the final part
1 Saori, and one other person
浩二がエレベーターから降りると、4階のフロアーはひっそりと静まりかえっている。目的の404号室の前に立ち古い鉄製のドアを叩くと、薄い鉄板で出来たそれは鐘のように響いた。
「どうぞ、…」の声とともに、内側から開かれた。女は、やはり沙織であった。
雪の降る民家で見た沙織よりも幾分現代的な印象であるが、美しさは変わらない。
「やはり、沙織さんだったのですね・・・」浩二は、独り言のように呟いた。
「……、いえ私は、沙織ではありませんわ…」
「えっ、それはどういう意味で、おっしゃっているのですか?」
「私は、姉の詩織です…。妹の沙織とは、二卵性の姉妹なのです。ですから、他人から見ると顔つきや骨格は似ていますけど、性格は少し違うところがありまして……」
詩織は、衝撃的な事実を浩二に話したのだ。
「と、いう事は、あなたが私に会った覚えがないというのは事実なのですね?」
「ええ、確かにそうなのですから…」
「では、僕が五泉で会ったのは、あなたではなく沙織さんだったと・・・」
「ええ、お恥ずかしい話ですが…、私はこれから真実をお伝えしようと思っているのです。あなたのために。残された時間は、もうそれほどないでしょうから……」
「それは、どういう意味なんです?」
「私の話を聞いていただけますか……」
詩織は、何かを決意したような真剣な表情で話し始めた。
「実は、先月もあなたと同じように、私を訪ねて来た男の人がいたのです。今のあなたと雰囲気がとても似ていらして…、もう少し若い方でしたけれど………。
その方は、よほど五泉で会った沙織が忘れないのか、私を沙織だと思い込み執拗に私をつけ回し始めたのです。お付き合いをお断りすると、何時間もお店の前で待つようになって行きました。今でいう、ストーカーでしょうか?」
「・・・、警察には行かれたのですか?」 浩二は聞いた。
「それが…、警察に相談をしようと思っていた矢先、突然その男性が亡くなってしまったのです。表参道の交差点で…、原因は左折するダンプカーの後輪に巻き込まれてという事でした。私がお話したかったのは、この事故が起きてしまった原因なのです」
「事故は分かりましたが、それがどうして私と繋がるのですか?」
浩二には、まだ詩織の伝えたいことの本題が見えていなかった。
「自惚れではありませんが、笹本さんは、私に会ってどういう感情を抱きましたかしら? ……、正直に言って下さって結構ですから」
「・・・失礼だとは思いますが、私には、あなたが綺麗な人であること以上の特別な感情はありません。ただ、沙織さんであれば、お世話になったお礼をお伝えしたかったという事だけでして・・・」
「それを伺って、少し安心しましたわ」 詩織は、安堵の表情を見せたのだ。
しかし、浩二にはまだ納得がいかなかった。仮に、浩二が詩織に興味を持ったとしたなら、どうなっていたのだろうか?・・・。また、嫉妬心から1人の男が殺されることになるとでも・・・。
「話は変わりますが・・・、沙織さんは、東京から来ていて『ポゼッション』というショップを経営しているとわたしに話してくれたのですが・・・、今となっても、まだ、そのような事をわざわざ私に言ったその訳が分からないのです」
「そうですか……、沙織がそんなことを…。この店を作ったのは間違いなく私なのです。
高校を卒業と同時に、ある有名メーカーのショップ店員として5年間働いた後、
日本独自のファッションである『ゴスロリ』を今の若者たちに届けたいと思ったからなのです。私の心の中には幼いころから西洋の『ロココ』や『ゴシック』的なものに対するあこがれがあったのです。それがなぜなのか、私にも理由は分かりませんが……。
