第2話 恋が終わった私と初めて出会ったあなた
恋には賞味期限がある。
気持ちが芽生えてから、おおよそ三年間。
脳はドーパミンを過剰に発して、判断力と客観性を失わせる。
相手の欠点も、何でもない点も、全てが美点に錯覚してしまう。相手も人間だっていうのに、要らぬ期待を背負わせる。
何より恐ろしいのがそんな自分に、疑問の一つすら抱かないこと、夢を夢だと知らぬまま溺れること。
恐れも知らず、相手に近づいて、好かれたくて、見て欲しくて、解って欲しくて。相手の気持ちも考えずに独りよがりに心をぶつける。
自分が後々、どれだけ傷つくかも考えずに、相手にどれだけの負担を強いるかすら考慮せずに。
当たって砕けて崩れ落ちて、最後にはなけなしの想いだけを抱えた私が遺った。
期間限定なのは、脳の負担が激しいのと、結局そこまで判断力が落ちたままでは生きていけないから。
そうでもしないと、この愚かさに気付く機会すらなかったから。
だから、恋はいつか終わるもの。
だというのに、燻るように残ってしまった心の宛先を失くしたまま、今日も私は生きている。
所詮、三年の恋なのに。
一生のうちで、たった三年だけ陥るそんな傷に、私は未だに捉えられていて。
あなたからの連絡が来るたびに、どこかざわめく胸を抱えていたんだ。
これは私の、たった三年ぽっちの。
恋が終わった後の物語。
※
恋なんて自分はしないって、彼女は言った。
飲み会でたまたま近くにいて、うちの部長に絡まれていた新入社員の女の子。
細身で、私より少し背丈が低くて、どことなくちんちくりんな可愛さがある、そんな子だ。
「いいんじゃない? そんな子がいてもいいよね」
私が軽く笑って、そう言うと、彼女、加島さんは、ちょっと驚いたような顔をした。
彼女とは経緯は違うけれど、私もなんとなく気持ちはわかったから。
私も、当分、恋はいいわ。
あれだけ自分がバカになる行為に、正直、耐えられる気がしない。
既婚者の女性に、愛を叫んで泣きながら自分の気持ちを訴えるような、独りよがりに酔う真似はもう勘弁こうむりたいしねえ。
今日が私の誕生日で、あの人からおめでとうのラインが来たことも、それに死ぬほど浮かれてしまったことも。その後、自己嫌悪でめでたく死にたくなったことも。まとめてゴミ箱に放り込みたい気分だし。
もう恋なんてしない。ーーーーあの歌は、結局、恋をするんだっけ。
この今日、初めて出会った後輩ちゃんも、あんな気分をしないで済むならそれでいいんじゃないかなあ。
そんな私の内心を知らない加島さんは、どこか安心したように笑みを浮かべた。うん、笑うと可愛げがあるね。
「……そう言われたの、初めてかもしれません」
「え、そう? 今のご時世に?」
私ははて、と首を傾げて、それからううむと唸り直した。私の周りは意外とそうでもないけれど、まあ、人や地域によっては、偏見未だに激しいのかも。恋愛は必須科目、みたいな。うちの親は、私のカミングアウトに鼻くそほじって自由にすれば? とか言う人たちだから、あんまり基準に考えないほうがいいかもな。
「はい、私、結構周りに、恋愛しないっていうとなんか問題あるの? 嫌なことでもあった? ってすぐ聞かれちゃったから」
「あー、なる。そうじゃないのに大変だねえ、相手も良心が空回ってる」
「そうなんですよねえ。悪気がないのはわかってるから、余計たちが悪いと言うか」
「ああいうの言われると、なんか、自分の方が悪いのかなって思いこんじゃわない?」
「あ、わかります。って、正直、今日もそんな感じでした」
「はは、気苦労だね、おつかれ。まあ、私の隣にいる間は気を遣わなくていいんじゃない。私も色々言われるから、他人にとやかく言おうって気はないし。くつろいでていいよ」
「はい、じゃあ、一杯くつろぎます」
「お、先輩の前で、いい根性してる」
「え、くつろいじゃだめでした?!」
「あはは、違う、違う。褒めてる。褒めてる。ちゃんと自分のペースを保ててる。くつろぐって言って、素直にくつろげないより、よっぽどいいよ」
「……はい! じゃあ、めいっぱいくつろぎます! お酒も飲みます!」
「私が連れて帰れる範囲にしてねー」
そんなやり取りを交わしながら、二人で飲み会の隅っこでお酒を飲んだ。
忘年会も、気付けば宴もたけなわで、これを過ぎれば、あとは仕事納めが残っているだけだから、誰もがどこか上機嫌。
