第37話 自分が自分である理由
時は遡る事、夕方の六時。場所は大学から程近い女性専用二階建てアパート。
男子禁制たる花園住居の一角で、二人の女子大生がキャッキャと和み合う。
「さぁ〜、今日はめいっぱい楽しむわよ〜っ!」
「紅葉さん! 静かに!! ここの壁、薄いんですから!!」
「むしろ、隣の人に私たちが仲のいい事アピールする絶好の機会だと思うのだけれど、どうかしら?」
「どうかしら、じゃないです! 苦情で追い出されたらどうしたらいいんですか!!?」
「その時はその時で考えればいいわ! なんなら、孝志くんの家に転がり込んじゃう?」
「いや、流石にそれはちょっと……。私、野暮な事はしない主義なので」
「引き際を分かってる子は嫌いじゃないわよ」
「そりゃどうも」
手足をバタバタさせて意気揚々とした様子のとは違い、部屋の主たる悠は慌てた様子で先輩を静かにさせようと奮闘する悠。
自分の部屋の中だと言うのにトレードマークのフードは外さず、紅葉の冗談に悠は飄々と聞き流す。
そして、そんな悠の反応に紅葉は満足そうな表情を向ける。それにも悠は軽く受け流して、紅葉をリビングへと案内する。
「で、今日はどうしたんですか。私の部屋に泊まりたいだなんて。アイツと何かあったんですか?」
リビングに案内するや否や、悠は紅葉に本題を切り出す。
前日の夜、突然『明日、泊まらせて』と親友の恋人から送られて来たものだから、わずかながらも心配している様子。
もしかしたら、孝志の部屋に上がり込んでいた件がまだ尾を引いているのか……? 親友の頼みだからと言って、安易に恋人のいる部屋に上がったのはやっぱりダメだったよな……。あぁ……またやらかした……。
悠の心に黒い気持ちが渦巻いていく。
自己嫌悪。自己否定。劣弱意識。
今、ここに紅葉がいる事全てが自分のせいだと言わんばかりに、責任を全て自分に擦りつけようとする思考を抱きながらフードを深く被り直す。
けれど、返って来た反応はまるで悠の思考とは真逆だった。
「ん〜? 孝志くんとは相変わらずラブラブよ〜? お昼には寂しくなった孝志くんからラブコールかかってきたもの」
「は、はぁ……そうですか……。ラブラブなことでなにより……」
気の抜けるような紅葉の言葉に、フードを摘む悠の指の力は緩んでいく。
そんな悠に、紅葉は孝志からの着信履歴を見せてクネクネする。
頬を赤らめては「ふふふ……孝志くんってば、好き好きって連呼しただけで慌てて切っちゃって……ほんと、かわいい」と人の家だと言うのに惚気を口にしていく紅葉に、悠は気まずそうに目を逸らしていた。
けれど、紅葉は悠のわずかな変化を見逃すほど目的を見失っているわけではない。
「さてと、冗談はこれまでにして」
「わりと本気だったかと……」
「あなたの事、もっと知りたくて来たのよ。有り体に言えば、仲良くなりたいって事」
悠からの小痛い言葉にも気にする事なく、キメ顔で“仲良くなりたい宣言”をする紅葉。
悠の前には、さっきまで恋人の事で悶えていた人と同一かと疑わしいくらいに様変わりした人生の先輩。
「……別に、私の事を知っても何も面白くないですよ。孝志を揶揄っている方が何倍もいいかと」
「それはごもっとも」
いつもの紅葉らしさはあるものの、表情は真面目そのもの。
そんなギャップに、悠は強く文句を言うことは出来なくなっていた。
「でも、ほっとけないのよ。孝志くんも、悠ちゃんもね」
「……それは可哀想だからですか?」
辛うじて悠に出来るのは、紅葉の本心を探ることだけ。
悠にとっては、可哀想だから近づいてくる人は珍しくもなんともない。
日常的にフードを被って人目を気にしているような人は、世間からしたら見世物だ。まともな生活を送れない人を助けては賞賛の声を浴びようなんて目論んでいる人はたくさんいる。
それこそ、彼女にとって無くてはならないフードを外させようとする人だっていた。フードに包まれた環境が悠の求めた結果だと言うのに。
そう言うこともあって、悠は人の視線に人一倍警戒し、その警戒心を悟らせないようにフードを深めに被る。
そして、“可哀想”と向けられる視線は今、彼女が嫌うものの一つでもあった。
だが、紅葉が悠に向ける視線や気持ちは“可哀想”と言うものでは無く───
「……違うわ。単純に知りたいのよ、私は。悠ちゃんがどうしてフードを被ったまま人を遠ざけようとしてるのかを」
「知ってどうするんですか?」
「どうもしないわ」
「……はい?」
「だって、悠ちゃんがそうしたくてしてる事なら、無理に変える必要なんてないじゃない。私だってそうだもの」
ただの純粋なる興味。
何も害する気持ちもなく、何かを施すのでもなくただ聞いてみただけの事。
「私は大好きな人を揶揄うのが大好きよ。どんなに嫌がられようとも、こんな私を丸ごと好きになってもらいたい」
自分が自分である為に決めた事ならそれでいい。
それが紅葉が紅葉である理由であり、どんなに孝志に嫌な顔されようとも揶揄う事を止めない理由でもある。
好きだから揶揄う。揶揄う私を好きになって貰いたい。ただそれだけなのだ。
「だってそれが私で、私自身がしたいことだしね」
紅葉はキメ顔でそう言った。
「悠ちゃんはどう? 今のままでいい? それともやりたい事、ある?」
そう、言葉を付け足しながら。
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