でも、妹の沙織の方が、もっとこの傾向が強いらしくて、最近では私の代わりに、この店を経営して大きくしていきたいと言い出すようになって来たのです。きっと、自分の将来の夢を笹本さんに話したのだと思います」
「そういうことでしたか、少しは分かる気はしますが・・・」
浩二は、都会に出て成功した姉に対する妹の心の葛藤を見た気がしたのだ。
「笹本さん、『ポゼッション』の意味をご存じですか?」
「いえ、英語のようですが・・・、意味のほうは・・・」
「悪魔が取りつくという、意味らしいのです。沙織が考えてくれたのですけれど…」
「考えてみると、少し意味深な店名ですね」
「笹本さん……、あなたは、あの家で沙織に取りつかれたのですよ。これは強く愛されたという意味ですけれど……。沙織は、恋に恋するようなところが若いころからありましたから。それが最近は、もっと顕著になってしまっていて……」
「詩織さん、実は・・・、僕は沙織さんに関する噂を聞いていまして、そして不幸にも、ご両親のこともです」
「……そうでしたか? では、全てをお話するしかありませんね。笹本さんは、霊の存在を信じる方ですか? また、人より霊感が強いとか…」
「特に意識したことはありませんが・・・、亡くなった両親や親しい人が、自分を見守っていてくれていると思うことは良くありますよ。だから、人の死を受け入れることも出来ますし、残された人間が強く生きて行こうとする力を与えてもらえる気がするのです」
「笹本さん、あなたはご自分では気付いていないのでしょうが、霊感の強い方だと思いますよ。あの家で沙織に会ったのですから……」
「詩織さん、あなたは沙織さんが亡くなっていることを前提に話をされている」
「そうです。世間の噂の通り、三年前には自らの命を絶っているのですから……。
沙織は、人生で始めて愛したとも言える最愛の人から使用済みのごみのように捨てられたのです。よほど無念だったのでしょう。その悔しさは、恋愛経験の少ない私にも分かるのです。どれほど、その男を殺したかった事か………」
詩織は、自分のことのように苦しさを滲ませている。美しかった詩織の顔面が醜く歪んで行った。
「沙織が霊になってからは、邪悪なほどに自分が一番愛されて当然だと思うようになって行ったのでしょう。これは、沙織が生来持っていた性格が、歪んだ形で増長したと考えれば全く理解できない事ではないと思えるのです。 結局今回、沙織は笹本さんの愛を試したのです。私に引き合わせることで、その沙織に対する愛が本物であるかをです……。笹本さんは、私に何の興味を持たなかった。今頃、沙織は喜んでいるでしょうね」
「でも、僕は沙織さんに一度でも、愛の告白はしていないのです。それなのに、なぜ私が沙織さんを愛していると・・・・・・、」
「それは……、ご自分の…心に……、ああ、もう無理だわ……これ以上……、」
明らかに穏かだった詩織の目に妖しさが灯った。
「どういう意味で言っているのですか? 詩織さんには知り得ないことのはずです」 浩二の脳裏には、あの晩のおんなとの狂おしいほどの絡みが鮮明に蘇っていた。
「あれは、まさに夢だったんだ! 何も、愛を知った上での昇華じゃないんだ!」
浩二は、言い切った。
顔を真っ赤にした詩織の目が怨念に揺れている。邪気と言っていいほどの妖気が立ち上がった。美しかったはずの詩織の顔が、陽炎のように醜く揺らいでいる。
すでに、詩織である必要もなくなっているのだ。沙織がその正体を現した。
「お前も沙織を、あの男と同じように弄んだ!卑怯にも女がいることを隠して‼」
すでに、涼やかな声は失われ、ひび割れた鐘のように歪んで聴こえる。
浩二は、状況が読めたのだ。そして、それは確信に変わって行った。