そんな人々に知られぬまま、ちょっとした秘密を共有する、そんな関係をこっそり築いた楽しさに笑いながら。
出会ったばかりの私達二人は、楽しく酒を飲んでいた。
そして、うん。
※
目が覚めた時に、まず、まずいと頭の中で警鐘が鳴った。
何故なら、そこが私の家じゃなかったから。
そして見知らぬ天井の後に首を巡らせると、昨日見知ったばかりの顔が目の前に置いてあった。
おおうい、どういうことだ。
がばっと飛び起きると同時に、相手をちゃんと認識する。
後輩ちゃんだ、昨日、出会ったばかりの他部署の子。
そして何故か、そんな子と見知らぬ場所で、私は同じベッドで横になっていた。
……これは。
……もしかしなくても、……ヤッっちゃったかな、これ。
パニックになりかけた脳みそを、額に手を当てながら、必死にコントロールする。
落ち着け、落ち着け、こう見えて社会人も四年目。こんな修羅場、別に潜り慣れてはいないけれど、私だって大人の対応ができるはずだ。
そして、大人の対応のためにはとりあえず、余裕が必要だ。
逸る心臓と、二日酔いで少しぐるぐるする胃を抱えながら、軽く首を回す。
すると、近くに飲みかけの水のペットボトルがあるのを確認した。溺れながら藁にすがる想いで、ベッドから手を伸ばして一気に煽った。
冷たい液体が、確実に私の身体の真ん中を冷やして通っていく。
冬場の夜に冷やされた水は相応に身体に応えるけれど、今はその刺激が少し心地いい。
……うん、大分、落ち着いた。
……落ち着いたついでにトイレに行きたくなってきたね。
……。
………………。
…………………………。
行くか。
何はともあれ、落ち着いて考える頭を創らなきゃなのだ。
そのためには尿意は邪魔なわけでして。
確かな決意と共に、私は冷た空気の中、ベッドを出た。
暫定後輩ちゃんの家のトイレ’は随分と綺麗だった。綺麗ずきなんだなーって、ほっこりした。
そして、昨晩えらく飲んだ私の膀胱からはえらく大量の尿が排出されたのだった。お下品で失礼。
※
とりあえず、寒かったのでエアコンをつけてから、私はベッドの前にあぐらをかいてふうと息を落ち着ける。
じゃあ状況を整理しよう。
まず、私は酔ったからと言って、記憶を飛ばす女ではない。紳士淑女の皆々様には、脳みそガバガバ女と侮らないで頂きたい。
ただし、眠いと若干記憶が飛ぶきらいがある。特に寝る直前の記憶はかなり怪しいものとなる。そこにアルコールが絡まるとそれなりに記憶データはちょんぱする。
あれ、三大要素全部そろってるじゃん。やっぱり、脳みそガバガバかもしれん。
昔の同棲相手の、まなかさんの証言によれば、『みそのって寝る20分前くらいは実は意識ないんだよ』とのことだ。
つまり、寝る20分前になんかやばいことをしていると、私の記憶はないわけである。ついでにその時間、欲望のまま動く傾向もあるそうな。
やばいなあ、ヤッてそう。ヤラかしちゃってそう。頼むから理性は保っててくれよ数時間前の私。
とりあえず、想いだせる限り想いだそうと、私は考える人のポーズになってベッドの脇で佇ずみ続ける。
まず、最初に想いだしたのは忘年会の解散場面。
次の日、―――まあ要するに今日だけど―――が休みだから、二次会に行くメンバーも多かった。そこで、どうしようかってなったときに、後輩ちゃん―――加島さんと眼があったわけだ。
ジェスチャーとアイコンタクトでなんとなく抜け出すことを示し合わせた私たちは、酔いが回った上機嫌なまま加島さんの家に転がり込んだ。
忘年会の場所から近かったことと、なんだかんだ息があってしまったから。せっかくだし二人で飲みなおそうってことになった。うん、ここまでは、大丈夫、健全。
次、コンビニでチューハイやらおつまみやらを買い込んだ。加島さんはイチゴ練乳味の酒を見て目を輝かせていたっけ。うん、大丈夫、大丈夫、まずいことはない。
それから、加島さんの家にお邪魔した。
すごくらしい、女の子の部屋で。ちょっといい匂いだなあ、急に来たのに綺麗な部屋だなあって感心しながら、二人で飲み始めた。大丈夫、ちょっとだけ変なとこ出てた気がするけど、まだ大丈夫。
それから。
それから―――。
―――酔った勢いで、女の子が好きだとカミングアウトした。
あれ?
