砂をかける
aqri
砂士
「
弟子の言葉に獅陽は小さく頷き身支度を整える。弟子から小刀を受け取り屋敷を出た。弟子の椿はその小柄さに似合わない太刀を持っている。細身でも椿の強さは折り紙付きだ。
「獅陽様の読み通り、自宅にかくまっていたとか。しかし腐臭までは隠しきれず、近隣の者が気づいたようです。残念ながら……」
「その者は、もう生きていないのだな」
「はい。内臓を食われた状態で畑に転がっていたとか。もう手の施しようがありません」
「わかった。まずはその者からだ」
ひゅう、と生ぬるい風が二人の髪を揺らす。今宵は長い夜となりそうだ。馬に乗り、二人は夜道を駆けた。
陰と陽、二つの力は綱引きのように引っ張り合い、時には吸い寄せられる。この二つはどちらかが大きくても小さくてもいけない。同じ強さでなければ、世は混迷を極める。その力の大きさはほんの少し、水面に石を投げる程度の波紋でさえやがて大きな津波となる。無意識に、或いは意図的にそれらは波風が立たされる。
それらを鎮めるのは
椿が先行し畑に着くと、両腕両足を縛られ、それでもなお暴れようとする憐れな男がいた。腹の中は空っぽで何もないというのに、白目をむいて獣のように吠えている。
すぐ横には顔を真っ青にしながらも見張っている若い男と、泣き崩れている女性。椿が男の妻と息子だと説明する。
「獅陽様……」
女性は真っ赤に目を腫らして泣き続けていた。それを息子が痛ましい表情で肩を撫でている。
「辛い事だというのによく耐えて抑えておいてくれた。今、砂に返そう」
「よろしくお願いします。父は……父は畑が好きでした。ここに返してあげてください」
息子も静かに涙を流した。獅陽は頷くと袖をまくる。椿が暴れている男の肩をそっと抑えた。
「陽は陰、すべては理の中へ」
男の真上に獅陽は握りこぶしを作り、親指が上を向くように手を傾けた。すると手の中からさらさらと砂が落ちてくる。それはとても手の中には納まりきらない量だ。さらさらした砂は徐々に量が増え、暴れる男の全身を覆い始める。暴れていた男は少しずつ大人しくなり、椿も抑えていた肩を放した。獅陽の顔を見て、彼がうんと頷いたのを確認すると耳元で囁く。
「黄泉の旅路までごゆるりと、現世ではおやすみなさいませ、二度と目が覚めぬよう」
その言葉に男がぴたりと止まり、すぅっと力が抜けて静まり返った。獅陽の手からは更に砂が溢れ、女性と息子は手を合わせて別れを告げる。どうか安らかに、どうか極楽浄土へ。
砂が男をすべて覆いつくすと獅陽の手から砂が止まった。女性は顔を地面に伏せて泣いている。息子が深々と獅陽と椿に頭を下げた。
「ありがとうございました。父が死霊にならずにすみました。体はこのまま砂に、土にかえり魂は空へ上った事でしょう」
「四十九日たったら墓を作りなさい。墓は死したと明確にするために必要な物。この砂も墓を作るまでは取り除いたり触ったりしないように」
「はい。獅陽様、何故父はこんな姿になってしまったのですか」
「おそらく鬼に食われたのだろう。死人に汚されても魂はとどまったりしない。しかし死人が土に還らず鬼となった場合は、鬼の血に触れるとその力をほんの少し頂いてしまう」
「ここに来た時見ましたが、お父様の爪には血の跡が。おそらく抵抗して引っかいたのでしょう」
椿がそう言うと息子は目頭を押さえる。気の強い父だった、鬼に生きたままはらわたを食われていたというのに、抵抗して見せたのだ。その心の強さに息子は肩を震わせる。
「どうか、どうか! 父をこんな目に合わせた者を滅っしてくださいませ! 畜生の所業、断じて許せません!」
「お任せを。これから獅陽様と共に元凶を鎮めに参ります」
「貴方は母君を頼みます」
獅陽がちらりと視線を向ければ、女性はいまだ泣き崩れている。仲の良い夫婦だったのだろう。息子はもう一度深い礼をして母を連れ家に戻っていった。
「死霊ではないのですね、今回は」
「一度は死して死霊となったが誰かが手を加えて鬼となったのだろう。はらわたを喰らうのは鬼の特徴だ。しかしこの者、腹以外に傷らしい傷もない」
「……子供」