「私の目の前にいるのは、間違いなく霊である沙織さんですね。それも邪気を持った。もし、誤解を与えてしまったなら、謝るしかありません。男は、沙織さんが考えている以上に本能的で、自分に都合よく解釈をしてしまう弱い生き物なんです。決してあなたを傷つける気持ちはなかったんだ。ただ夢の中での出来事だと思っていた・・・。これでも聞き入れてもらえないなら、はっきり言う。 私には、大事な人がいるんだ。この人と、これからの人生を一緒に歩いて行きたいんだ。何があってもね。」
「…………、………、」
浩二の言葉に真実を悟ると、陽炎が黒い影へと転生を始めた。
「詩織さんは何処にいるんです⁉・・・・・・。」 浩二の声は、悲痛な叫びとなって、沙織を追いかけていた。
2 花言葉
浩二は部屋を飛び出すと、佳世の携帯に連絡を取った。昨日と同じように着信音はするが出る様子はない。浩二は、路上に停めてあったレンジローバーに乗りこむと、佳世の住む『代々木レジデンス』に向かった。10分もかからない距離である。
玄関扉の横にあるインタフォンを押すが応答がない。合鍵を持っていたことが幸いした。浩二が不安な気持ちを抱きながら部屋に入ると、佳世は、ベッドの上で意識のない状態で横たわっていたのだ。
「佳世、大丈夫か?・・・」ありきたりの言葉しか頭に浮かんでこない。
佳世が表参道にある『青山クリニック』に搬送されたのは、30分後のことであった。点滴がきいたのか、一時間も経つと、少しは会話の出来るほどに回復をした。
「佳世何があったんだ? 話せるなら、話してごらん・・・」 浩二は、佳世を落ち着かせるために優しく聞いた。自分に関わっている可能性もあったのだ。
「それが…、帰りに駅前のスーパーに寄ったんだけど、マンションに帰ったら買った覚えのない小さな水のボトルが入っていてね…、『どっぱらの清水』って、書いてあったかな…。珍しい名前だから憶えているけど。口が開いてなかったし、のどが渇いていたこともあって、一口だけ飲んだの…そうしたら急に意識が薄れて行って……」
「このくらいで済んで良かったよ。他には、おかしなことはなかったか?」
「…そういえば、呼び出し音は聞こえるけど、浩二への携帯に繋がらなかったり…、とにかく浩二が新潟から帰って来てから、変な事ばかり起きるのよ。これって、何か浩二と関係があることなの?」
「ああ、ないとも言えないな。思い当たることは一つある。明日、もう一度五泉に行って来るつもりだ。佳世は、ここで二三日避難していてくれないか? 病院内には、教会もあることだし、何かの役には立つかも知れないからな・・・。
・・・愛してるよ、佳世。・・・誰よりも・・・」
「何か変だよ。浩二。一生のお別れみたいだもの……、」
「いや、気にするな。俺が何とかするから・・・」
*
翌日早朝、浩二は、関越自動車道を使って五泉市に向かうルートをとった。幸い前回のように、浩二の行く手を阻むような事故は起きていないようである。
東京外環道から大泉ICを経て、関越に入ると三条燕ICで降り一般国道をいくつか繋いでいく。五泉の後藤家には、昼前に着くことが出来た。
同じく三月の中旬ではあったが、明るい日差しが庭に降り注いでいる。ここが、雪の降りしきる中、やっとの思いで辿り着いた民家とは到底思えないのであった。
庭から見る限り、小さな民家はあの時の佇まいのままであるかのように見える。
庭先の小さな花壇に、いくつかの美しい花々が植えられており、ここだけは主人のいない寂しさを思わせるものは何も無かった。
最初に目に入ったのは、『ムスカリ』である。茎先についている真っ青な粒粒が
穏かな日差しの中、春風に揺れている。花言葉は、『失意』であったであろうか。
隣に目をやると、星の形をした白い花『ハナニラ』であった。花言葉は、たしか『悲しい別れ』のはずである。
どういう気持ちで、植えられたものであろうか・・・。きっと、花言葉の意味も知らずに、姉妹の楽しい日々の生活の中で植えられたものであったに違いない。
今となっては、全てが憶測にすぎないことではあるが、浩二の重い心が少しは軽くなったように感じていた。
