第30話 先輩が望むならいくらでも

「それじゃあ、そろそろ乾杯しましょうか。ちょうど、スーパーでお酒とおつまみ調達してきてよかったね〜。これで孝志くんは私に大事なものを見られずに済んだまま、お酒が飲めるんだから〜」

「むしろこれを見越してスーパーでお酒買いましたね? おかしいと思ったんですよ、キッチンにはまだ開けてないお酒もあるのに足りないって言うから!」

「その割にはすんなりレジに通してくれたじゃない。本当は期待してたんじゃないの〜?」

「……そんなんじゃないですよ」

「本当かなぁ〜?」


 俺の膝の上から一歩も動きたくない先輩は、あらかじめ買ってきてあった晩酌セットをテーブルの上に置いてイタズラな笑顔を背後にいる俺へと向けてくる。

 先輩の『大事なものを見られずに済んだね〜』と言いたげな表情に尚更、先輩に立ち上がられたくなくなってしまった。さっき以上に先輩の柔らかな双丘を鋭敏に感じているのだから。



 それに、先輩とこうやってワチャワチャしながら飲むお酒は好きだ。昼間の悠を見て、少し贅沢なものを食べて楽しそうにする先輩を見たいと思ったのは先輩本人には内緒だけれど、それが『膝の上で俺に擦り寄るように座る先輩』と言う形で叶うとは思いもしなかった。


 もちろん、この状況が嫌いなわけがない。嫌いなわけでは無いが、それとは別に先輩から良いようにされっぱなしと言うのが、ここのところモヤモヤするのだ。


 このまま先輩にイジられっぱなしで、果たして先輩はこの先も揶揄い続けてくれるのだろうか。

 ただ恥ずかしがっているだけの俺に、先輩はこの先も嬉しそうな笑顔を向けてくれるのだろうか。

 先輩に何かしらのアプローチを出来ないままの俺に、先輩はこの先も好意を持ってくれるのだろうか。


 などと先輩との今後の付き合いに不安を覚えていると、先輩がお酒の準備を終えた。

 ポンポンと膝を叩いて『もう準備できたよ〜』とアピールしてくる先輩の可愛さに、先ほど抱いていた不安は消え去っていく。


「それじゃあ何から飲みます? 今回もいっぱい買ってますけど」

「とりあえず甘いの!」

「はいはい。そう言うと思いましたよ」


 目の前には多種多様な缶チューハイ。

 先輩の好きな缶ジュース・ミスターペッパーを彷彿とさせるフルーティーな缶チューハイが多い中で、先輩が特に熱い視線を送っている『贅沢一本いちご味』を手に取って先輩に渡す。


 にひひ〜と言いながら、好みの缶チューハイを受け取るのかと思いきや、先輩の手は缶の方には向かわない。缶を持つ、俺の腕に手を添えていく。


「……先輩?」


 恋人が何を考えているのか分からなく、不安げな声を出してしまう。

 けれど、腕から感じる恋人の様子は不安とはほど遠く、むしろ期待に満ちている。

 そしてそれは、先輩の口からも告げられる。


「言ったでしょ、今日もキミに甘えるって。それがどう言う事か分からないほど、おバカさんなの?」

 と。


「あぁ……そう言う事ですか……」


 つまりは、思いっきり甘やかしてくれ、と言う事だろう。


 俺は軽くため息をつきながら手に持ついちご味の缶チューハイのプルタブを開けた。

 先輩に対してのため息では無い。先輩の事をまだまだ全然わかってなかった自分にため息を。


 まだ同居してそんなに時期が経っていないとは言え、付き合って一年を超えている。それだと言うのにまだ恋人の考えそうな事が分からない自分にまた嫌悪感を覚えてしまう。


 が、今はその時ではなく、先輩の求める『甘い時間』を作り上げる事の方が重要で、俺も先輩と甘く過ごしたい。

 そう思いながら、開けたばかりのいちご味の缶チューハイを先輩の顔に近づけていく。

 腕を動かす度に擦れる先輩の指に僅かながらのくすぐったさを覚えながら……。


「これでいいですか?」

「うんうん。それじゃあ、そのまま飲ませて〜?」

「はいはい飲ませればいいんですね。……って、このまま飲ませる!?」

「そうだよ〜? 私はこうやって孝志くんの腕の中を堪能してるからさ〜」

「もはやこれは便利イスでは?」

「いくらで専属になってくれる?」

「本気で買おうとしないでください!」


 どうやら、今日の先輩はかなり本気で甘えたいようだ。

 いつの間にか腕の中にすっぽりと入って胸元に擦り寄っている紅葉先輩。

 しかもかなりお気に召したのか、うるうると瞳を潤ませながら俺を買い取ろうとしてくる。


 まだお酒を飲んでいなくてよかった。正直、お酒を飲んでいる時の俺は気持ちに素直な判断をしかねない。

 それこそ、『先輩が望むならいくらでも』と言いかねないのだ。


「それよりお酒飲ませて〜? ね〜ぇ〜、は〜や〜く〜」

「わ、わかりましたよ! こぼさない様に飲んでくださいよ?」

「こぼしたらまた一緒にシャワー浴びてくれる?」

「一緒に浴びません! 一人で浴びてください!!」

「ちぇ〜。ならちょっとこぼそうと思ったけどやめておこうかな〜」

「せっかくのお酒がもったいないんでやめておいたほうが……」

「それもそうね。一緒にシャワーはまた次の機会にしましょう」

「シャワー、諦めないんですね……」


 俺の心情を知る由もなく、先輩はいつもの様に、いやいつも以上に甘えて誘惑してくる。


 体全体で感じる紅葉先輩の柔らかさ。そんな状態での甘い誘惑に耐え切るには、並大抵の我慢では抑えられないかも知れない。


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