第26話 背中に感じる柔らかな温もり

「どう? 背中、気持ちいい?」


 背中に感じる柔らかな温もり。それはいつものボディースポンジとはまた違う柔らかさで、一人で体を洗っている時には絶対に感じる事のない温もり。


「は、はい……気持ち、いいです……」

「そぅ。それならよかったわ」


 頭の中は依然としてふわふわ。思考はままならず、先輩からの問いかけにごまかす事もなく素直に答えてしまう。

 そんな俺に先輩は安堵の声を漏らす。


 ピチャリピチャリと蛇口から水滴が滴る音と混じって、先輩の声、吐息、動きの一つ一つが色っぽく感じてしまう。

 理性で心を律して気を保たなければならないはずなのに、体がそれとは真逆に熱くなっていく。


「せ、先輩……流石にこれはやり過ぎでは……? お仕置きの域を超えてるというか……」

「あら、今更? 一緒にお風呂に入ってる時点でもうこれはお仕置きじゃないわよ」

「お仕置きじゃない……? じゃあ、これは一体……」

「そりゃあ、決まってるじゃない。……私がキミと密着したいから、よ」

「……ッッッッッ!」



 少し溜められた後に放たれた紅葉先輩の言葉に俺はまた言葉にならない驚き声を出してしまった。


 そうだ。よく考えてみればお仕置きにしてはペナルティがない。

 この間みたいにトイレに行くのを禁止するわけでも、揶揄いが酷いというわけでもない。

 ただ、いつも以上にスキンシップがあるだけ。距離が近いだけ。先輩が珍しく素直なだけ。


 この時間がお仕置きなわけがない。そう勘づいた時にはもう遅く、背中に感じる柔らかさが広がっていた。


「あははは、ビク〜ッッってした〜」

「そ、そりゃしますよっっ!! 今はその……何も着てないんですから!!」

「ちゃんとバスタオル巻いてるわよ〜?」

「ただ隠してるだけじゃないですか! バスタオル一枚で先輩の柔らかさを軽減できるとは……」

「孝志くんは柔らかいの、嫌い?」

「……好きですけど」


 柔らかいのが好きなのではない。先輩の柔らかさだから好きなのだ。

 先輩の吐息を耳元で感じながら、俺は自分に問いただした。


 バスタオル一枚。されどたった一枚。バスタオルごときの薄さで先輩の柔らかさは収まる事を知らない。

 それだというのに

「好きならいいじゃない。いっそ、外してみちゃう?」

「ダメです!! 好きとは言いましたけど、節度は弁えないと……っ! 俺たちはまだ学生なんですから!!」

「まぁ、それは確かに」

 隙あらばバスタオルを外してみようとするのだから、本当に勘弁してほしい。

 隙あらばというより、『好き』あらばである。


 好きとは言っても、していいとは言っていないのだ。先輩の柔らかさを直に感じてしまえば間違いなく今までの関係性ではいられない。

 そういった事態を避ける為にもエロ本で我慢していたのだが、そのエロ本を隠す為に唯一の友人である悠を部屋に招いては、現在の状況を作ってしまっているのだから、もうどうしたものか。


 焼肉の件で先輩の嫉妬深さはなんとなく分かってはいたが、その嫉妬をこうして柔らかさとして実感するのはなんとも紅葉先輩との付き合い方らしい。


 そして───

「でも、イチャイチャはしたい!」

「でもじゃないです! このままだとイチャイチャどころじゃなくなりますって!!」

「その時はその時じゃない?」

「その時が来ないようにするんですよ!?」

 今、この瞬間の衝動を優先する先輩をどうにかして止めようとするのも、俺たちらしい。


 もっとも、言葉だけで止めても先輩が止まることなんて事は無く、今もなお柔らかな幸せが背中に襲いかかっている。

 耳に艶やかな吐息を感じながら、襲ってくる柔みが俺の思考を鈍らせる。

 もうこのまま襲われてもいいのかも知れないとすら感覚を狂わせる。


 先輩の動作、一つ一つが俺には致命的すぎるのだ。

 それは決して、今この状況が風呂場だからというだけではない。


 どうしようもなく、俺が先輩を好きだからだ。好きになってしまって、恋してしまって、独占したいとすら思ってしまうようになっているからだ。


 どれくらい他の人が先輩のだらしなくて魅力的な一面を知っているのだろうか。

 どれくらい他の人が普段の先輩と今の先輩のギャップを想像できるだろうか。

 どれくらい他の人が先輩のデレデレ具合をマトモに受け止められるのだろうか。


 色々考え、思考し、熟考した果てに、やっぱり先輩の事は俺だけが分かってればいいという結論に辿り着く。

 結局はそういうことだ。


「分かったわ。我慢する。ワガママしすぎてキミに嫌われたら元も子もないものね」

「別に嫌いはしませんけど……まぁ自重してくれると、色々と助かります」

「うん。気をつけるわね」


 そう、俺が嫌うことはない。先輩と俺が離れるのは先輩が俺に飽きた時。揶揄い甲斐がなくなった時。

 先輩の揶揄い刺激を残しつつも、揶揄われにくい生活もして生きたい。

 そんな複雑な想いを持ちながら、ゆっくりと背中から離れていく柔らかさを寂しく感じる。

 一緒に離れていく吐息にはドキドキとしながらも、ようやく落ち着ける、そう思うには時期尚早だった。


「でも、ゴメンね。最後にコレだけさせて……?」

「───え?」


 背中から柔らかさが完全に離れていく寸前、突如と首筋にくすぐったさを覚える。

 それは生温かく、どこか耳に感じていたものと同じ温かみ。

 次第にその温かみが近づいてきたかと思えば、両肩にはいつもの見慣れた先輩の綺麗で細長い指。繊細で、少し力を加えただけで折れてしまいそうなか弱そうな指。

 ファーストキスまで、散々俺と先輩との唇の間に挟まってきた少しばかり憎い指。


 その指の主人がどこかと気配を探ってみれば、依然として背中。体に巻いたバスタオルを整えて、どこか顔が赤いのが前の鏡からチラリと覗かせている様子で分かる。


 最後。彼女がそう言った直後に異変が起きる。


「ありがとうね。こんな私を好きでいてくれて」


 そう言いながら、俺の首筋に軽く、それでいて熱い口付けをしてきたのだから。



 今まで先輩としてきた深いキスと比べればなんて事ない軽いキス。そのはずなのに、今までのキスとはどこか違うようにも感じて、しばらく風呂場から動くことは出来なかった。



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