玄関には鍵がかかっていない。浩二が戸を閉めたあの時のままである。
靴を脱ぎ居間に入ると、靴下が埃をふき取ったかのように白く染まる。沙織と二人してお茶を飲んだテーブルだけが、埃を払われ美しく存在している。
浩二は、襖を開けると客間に入った。布団は、浩二が片付けたあの時のままで部屋の隅に寄せられていた。あれから特に変わった様子もない。 その時、浩二の目に映ったものがあった。部屋の中心に横たわっている染みである。
前回訪れた時には、気が付かなかったのか、記憶にないことである。
静かな時間が流れて行った・・・・・・。
「詩織さん、僕が今日ここに来た理由はお分かりですよね・・・」
浩二は、心の中で詩織に向かって語り掛けていた。
冷え切っていた部屋の空気が、春の日差しに温められたように少しずつ緩んで行くようだ。詩織の声が聴こえた気がした。
浩二は、複数の魂によって自分が選ばれた人間であることを確信したのだ。浩二は、畳の上で膝を折ると詫びていた。
「あの時に、気付くべきでした。・・・詩織さん、あなたはここにいたのですね」
浩二が居間の畳の下に向かって声を掛けると、部屋の空気がわずかに揺れたような気がしたのだ。そして今日ここに来た目的を、誠意をもって伝えたのであった。 「いま、そこから出してあげますからね」
浩二が、五泉警察署に連絡を入れると、最初に『村松交番』から、慌てた様子の若い巡査が自転車をこぎながらやって来た。
「あなたですか? 110番をくれたのは?」
「ええ、私です・・・」
「どこですか? 現場は?」
若い警官が、ずかずかと居間に入ろうとしたが、浩二は止めたのである。
「鑑識が来るまで、待った方が良いと思いますが・・・」
「はあ、そうですね。・・・この家はこの間も両親が亡くなったばかりで・・・、娘さんのことでは随分ご苦労をされてたみたいで、何とも呪われた家ですね~」
浩二の予想のとおり、床下から女性の遺体が発見されると、第一通報者という事で、浩二は五泉警察で事情を聞かれることとなった。
「笹本さん、あなたよくあの居間に女性が遺棄されていることが分かりましたね。それもわざわざ東京から来てまで・・・」
五泉警察捜査第一課長今泉健太郎の当然だと言える質問であった。
「それが、詩織さんが経営されている従業員さんとたまたま知り合いでして、社長がしばらく会社に顔を出していないので、心配をしていると相談を受けまして・・・、
確信があった訳ではなくて・・・、性格的におせっかいなものですから・・・」
「まあ、そういうことにしておきましょう。どう考えてもあなたは関係がなさそうですからね」今泉課長は、田舎の刑事らしく大らかな人間であるようだ。
結局以前から、噂の絶えない家であり、両親が関わったと推測されたのである。
そして、鑑識によると、詳しい確定はDNA鑑定に譲るとしても、後藤詩織で間違いないと判断がされていた。着ていた服は、西洋の古いドレス風という事であったが、田舎の警察には、それが『ゴスロリ』と呼ばれる日本のファッションであることは知る由もなかったのである。 床下であることから遺棄であることは確定的であった。しかし、被疑者死亡のため深く言及されることもなく捜査は終わりを迎えそうであった。
しかし、刑事の思いがけない言葉に触発されたかのように、浩二の心には、新たな疑問が浮かび上がって来たのである。
「後藤さんちは、一人娘でしたから、娘の死を受け入れることが出来なかったのでしょうな。それで、あんな居間の下に隠すようなことを・・・」
「刑事さん、いまなんて言いました? 一人娘ですって? そんな、馬鹿な!」
