悪いのかもしれない。


 私が向こうで暮らすことも考えたら、布団新しく買いに行ってもいいのかな。


 軽く欠伸を繰り返しながら、日課のストレッチを始めようとして、少し考えてから、私は腰を上げた。


 ここでやったら、起こしちゃうかもしれないし、隣の部屋でやろう。


 何せ今日は日曜日、まだまだ惰眠をむさぼる権利は誰にだってあるはずだから。


 ただ、陽の光で自然と目が覚めるように、少しだけカーテンを開けておいた。


 それから、そっと冬の朝の寒気に震えながら部屋を出た。


 二人暮らし特有の、少しの気づかいを想い出す。


 いつか、まなかさんと暮らした日のことを。


 胸の奥と眼の奥が少しだけじんわりと滲んだ。


 この気持ちは、懐かしい、っていう名前でいいのかな。





 ※





 「布団、これでいいかな?」


 「え?」


 私が通販サイトの画面を開きながら、そう問うと、少し遅い朝食をとっていた加島さんは不思議そうに首を傾げた。


 まだ寝ぼけた感じで、どことなくぼんやりとした眼で、私が指し示したスマホの画像をぼんやりとみている。あはは、これはちょっと判断力怪しいかもね。


 「加島ちゃんが使ってる、あの布団、薄くて寒いでしょ? 新しいの買おう想って」


 「え、そこまで、してもらって……大丈夫ですよ……?」


 そう加島さんは言うけれど、まあ残念ながらその眼には若干の睡眠不足が見えるわけで。まあ、新しい環境でまだ慣れないっていうのも大きいだろうけどね。


 「あー、気にしないで。私が加島ちゃんの家に行ったときに使う用も兼ねてるから」


 「そ、そうですか。じゃあ、お金、半分出しますね?」


 「お、まじで。ただ、これでも先輩だから、おごるよ? それくらい」


 「……え……うーん、えと」


 私としては、もちろん当然、おごる気まんまんだったわけだけど。


 当の加島さんは、随分と悩んで迷っていらっしゃる。


 はてさて、何が引っかかっているのやら。


 「……?」


 「……えと、あの、じゃあ。お願い……します」


 「……うん、任された」


 少しの逡巡の末、結局、言葉は飲み込まれたようだった。


 それが何を意味するのかは、彼女にしかわからないわけだけど。


 まあ、もちろん。ある程度の想像はやろうと想えばできなくはない。それができないほど、鈍感ってわけでもないけれど。


 私は紅茶を啜りながら、んーとしばらく思考する。


 それから、昔の同棲生活を少しばかり、想いだす。まなかさんと口喧嘩が絶えなかった時、どうしてたっけ。


 「ねえ、加島ちゃん」


 「はい?」


 「外れてたらごめんだけど、今なんか言おうとしたんじゃない?」


 髪を弄りながら言葉を探す。さてはて、うまくいくといいけど。


 「え、えと……」


 加島さんはそう問われて、少し目を逸らして言い淀む。


 ……うーん、ビンゴくさい。


 これは何というか、いろんな意味で先輩として緊張をほぐしていかないといけませんなあ。


 なんて軽く笑いながら、私は話を続ける。


 「そういうのは言った方がいいよ。できたら、だけどさ。これから二週間、結構長い間過ごすんだから、言いたいことはちゃんと言お。相手を傷つけない言い方にするのは大事だけどね、それはそれとして我慢は身体によくないし」


 「あ、はい……」


 「私も言いたいことあったら言うしさー。しょーもないことでも遠慮しないでいいよー。昔の私なんて、まなかさんと一緒に住んでる時、ーーー」



 ーーーー口にしてから、しまったと想った。



 下ネタとは古今東西だれでも関わるがゆえに、扱いには注意しなければいけないものなのに。言ってしまえば、そばみたいなもんなのだ。美味しい人には美味しいけど、ダメな人はほんとに命に関わるレベルでダメなものなわけで……。



 偏見だけど加島さんは、なんか……下ネタ、ダメそう。



 思わず、口を開けたままはたと停止してしまう。



 目の前の加島さんの顔は最初はなんかぼーっとしてたけど、段々と耳まで真っ赤に染まっていく。ああ、これはやばいタイプの反応だ。



 脳内で、部長が『同姓で同棲でもセクハラはセクハラだよ?』と優しく諭してきた。知ってます、重々心得ています。だから、えーと、なんかなんとかなんないかな。



 「ーーーっていう、笑い話がある……くらいだから。ね、そこまで……言わなくていいけど、言いたいことは言ってね? ほら、私のこれに比べたら、大概のこと……言えるくない?」



 とりあえず、無理矢理、恥を背負ったいい先輩みたいな感じにしておいた。


 なってない気がする。いや、なれてねえなこれ。ただ、セクハラかました先輩だこれ。


 相変わらず、加島さんは顔を真っ赤にしたまま私を見ている。


 これはいよいよ土下座ものかなあと私が思案していると、加島さんはぼそっと口を動かした。



 「……独り……えっち」



 「……いや、なんか、ごめん。下ネタいける人かどうかも確認せずに……」



 「みそのさん、するん……ですか」



 「……あ、はい、します。割と……性欲強い方で……」



 真っ赤な顔の年下の子に、御独り様事情を聴かれている。なんだこの状況、いや大概自業自得なんだけどさ。



 「今度……えと、見学していいですか?」



 「勘弁して!!」



 ふと、加島さんの顔を見ると、顔を赤らめながらでも目がどことなく食い入るように私を見ていた。どことなく眼線もぼーっとして、危うい感じが漂ってきてる。



 「あと……私も独りでするとき、報告した方がいいですか?」



 「いや、……えと、それは……」



 いらない! と咄嗟に言おうとして、はたと思考が止まる。



 いい加減、自分で振った話なのに動揺が止まらない。眼が熱くなるし、心臓も脈打ちすぎてわけがわからない。というか、こんな話、なんでこの子も食いついてきてるんのよ。



 それはそれとして、一瞬思考が止まった理由は、加島さんと眼があってしまったから。



 可愛げのある子だった。



 少し心が弱くて儚さのある子だけど、私より小さくてかわいいのには違いない。しかもある程度、私に好意を寄せている。その事実は何も悪い気がしない。



 ただ、もしそんな子が独りで致しているときに遭遇してしまったら。



 あげく、もし仮に、私の名前なんかを呼んでいたりしたら?



 勢い余って、にならないとも限らない。



 一瞬、妄想で、半裸で致している加島さんが出てきた。えっろーーーじゃないんだよ。



 もしそんなことになったら、既成事実まっしぐらであり。この子の恋が覚めるまで待つとか言ってる場合じゃなくなるのである。まなかさんから、憐みの眼線を頂くことも請負だ。



 つまり、えーと、あれだ。独りで致すことは、知っている方が遭遇する心配は少ない……わけで。



 「………………それとなく、報告してくれると、ありがたい……かな」



 そういう結論になっちゃったのである。



 「…………あ、はい。わかりました。えと、そういう感じになったらいいますね?」



 「あ、うん。私も言うようにするわ……」



 えーと、何の話してたんだっけ。


 あ、布団の話か、想ったことは言った方がいいよって話か。


 やっぱ、想ったことも言うかどうかは選んだ方がいいかもしれんね。


 ちなみに、その夜、私はばっちり報告した。ナニをとは言わんが。

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