第29話 柔らかな二つの丘に挟まる鋭利な感覚

「まったく……まさか、孝志くんに一本取られる日が来るなんてね……」

「俺は一切、そのつもりはなかったんですけど……。どちらかと言うと、先輩は自分が可愛いと言う事を自覚して欲しかっただけですし」

「それが一本取ろうとしてるって事、キミは分かってるの〜?」

「……?」

「あー、うん。分かってなさそうね。分かってたわ、キミのそう言うところも私は好きなんだし」

「あ、ありがとうございます……?」

「はい、どういたしまして」


 悠とのお昼を迎えた日の夜。財布をすっからかんにされたままの俺は、先輩によく分からない文句を言われていた。

 可愛い先輩に可愛いと言っただけなのに、先輩は一体何が不満なのだろうか。

 不満を持ちたいのは俺の方だ。

 揶揄うのはまだしも、その揶揄っている時の先輩の表情、仕草が俺の気持ちを大きく動かしてるのを自覚して欲しい。

 ニヤリと笑う先輩に、少し頬を赤らめる紅葉先輩に、ほんの少しだけ恥ずかしそうにする恋人に、俺の心臓はドキドキしっぱなしになるのだから。


 そして、それは今もそうだ。


「で、今は何の時間でしょうか?」

「え、孝志くんに思いっきり甘える時間だけど」

「にしても、もう少し甘え方があるでしょうに。なんで、俺の膝の上で甘えるんですか……」


 どうして先輩は定位置のソファーではなく、俺の膝の上に座っているのだろう。

 どうして大学から戻ってきて早々、晩御飯の用意ではなく甘える時間になるのだろう。

 どうして俺はそんな先輩の誘いを断れなかったのだろう。


 疑問だらけだ。


 当の本人である紅葉先輩は確固たる自信を持って、顔をコチラに向けながら宣言していくる。

「だって、この前甘えた時は背中でだったもの。今度は正面で甘えたくなるじゃない?」

 と。


 紅葉先輩の言いたいことは分かる。俺だって、背中越しじゃなくて正面から甘えて貰いたいのだ。それこそ、揶揄い無しの本音で。いや、本音の紅葉先輩からの甘えだといつも以上に目を逸らしそうだからまだ早いかもしれない。


 そんな俺に今の状況は、よろしくない……。

「だからって何で背中を向けて座るんですか。これだと、色々アレじゃないですか」

「お尻が当たって意識しちゃう?」

「……分かってるのなら一度離れて下さいよ」

「離れちゃっていいの?」

「どう言う意味ですか?」

「う〜ん。だって、もし仮にキミがお尻に意識しちゃってたとして、その様子を私が確認しちゃったらキミは一体どうなるのかなぁ〜?」

「うっ……」

「それでもいいなら、私は離れるわよ? 孝志くんが私のお尻でおっきくなっちゃう変態さんかどうか、分かっちゃうけどね〜?」

 完全に先輩に手のひらで踊らされているのだから。


 そして、どうにかして意識を向けないようにしていた先輩の体の柔らかさを、先輩がグリグリと押しつける事によって強制的に感じざるを得なくなってしまう。


 しかもそれは胸の柔らかさではなく、また別の柔らかさ。

 先輩のジーパンと俺のズボン越しにでも分かる二つの丘。

 先輩の柔らかな丘と丘の間にグリグリと挟まれていく一つの感覚。少し顔を下げれば、楽しそうにしながらも顔を少し火照らす恋人。感覚がまた鋭くなってしまう。


 その状態を先輩に目視されてしまった日には俺は一体どんな顔で先輩を見ればいいのだろうか。

 いや、それ以上に朝、先輩が食事を作っている背中を微笑ましく眺めている事は出来るのだろうか。

 きっと、できないだろう。先輩に目視された次の瞬間に揶揄われ、その様子をいつまでも覚えてまともに先輩の後ろ姿を見れなくなってしまう自分が目に見える。


 それならば、先輩に返す言葉は決まっている。


「で、私は退いたほうがいい? それともこのまま甘えててもいいの?」

「……でいいです」

「ん〜? 聞こえないなぁ〜」

「このままでいいですっ!!」

「ふふふ、そうこなくっちゃ〜」


 このまま、先輩に見られないうちに鋭利な感覚を鎮めればいいのだから。



 まぁ……そもそも先輩に様子を確認されたくないって言う時点で、先輩には既にバレているも同然なのだが、この時の俺はそんな事を気づく由もなかった。


 そして───

「孝志くんに一本取られっぱなしではいられないもの」

 先輩の静かな決意にも。

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