「いいや、後藤さんちは、昔から親子三人でそれは仲良う暮らしておりましたよ。私は、詩織ちゃんを小さいころから良く知っておりますが、お爺さんが白露の人だったらしく、それは綺麗で優しい少女だった。でも、高校を卒業して東京に行って何年か経ってから、村に帰って来た時に会ったのですが、私にはすっかり性格が変わってしまったように感じられて・・・、でも、所詮は他人事ですから・・・いらぬおせっかいだと思いましてね。しだいに触らぬ神に何とかという風に、世間の目も変わって行ったのですよ」
「ある意味、何かを原因として人格が変わってしまったと・・・、」
浩二には、ここにすべての秘密が隠されているように感じられたのである。
「ええ、ああ言うのを二重人格とでもいうのですかね・・・、私には、良くは分かりませんが・・・」
刑事は、しみじみと語っていた。
「一課長、こんなものが服の中から出て来たのですが・・・」
鑑識の一人が慌てた様子で茶の封筒に入っていた数枚の手紙を持ってきた。
今泉が、一通り目を通すと浩二にも見せた。
「笹本さん、これはあなたに宛てられた手紙らしい・・・」
浩二は、今泉課長から受け取ると、染みだらけの手紙を読み始めた。
3 母としての後悔と告白
【 詩織を見つけて頂いたあなた様へ
後藤カーシャ・香織
最初に、私の生い立ちから話すことにします。そうでないと、なぜあのような娘が生まれたのかという説明がつかないからなのです。
自分が他の女の子たちと明らかに違うと気が付いたのは、私が小学校も高学年になってからの時でした。顔の白さを別にしても、成長するにつれ容姿が全く他の女友達と違って来たのです。鏡を見ると、私の目は黒目の中にも青い色が混ざっているように見えました。物心ついた時には、すでに父親はなくそれも疑問でありました。
私が、中学に上がると同時に母は、決心をしたのでしょうか。私の出生の秘密を初めて話してくれたのです。それは、思春期であった私の心に、大きな衝撃を与えるものでした。
寺泊生まれの母真知子は、高校を卒業すると当然のように、町の唯一の産業である魚市場に勤めることになりました。数年も経った頃でしょうか。当時はソビエトと言っていましたが、ロシアからの魚業関係者が数多く出入りしており、母は、その中の一人の青年に恋をしたのです。彼らの祖先は、ロシア革命によってウクライナから中国に亡命した帝政派の軍人でいわゆる白系ロシア人と呼ばれる人々でした。
そして、戦後になって、日本とソビエトとの魚業を中心とした経済活動が始まると、彼らは日本海沿岸の漁港に活動拠点を置き、その中の一つが寺泊港であり、そこで働いていたロシア人の一人が私の父、セルゲイだったという事なのです。
セルゲイの帰国があと半年に迫っている時でした。でも若い二人です。将来のことは考えもせず、今を生きることに懸命になっていたのです。毎日のように愛し合ったそうです。そして、母の妊娠が分かった時には、二人が離れ離れになる運命にあったのでした。セルゲイには、日本に残る選択肢はなかったのだそうです。
母は、周囲の反対にも関わらず、二人の愛の結晶として産むことを決心しました。
必ず迎えに来るからという、セルゲイの言葉など、誰も信じる人間なんていません。それは、占領された沖縄を見ても分かることでした。でも、母は、待ち続けることを選んだのです。そして、帰国の前日セルゲイは、母を抱きながら言ったそうです。
「真知子さん、もし女の子が生まれたら『サーシャ』、男の子なら『イヴァン』て、名前を付けておいてくれないかな。きっと、3歳になる前には迎えに来るから」
そして、半年後に生まれたのが私だったのです。名前は約束の通り、『サーシャ・香織』と、付けられました。
周りの人たちの想像通り、母の前にその男は、二度と姿を現しませんでした。私が6歳になると、母は、逃げるように故郷を離れ、そして住み着いたのがこの五泉という小さな村だったのです。母は、村の男達の口説きに応えることもなく、生涯独身をとうしました。ほんとうに静かな二人だけの暮らしだったのです。でも、どんなに母が私を育てるために苦労をしたことかは、想像に難くは無いことなのです。
