第19話 そして始まるは夜デート

「孝志く〜ん、お待たせ〜!」

「だ、大丈夫です! 全然待ってないです!!」

「あはは、私が先に孝志くんを駅前に出発させたんだから、そこは『待ちましたけど、先輩の素敵な姿を見たらどうでも良くなりました』でいいんだよ〜?」



 駅前の時計台で待って、早三十分。無地の白シャツにジーンズ生地のサロペット、そしてそれらを覆うオーバーオールと、いつも以上にオシャレな格好をした紅葉先輩が俺の前に現れる。

 いつもの無防備な格好と違って少しだけ大人な先輩の姿に、俺は挙動不審になりながらも定番の文句を言ってみたが、良く考えてみればそれは無意味な言葉だった。そもそも同じ部屋に住んでいて、俺が先に出ている事を先輩自身が知っているのだから。

 それでも、定番の言葉を言われて嬉しかったのか、先輩はニコリと笑って俺の頭を朝しく撫でてくる。



 けれど、先輩が誤解しているようだったので少しだけ訂正してみる。


「い、いえ……本当に。先輩がどんな服装で来るのかな〜なんて考えていたらあっという間に時間が来ていたと言いますか……」


 と。



「本当に〜?」

「本当ですってば! 先輩、オシャレで似合うから、その……覚悟しておかないとって……!」

「で、その覚悟に見合った服装にできてるかな? 今の私は」

「覚悟以上です」

「えへっ、やったね! 今日も一本勝ち!!」


 俺が先輩のオシャレを心待ちにしていてどれだけ待っていたのかあまり気にならなかった事、そして先輩のオシャレが俺の想像以上だった事を伝えると、紅葉先輩はとても嬉しそうにまた笑顔を見せた。

 反して、自分の服装はどうだろうか。黒ジーンズに黒無印のTシャツと白の襟付きワイシャツ。シンプルで妥当だけど、自分の中では十分オシャレな格好。それでも目の前の先輩と比べると見劣りしてしまうのは明らかで、少し自信を無くしてしまう。


 まだまだ、先輩に見合う男になるには時間がかかりそうだ。

 魅力的な先輩の姿にざわつく駅前の中にいたら、嫌でもそう思ってしまう。


 そんな自己嫌悪に陥りそうな状況から離れるべく、俺は先輩に問いかける。

「それで、今からどこにいくんですか? バーに行こうって言ってましたけど、駅の近くにあるんですか?」

 と。


 少なくともこの場から離れよう。そうするには、やはり夜デートを始めるのが一番だ。


 そう思ったのだが、俺は大事な事を忘れてしまっていた。

「うん、ちょっと分かりにくいところにはあるんだけどね〜。隠れ家的な感じで結構楽しいよ〜」

「あ、でもお金が……」

「うん? お金がどうかしたの?」

「この間の焼肉で手持ちが……。バイトの給料前なのでさらに……」

 悠との強制焼肉の時に手持ちを大分使ってしまったのを今の今まで忘れていたのだ。


 デート前に確認やら、ATMに行くなりできたのだが、あいにく先輩がどんな服装で来るのかを考えるのに注力してしまい今に至っている。

 仮に気づいていても、引き落としの必要残高を除いたら殆ど残金がない今の状況じゃ、どっちにしろ変わらなかったかもしれないけれど……。


 そんな情けない自分にきっと先輩は呆れているだろうと、待っているとまさかの言葉が返ってきた。

「あー、その事なら心配ないよ〜。孝志くんはお金の事気にせず飲んじゃっていいからね〜」

 と。


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

『心配ない』? 一体何に? 呆れる事に関して? それとも別の何か……?

『お金の事気にせず』? え、どういう事? もしかして手持ちがないの、最初からバレてた……?


 などなど、さまざまな憶測が頭の中で飛び交った。その末に出た言葉が───


「……で、でも流石に奢ってもらうなんて」


 これである。


 先輩にどんな思惑があるのかも良く考えず、初めての夜デートに浮かれて“奢り”と言う発想になってしまったのだ。

 もちろん、先輩が鬼ではない事は良く知っている。むしろ、先輩を悲しませたのに一時的に“欲”の処理を禁じる程度で許してくれる優しい彼女だ。


 それと同時に───

「チッチッチ、甘いよ孝志くん」

「え?」

「私は奢るとは言ってないわよ〜? もちろん、今日の分は出すんだけど、“タダ”って訳にはいかないわ。それくらい、アルバイトしてる孝志くんなら、なんとなく分かるわよね〜?」

「それなりの対価を用意しろ、ってやつですね……?」

「そう言う事。流石は孝志くん。良く分かってるじゃない」

 紅葉先輩がイタズラ好きの困った人だと言うことも、知っている。


 しかも、その対象が俺だけだと言う事も。

 どうして俺だけなのだろうかと思うこともあるけれど、それ以上に先輩が俺にしか見せない一面があるのが嬉しくてたまらないのだ。


 今の先輩の服装だってそうだ。いつも部屋の中では胸元が危なかったり、太もも丸出しだったりなのに、いざ外でデートとなればオシャレしつつもしっかりとガードを固めてきている。

 意識してなのか、無意識なのかは先輩にしか分からないけれども、今現状、先輩の無防備な姿を知っているのは俺だけ。

 そんな事を考えていると、自然とさっきまで自己嫌悪だった自分が消えていた。


 それと同時に、少しだけ自信に満ちた自分がいる事に気づく。


 このチャンスを逃す手は無い。そんな事を思いながら、俺は先輩に軽く質問。

「で、俺は何をすればいいんですか? 一応、可能なものにしてくださいね?」

「大丈夫よ。孝志くんにしかできない事をして貰うから」


 先輩がニコリと笑って答えた次の瞬間、先輩は俺の真横に位置取っていた。しかも、腕を絡ませて、その上に恋人繋ぎ。


「───え?」

「今日一日、お部屋に戻るまでこうしていましょ?」


 自身に満ちた俺はあっという間に消え去った。先輩の腕組みと恋人繋ぎ、そして甘い声のトリプルコンボによって。

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