「そうだ。腹目がけて突っ込んでいったのだろう。椿、子供を鎮めるのは初めてだったな。心してかかれ」
「はい。決して良心の呵責で鎮めを迷ったり致しませぬ」
獅陽は頷くと再び馬に乗る。椿と共に死臭漂う臭いのもとへと急いだ。
向かった先はすぐ近くの竹林の中にある家だ。道らしい道はないので馬を竹林の傍に置き、二人は駆ける。すると蔦が、竹が、まるで生き物のようにうねりながら二人に襲い掛かって来た。
椿が前に出て太刀をふるう。まるで舞っているかのような無駄のない動きは的確に蔦などを切り落としていく。竹が何十本も目の前を塞いできたが、すべて一振りで斬り先へと進む。やがて見えてきたのは一軒のかやぶき屋根の家。ボロボロで今にも朽ちそうだが、ここから酷い死臭が漂う。それにこの気配、これは凄まじい陽の気配。
「これだけの死臭、一人や二人ではないな。墓場から死者を運んできたか。おそらく家に入ったら外から死霊の群れが襲い掛かるはずだ。そちらは任せる」
「承知。外が片付いたら中に参ります」
椿は一礼すると家の前に仁王立ちとなる。太刀を構え、いつでも迎え討てるようにした。獅陽はゆっくりと家の中へと入る。
中に入った瞬間外から死霊の唸り声と椿の剣をふるう音が聞こえた。聞こえる唸り声は十、二十ではない数だ。獅陽は目の前の女と子供に目を向ける。女は子供を抱きかかえながらぶつぶつと何かをつぶやき続けている。
「まさか貴女ほどの人がこのような事をするとは、高円氏」
女性は獅陽に視線を向ける。その顔は痩せこけ目の下には隈、腕や顔には痛々しい傷跡がある。
「息子か。死者をこの世に留めておくなど理に反する事はわかっていても」
「わかっていても、こうするさ。愛する息子だ、三人死んで四人目でようやく七つまで育ったのだから」
高名な砂士である高円家の当主、高円紅雀。陰と陽の調整を司る砂士なら、死である陰を弱め生である陽を強めてやれば死者をこの世に留めることができる。
理から外れた死者は死霊となり人の血を求める。そしてある程度血を吸った死霊は力を蓄え、陽の気を吸って鬼となる。鬼となったら血では足りず肉を喰らう。自分の血を与えていたが鬼となった息子は肉を求めるようになったのだ。
息子の頭には角が生え始めている。目はぼんやりとしていて虚ろだ。もはや生きていたころの息子ではない、そんなことは紅雀にもわかっている。
「お前が来ると思っていたよ。自分の弟さえ表情一つ変えず砂に返すやつだ。こんな事情を知ったところで陰陽を戻しに来るだろうと思っていた」
ゆらりと紅雀は立ち上がる。もはや彼女の力では息子を抑えておくことができない。
「さあ桃千代、ご飯だよ。残さずお食べ」
その言葉に息子はよだれをたらしながら立ち上がった。凄まじい速度で突っ込んでくるが、腹目がけて突っ込んでくるのは先ほどの事ですでにわかっている。
袖の中に入れていた小刀を勢いよくふるうと桃千代の下あごを切り落とした。体勢を崩してガクリと沈む桃千代を押さえ込もうとしたが、紅雀が両手に小太刀を持ち斬りかかって来た。剣の達人である紅雀の猛攻はすさまじく実力を考えれば小刀だけでは防ぎきれない。しかし獅陽は小刀だけで紅雀の剣を弾いていく。紅雀は己の血を与え腕に怪我を負っているのだ、体力も落ちている。
ぎいん、と音が鳴り響いた。紅雀の攻撃を防いだのは椿だった。
「お早く!」
「やめろおおおおおおおお!」
椿の声と紅雀の声がこだました。獅陽はもがいていた桃千代を抱き上げ、言葉を紡ぐ。
「黄泉に行くこと叶わず、土にかえる事叶わず。いつか赦されるその刻まで」
「桃千代おおおおお!」
「おやすみまさいませ」
ざあ、っと桃千代の体が崩れ落ちた。椿を弾き飛ばし紅雀が駆け寄る。必死にばらばらとなる体を集めようとするが触れば触るほどに細かくなってしまう。その様子を見ていた椿は驚愕の表情を浮かべた。
「砂にかえさない……?」
「陽を叩きこまれ過ぎた鬼は陰に戻すことができない。時をかけ、この世に復調させるしかない。椿、心してかかれ」
「え?」
「ここからだ、我らの為すべきは」