私が17歳になると同時に母の重い病気が分かりました。余命はわずか半年です。
私の将来を憂いた母は、ある男性との結婚を私に勧めて来たのです。
一度結婚をした経験はある人でしたが、私も彼のことが気に入り18歳で結婚を決めたのです。母は、安心したのか、3カ月後に亡くなってしまいました。
そして、2年後には女の子が生まれたのです。その子に詩織と名付けました。
詩織は、性格が私に似たのか幼い頃から穏かな優しい子でした。幼い頃の容姿は風土になじみ間違いなく日本人的でありながらも、成長するにつれて西洋的な美しさが加わると別格のものとなって行ったのです。母親が言うのもおかしな話ですが。
詩織が、高校を卒業と同時に東京に出て働きたいと言ってきた時には、夫とともに大いに喜んだものです。田舎町で美しさを隠してひっそりと暮らすより、都会であれば人目を気にせずもっと楽しい人生を送れるはずだと。詩織は、私達の期待通りだったのです。本来持っていた才能が開花したのです。自分の店を持つまでになったのですから・・・。
変化が起きたのが、3年程前からのことでした。帰って来る度に、性格が変わっているのです。まるで、何かに取りつかれ妖気に支配されているようだったのです。
今までと変わらない詩織が何日か続くと、嫉妬心が強く独占的な詩織の登場でした。原因を探るために、私達は、比較的穏やかな詩織の時に、原因となりそうな話を聞き出したのです。
私には、良く分からないのですが…、デザインの参考のために、パリの蚤の市で有名な『モントルイユ』にある骨董店に行っては、古いドレスを買ってくるという事でした。私達母娘には、西洋の血が流れているのです。これは、否定のしようもない事実なのですから。詩織が、西洋の古いものに魅かれるのも十分わかるのです。
そんなある日、突然私たちの目の前に、別人格が現れたのです。 それが、沙織でした。
しだいに、沙織である時間が長くなっていくと、沙織は隣町の三条市に働きに行くと言い出したのです。その目的は、男達に自分の美貌に関心を持たせることなのです。
この感覚は、母の生き様を見て来た私の心の中にも、巣くっていることは分かっていました。そっと、男の帰りを待つだけが女の生き方でないことをです。
私は霊気を感じることが人一倍強いことを、母の死後知る事になりました。それは、今でも母と当たり前のように会話が出来るのですから……。当然、それを詩織が受け継いでいたとしても何の不思議もない事なのです。きっと詩織がヨーロッパに行って古いドレスを捜しているうちに、ドレスに巣くっていた邪気に、取りつかれてしまったのでしょう。本来西洋では、人間が着た古いものは、燃やされるか屋根裏の丈夫な箱の中に仕舞われていたものなのです。時代が変わったのでしょう。
いわゆる『パンドラの箱』を開けてしまったのです。
沙織が、何の問題も起こさず働いていた時期には、本当に安堵していたものです。
しかし、そんな願いも長くは続かなかった。新聞にこの地方での若い男の不審な事故死がのるようになったのです。 それが、沙織であることは明らかでした。
問題はそれだけで終わらなかった。沙織は、いつの間にか詩織自身を演じることが出来るようになって行ったのです。詩織の本来の優しさが、男を狩るための道具として沙織に使われるようになった……。
私たちは、相談をして沙織の邪気を奪うには、宿り主である詩織の死でしかないと結論を出したのです。悲しい選択でした。でも、もともと私が生み出した怪物なのです。責任は私が取るしかなかったのです。 夫は一人残されることを嫌い、私と同じ行動を取ると言ってくれました。この人と結婚出来て幸せだったと、心から思えた時でした。私たちがどのようにして詩織の生を奪ったのか、あえてここに書き残すことはしたくはないのです。それが、本質ではありませんから…………。 私達は、詩織の死を確認すると、あの子の好きだったドレスを着せてあげました。
