第44話 言葉の重さ
結婚。その言葉の意味を大学生になって、知らないわけがなかった。だからこそ、言葉にする時は気をつけないといけない。
気をつけないといけなかったのに……。
「紅葉と結婚したら、毎日が幸せなんだろうな……」
などと口走ってしまっていた。
当然、通話はまだ続いている。しかも、ビデオ通話だ。相手の表情まで丸わかりだ。そう、悠の「何言ってんだお前」と言わんばかりの表情も、その奥にいる紅葉先輩の赤面した表情も。
……え? 赤面……?? なんで!?
俺は予想外の先輩の反応に、驚かずにはいられなかった。そして、それは先輩の言葉にも言えた事。
『あ、あの孝志くん……? そ、その急にどうしたの? そ、その……結婚だなんて……っ』
「いや、あの、急にってマジで言ってます? 同棲しようかって話になった時にノリノリで『いっその事結婚しちゃう?』って先輩言ってましたよね?」
『それはその……その場のノリと言いますか……。いや、アレよ? 結婚したいって想いはノリとかじゃないけど、場を和ませる為っていうか……』
「先輩のあの言葉があったから俺はこんなに真剣になってるんですけど」
『ぅぅぅ……っ!』
なんと言う事だろうか。普段の先輩からは信じられないくらいの動揺が声から聞いて取れた。によによと頬を緩ませながら揶揄ってくる先輩の動揺し切った声がスピーカーを通して部屋中に響き渡る。今にも泣きそうな、駄々っ子のような可愛らしい恋人の声が。
別に、先輩の動揺した声を聞くのは今回が初めてでは無い。何度も反撃しては動揺している先輩は何度も見て来ている。その度に返り討ちにあっているけれども。
しかし、今回はいつもの動揺とは違う。反撃される気配がないどころか、完全に負けを認めてしまっている。まるで───先輩に揶揄われ続けて諦めた時の俺のように。
つまりは、そう言う事なのだろうか……?
不思議と胸が高まってしまう。『結婚』と口走ってしまった時以上に緊張感が増す。紅葉先輩と、もっと深い関係になりたいと思ったことは何度もあった。それこそ、今日みたいに先輩が誰かと遊んでいる時とか。たとえそれが、悠であっても変わらない。
俺は、先輩の事が好きなのだ。それこそ、『結婚』と口にしてしまうくらいに。
だから───
「先輩、結婚しましょう」
今度は意識的に今の気持ちを先輩にぶつける事にした。
きっと俺の想いは先輩に届いているのだろう。そうでなければ、今の状況は起こりえないのだから。そう、こんな風に……。
『あぅぅぅ……っっ!』
『すごい。さっきまでスムーズに動いてた手先が、見事なまでにガタガタだわ』
『し、仕方ないじゃない……! だって、孝志くんがカッコ良すぎるんだもの……っっっ!』
『いや、それにしてもさっきまで綺麗に切れてた大根が見事にズタズタになってますけど』
『あ、それは大丈夫よ。どうせ後で煮るから』
『そこは冷静なんですね……』
『あぁぁっ!!? 砂糖と塩間違えたぁぁ!!!』
『典型的なミスまで……』
『だ、大丈夫よっ!入れたのは少しだけだから影響も少ないはず……! それに後はメインのお魚を入れて、こうやって弱火で煮るだけ……』
『先輩、それ強火です』
『はぅ……ッッッ!!?』
…………これはちょっと聞いてられない。初めの手元が少し狂うくらいなら求めていた先輩のドジで済んだのだけれども、流石に調味料を間違えたり火の強弱を間違えるレベルにまでなるとは想像もしてなかった。いや、そんなポンコツな先輩も好きなのだけれども。
それにしたって、ポンコツにも程がある。なんというか……俺がいたら先輩をダメにしてしまう気がしてきた。もちろん、先輩を誰かに譲る気なんてないし、ポンコツな先輩を愛しているに変わりはない。
変わりはないけれど、このままでいいとも思えなかった。そう、考えていたら俺が口にする言葉は決まっていた。
「あ、あの、先輩……。返事は後でいいですから……。先輩が返事したくなった時でいいので……」
返事の先延ばし。
きっと、今すぐにでも返事をしなきゃと思っているからこそ慌てふためいているのかも知れない。違ってたなら違ってたでいい。どちらにせよ、俺も先輩も一度距離を置かないといけないと思ってしまった。
そうでなければ、二人揃ってダメになってしまう気がしたから……。
『……いいの?』
「もちろんですよ。そう急かすモノじゃないでしょ、告白の返事って」
俺の言葉に、安堵を覚えたのか。先輩の声に落ち着きが戻っていた。まだ若干上ずっているものの、ポンコツやらかしていた時より数段マシな声。そんな先輩の声に、俺も安堵を覚えずにはいられない。
けれど、やはりもう、限界だった。
「なので、すみません。通話もう切っていいですか? ちょっと、これ以上先輩の姿見てるとまた変な事言っちゃそうなので……」
先輩が愛おしくて愛おしくて、また先輩をおかしくさせてしまいそうな気がする。それだけは避けたかった俺は、楽しい時間を終わらせる決断をした。
『そ、そう? それなら仕方ないよね……っ! な、なんかごめんね!?』
先輩も、先輩なりに何か思う事があるのか、声をまた上ずらせながら通話を終わらせる事に同意する。
「先輩、おやすみなさい。悠もごめんな、付き合わせて」
『いいわよ別に』
『孝志くん、また明日、ね?』
「はい、また明日」
程なくして、俺と先輩、そして悠との三人通話が終わった。長い長い、幸せでいて、それで複雑な心境になった特別な時間が……。
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