紅雀が咆哮を上げて頭を掻きむしった。髪がブチブチと抜け落ち血が溢れる。血の涙を流し、額から角が生えた。
「鬼!?」
「母親とはそういうものだ。子の為に鬼となる。まして息子に陽を捧げ過ぎたのだ、彼女はもう陰だ」
陰の鬼。それはこの世で最も恐れられる悪鬼だ。子を奪われた母の嘆きはどんな力の前にも勝る。びりびりと殺気が伝わり、椿の首筋にはつぅっと汗がつたった。
「ぎえええあああああ!」
椿の目には何も見えなかったが体が咄嗟に太刀を目の前にかざしていた。凄まじい力に後ろに弾き飛ばされる。紅雀が素手で切りかかり、運よく太刀があたったおかげで椿は真っ二つにならずに済んだ。太刀は刃こぼれしている。見れば紅雀は獅陽に襲い掛かるところだ。
「獅陽様!」
振りかざした紅雀の腕を獅陽は左手で掴んだ。じゅうう、と肌が焼ける嫌な音と臭いが響く。陰鬼を素手で掴むなど真っ赤に焼けた鉄鍋を掴むようなものだ。それでも獅陽は表情一つ変えず紅雀を地面に叩きつけた。暴れる紅雀を組み敷いて右手を紅雀の顔にかざす。それを見た椿ははっとして紅雀の頭の方に回り込んだ。
「陰と陽、空虚、
「世の理を持って
獅陽と椿が
獅陽の手から砂が流れ落ちる。さらさらと、少しずつ量は増していきまるで小さな滝のように砂が溢れる。椿も及ばずながら手をかざして砂を落とす。これだけの悪鬼、ほんの少しでも力になればと。
獅陽は静かに紅雀を見ながら言の葉を紡ぐ。
「二度と目覚めることも眠ることも赦されぬ者、其の名、高円紅雀也。おやすみなさいませ」
砂で覆われた紅雀はやがて動かなくなる。獅陽はしゃがみ砂を掃うとそこにあったのは紅雀の着ていた服だけだ。本来は肉体がゆっくり砂となり土とかえるはずなのだが肉体は勿論骨もなかった。
「これは……」
「もはや生きているのが不思議なくらい衰弱していたのだろう。理を反した者はかえることは許されず。ただ
ざあ、っと窓から風が入り砂はあっという間に散っていく。風に乗って砂は窓の外へと散っていった。残ったのは服のみ。
「椿」
「はい」
「死者は無となるか、深い眠りにつくかだ。本来であれば眠りにつき、次の生への旅支度をせねばならぬ。それを無理やり起こし、現世に留めるのは誰の為でもない。それはあってはならぬこと」
「はい……」
獅陽の言葉の重みはよくわかっている。獅陽自身と椿はそれを嫌というほど知っているのだ。
「俺は消えたくないと泣き叫ぶ弟を砂へとかえし、お前は何者かが陽をあふれさせた影響で村人全員の生死が崩れ、両親も姉夫婦も幼馴染もすべて己の手で切り捨てるしかなかった。それは忘れることなどできぬし、忘れてはならぬ。正義でも罪滅ぼしでもない。我ら砂士は為さねばらなぬのだ、死した者達が今度こそ憂いのない生を歩めるよう、穏やかな現世に生まれ直してこれるように」
「……。はい、肝に銘じております。そしていつか、何故俺だけが死してなお現世にとどまり続け砂とかえることが叶わぬのかを突き止めてみせます」
椿は一度死んでいる。家族を、愛しい人を、村人たちを手にかけたあと自害しようとした。しかし死ぬことができなかった。死霊にも鬼にもならず、生きている時と変わらないままだ、年もとらない。椿は何故か砂にかえることができないのだ。陽が溢れた、何者かの手によって強制的に溢れさせられた村。そこに居た為何らかの影響が出ていると思うが、それが何なのかはわかっていない。
「すまぬな、駆けつけた時はすでに遅く、今もお前を救うことができず」
「いいえ。ゆるりと探して参りましょう。俺の村に陽を暴走させたのが何者なのかを突き止め、俺がいつか眠る時はお願いいたします」
「約束する」
二人は頷きあい、家を出た。
死は終わりではない。次の生まで眠り心を休めているだけだ。それを荒らすのはいつも生者の傲慢で悲しい、人であるが故の業のみ。
おやすみなさい。その言葉には、願いが込められている。
次の生まで、どうか、どうか。
心穏やかにおやすみなさいませ、と。
END
砂をかける aqri @rala37564
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