第31話 愛を語らいながら抱きしめる

「ん……んっ……ぷはぁ……っ! おいしー!」

「そ、それはよかったですね……」

「ん〜? どうしたの〜、そんなにモジモジしちゃって〜?」

「モジモジなんてしてませんよ!?」

「照れなくて良いのに〜。こうやって、ぎゅーって自分から抱きしめちゃっても良いんだからね〜?」

「……しませんって」


 自分から先輩を抱き締める事がそう簡単にできるハズがない。ただでさえ腕の中ですっぽりハマっている先輩にタジタジなのにそれを更に抱き寄せるなんて事をしたら、急所に覚える鋭敏さがより強くなってしまう。

 そんな事を悩んでいる事を先輩は知る由もなく、美味しそうにいちごチューハイを飲んでいく。もちろん、缶本体は俺が持って、先輩はただ欲しいタイミングで腕を口元に引き寄せるだけ。

 普通に飲んだ方がストレスなく飲めるだろうに、先輩はそんな事を気にも留めない。

 むしろ、俺の腕と膝の間にすっぽりとハマっているこの時間が至福であるのが、後ろからでも伝わってくる。


 弱々しくも抱きしめないと言う俺に「え〜?」とサイドテールを振り回しながら文句を言う紅葉先輩。

 時々、ペチペチと当たるサイドテールからいつもの先輩が愛用しているシャンプーの匂いが鼻に充満する。甘くそれでいてセクシーなバラの匂い。そしてついつい思い出してしまう、背中に押し当てられた柔らかい感触。


 思い出してはダメだと分かっているのに、ふとした事で思い出してしまう一緒にシャワーを浴びた時の出来事。

 忘れたくても忘れられない、反響した先輩の声。あの時の風呂の温度。そして、シャンプーの匂い。言わずもがな、背中と首筋への柔らかな感触。

 先輩が最後にしたキスにどんな意味があったのか、気になりながらも深くは考えないようにしている。


 考えれば考えるほど、背中にキスされた直後の衝動がまた襲いかかってきそうだから……。



「それじゃあ、次はおつまみ食べさせてー」

「あ、お酒だけじゃないんですね」

「当たり前でしょ〜? 言ったじゃない。今日はとことん甘えるって」

「……言いましたけども」

「じゃ、そう言う事で」


 先輩に言われるがまま手に持ったのは、これまた先輩好みの甘いおつまみ。豆菓子をチョコで甘しょっぱくコーティングした、その名も『チョリッピー』。

 おつまみとしても、おやつとしても根強い人気のあるお菓子である。

 そんなお菓子・チョリッピーを手のひらに数粒注いで、紅葉先輩の口の前に差し出す。

「……これで良いですか?」

「ふふっ、なんだか餌付けされてるみたいね」

「そうさせてるのは先輩ですけど……」

「でも、少し楽しいでしょ?」

「うぅ……」


 楽しむよりも、その場その場の対応で精一杯だ。少しでも油断したら、今以上に状況が悪化しかねない。それこそ、この前の風呂場の様に……。


「それじゃあ、おつまみいただきまぁ〜す」


 先輩の掛け声と共に、手のひらに熱い吐息が吹きかかる。それは風呂場に背中で感じた時と同じくらいの熱さで、それでいて艶っぽさも負けていない。むしろ、ぷにゅぷにゅと手のひらに押し当てられる唇の柔らかさが、吐息の艶っぽさを増幅させる。


 たまらず、俺は先輩に弱気な一面を見せてしまう。

「せ、先輩……くすぐったいです……っ!」

「ん〜? 私はただおつまみを食べてるだけだよ〜? 嫌なら、振り切れば良いじゃな〜い」

 俺に弱気な事を言われて、先輩が『はいそうですか』と許してくれないのを知っていながらも。


 それどころか、先輩に大きな隙を作ってしまった。

「それに、私だってくすぐったいんだよ〜?」

「……俺、先輩に何かしてます?」

「お・し・り」

「……っっっっ!?」

「ふふっ、いい反応」

 体を反らせて、俺の胸板に背中を押し当てる紅葉先輩。その合間に俺の顔近くに持ってきた口で、甘く囁いてくるのだから、反応せざるを得ない。


 敏感な耳にふ〜っと息を吹き付けてくる恋人。その姿はお酒を口に含む前以上に小悪魔的。


「ね。キミもそろそろお酒飲みたくなってきたんじゃない? 私の、飲んでもいいんだよ?」


 暗に『飲んで』と言っているのが見え見えの表情で俺の顔を見上げてくる。

 目がいくのは先輩の飲みかけ缶チューハイ。

 今に限っては、お酒にコーティングされた唇ではなく、先輩の口紅にコーティングされたお酒の飲み口にすらドキドキしてしまう。



「……じゃあ、遠慮なく」


 気がつけば俺はドキドキに抗えず、残っていた缶チューハイを一気に口の中に流し込んでいた。

 今となっては間接キスに過剰にドキドキする事はなくなった。それ以上にドキドキする事が先輩と同居し始めてから尽きないのだから、いちいち間接キスに反応してしまっては色々と持たない。


 そしてそれは今も───。

「どうだった? 美味しいでしょ〜?」

「甘すぎですね、これ……」

「甘すぎるのは嫌い?」

「嫌いなわけないじゃないですか。むしろ……」

「むしろ? むしろ、何かな?」


 口の中に残るいちご風味のアルコール。それは思っていた以上に甘かった。

 けれど、それは嫌な甘さではない。


 俺はこの甘さを知っている。心の底から蕩けてしまいそうな甘さのその正体を。


「……好きです、先輩」

「私も好きよ、孝志くん」


 ───愛を語らいながら抱きしめ合う俺と先輩。

 そして間も無くして、甘さの根源を求めるべく先輩の口へ強引にいちご味のお酒でコーティングされた舌を捻じ込んでいく。


 酔いに任せながらも、先輩とキスをしたい本心を舌先に込めながら……。

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