なんか雰囲気やばくない……?
大丈夫? そんなカミングアウトして。最終的に今、このベッドに行きつくの大丈夫?
ヤッテない? もしくはそれに準ずる何かをしちゃってない?
まあ、まて。慌てるにはまだ早い。ただ一緒に同衾しただけかもしれないじゃん。寒いし。
どうにか続きの記憶を想い出せ。
シャワー浴びてた。
……大丈夫かなあ。
やばいかなあ。
やばい気がしてきたなあ。
まあ、とりあえず、続き。続きよ。
……。
……。
……。
……。
そこで記憶は途切れていた。
……………………やべー。
というか、今さら、着てるものが昨日と変わっていることに気が付いた。多分、これ、加島さんのパジャマだ。下着までは取替えてないみたいだけど。なんだか……余計に嫌な予感がするなあ。
恐る恐る、自分の身体を検分する。
……。
幸いというか、特にそれっぽい形跡はない、不自然に下着が汚れていたりもしない。変な染みもない。一日使った相応の汚れだ。
そういった事象は私の身体には起きていない。
起きていない……が。
……恐ろしいのは、私が一方的にヤッちゃってる場合の話でありまして。
経験もなければ、別に女の子が好きでもない後輩ちゃん。
そんなのに酔った勢いで無理矢理迫ってたら、それはもはやただの強姦なのである。女同士だからと言って、許される所業ではない。
というか、一夜の過ちなんて、そんな漫画みたいなことしてたまるものかよ。たのむそうであってくれ。
さすがに自分がそこまで節操ないとは想ってない。いや、欲求不満とかはなくないかもしれないけど、初対面の後輩に無理矢理迫るようなひどい奴だとは信じたくはない。
でも、ちょっと危うい。
さすがにちょっと証拠が足りないし……。
とりあえず、恐る恐る、後輩ちゃんのベッドを捲る。なんとなく、起こさないようにそっとしながら。
幸いなことに、後輩ちゃんが素っ裸にひん剝かれていた……なんてことはなかった。
ジャージか何かを着込んでいるから、ちゃんとシャワーを浴びて着替えて寝たらしい。
どことなくほっとしながら、一応シーツの跡を見る。……うん、不自然に染みが残っていたりなんてこともない。
自分の指や口に、シタあと特有の液体が付着してた名残もない。乾いた涎のがびがび感とか、愛液がこすれた後の白い染みとかみたいな、あれね。
つまり、私はどうやら無罪らしい。
……よかったあ。
そこまで来て、私はようやく一息ついた。
はあ……どうやら眠る前の私はちょっとは理性的に酔っぱらってたみたいだ。突然カミングアウトして、シャワーを浴びて、パジャマを借りて、そのまま遠慮なく他人様のベッドで寝ただけで。
うん、それはそれで、お世話になりっぱなしなダメ先輩な気もするけれど、まあ、過ちを犯してしまうよりははるかにいい。
出会って二日目で操を穢してごめんなさいと渾身の土下座を晒す事態にならなくてよかった。そうして私はほっとない胸をなでおろした。
とりあえず、色々とお世話になった件で、粛々と頭を下げるだけで済みそうだ。
結局、頭は下げるんだけど、心持ちの重さが違うぜ。
はあ。しかし安心すると、少しばかりお腹が減ってきた。
といっても、家主の許可もなく食料を漁るわけにもいかない。
なので軽く加島さんの肩をゆすって、起きるように促してみる。
柔らかいパジャマの感覚を指に感じながら、小さな肩を揺らす。
幸い、寝起きは良いみたいで、加島さんは程なくして、小さな頭を揺らしながら、そっと目を覚ましてくれた。
すぴーすぴーと、可愛らしい寝息が途切れて、私をぼーっと眺めた後。
「おはようございます……」
と眠たげな声を漏らしていた。うん、とりあえず、大丈夫そう。
私は軽く笑って、「おはよう」と挨拶を返した。
ふと気づけば太陽もしっかり昇っていて部屋も明るい。
よし。ちょっとお腹だけ満たしたら、お暇しよう。
そう、頭の内で軽く方針をまとめていると。
君は、
「
そう優しい笑顔で私に告げた。
…………待って。
あれ、私、下の名前、教えたっけ?
「あ、あと、
…………………………。
なんで、私の片思い相手の名前が後輩ちゃんに……バレてんの?
おい、寝る20分前の私、何があった。
私は黙って、天を仰いだ。
後輩ちゃんは不思議そうに首を傾げてた。
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