詩織は、ヨーロッパの貴族を思わせる優雅さで横たわっています。そして、邪気が抜けたかのような微笑みを浮かべてくれたのです。私たちを、これで良かったのだと思わせる瞬間でした。
詩織のこの世での命が、28年であったことを考えると可哀そうだと、あなたは思っているのでしょうね。でも、詩織が自分の一生を懸命に生きたと考えれば、そこに
寿命の長さは問題にならなくなるのです。かえって私たちは、また綺麗な、そして永遠の命を持った詩織に会える楽しみがあるのですから………。
考えてみれば私達もすでに、沙織の邪気の犠牲者になっていたのかも知れませんね。すべては、沙織の思い通りであったと………。
あなたがこうして、この手紙を読んでいるという事は、沙織の妖気が一度はあなたに取りついたのでしょう。沙織の妖気に惑わされない解決方法が一つだけあるのです。
それは、残りの人生、ただ一人の人を一生愛し続けることでしょうか・・・。
『 Continue to love one person for the rest of your life 』
長くなって、しまいました。
どうぞ、お元気で・・・。 】
epilogue
あれから平穏な日々が二年ほど続いている。すでに、事件の記憶も薄れ始めていた。佳世のブランドも安定をし、時間的余裕も生まれつつあった。
「ねえ、浩二さん、そろそろ私達結婚しない? 子供のこと考えたら、早い方が良いかも知れないわ」
「佳世その言葉を、俺は待ってたんだ。この秋にでもどうかな?」
「はい、お受けします! 」
浩二と佳世が、手を繋ぎ表参道を原宿に向かって歩いている。すでに、婚約はしているのである。今は、人目を気にせず歩くことが出来ることを実感している。
春風が優しく舞うと、何処からか『ムスカリ』の青い粒が佳世の髪に絡んで来た。
「なに? この青い粒つぶ……、なんか気持ち悪いんだけど……」
「えっ、どうしたんだ?」浩二は、どこかで見たようだと思いながらも払ってやる。
10m程前から、まだ赤子と呼べる可愛い女の子をベビーカーに乗せた若く美しい女性が歩いて来る。浩二に気付いたのか、白い顔に笑みがこぼれた。
すれ違いざま、佳世が声を上げる。
「なんて可愛い女の子なの! 私も早く欲しいくらいだわ……」
そして、女が小さな女の子に向かって何かを囁いている。
「良かったわね、詩織ちゃん。やっとパパに会えて……」
その声は、浩二の耳だけに聴こえていたのだ。
突然、冷たい風が浩二の鼻腔の奥に突き刺さって来た。
「うッ・・・冬の匂いだ・・・、」大脳が覚えていた。
浩二は、再びあの日の朝が繰り返される予感に怯えながら、おんなの後ろ姿をいつまでも追っていた・・・。
C`est fini .
『Bewitched Women 』 by Kotarou Sasaoka
あとがき
だいぶ悩んで書き上げました。死の描写を書き込まないというのが耕太郎の信条でしたから。人間が作り出したとはいえ、霊とか妖気の存在を信じることは、人間に豊かな精神性をもたらす意味では、確かであると思うのです。
ただ、その部分を同じく書き込むと、単にオカルトになったりして、読み手の想像におまかせする趣旨からまた離れてしまうような。
後半は、いつもの探偵物語風になっていたりして・・・。汗
一つだけ学べるものがありましたよ。
残りの人生、一人の人を愛し続けることですか・・・。
う~ん、難しそう。耕太郎、自分で書きながら自信ありませんが・・・、W汗
貴重な時間を使って頂き、ありがとうございました。
雪月花~冬の匂いの記憶 笹岡耕太郎 @G-BOY
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